何も知らない帰国子女、初めての「お盆」
お盆を知らないわたしたち
お盆。それは私たちそゆる姉妹に最も縁のない行事です。
我々は幼少期の多くを海外で過ごし、両親もお盆をする家庭で育ちませんでした。
大人になってから、日本にはお盆というかなり大事な休暇がありその時期にはふるさとへ帰る人で新幹線も飛行機も高速道路もパンパンになるという事を知りました。どうやら、御先祖様とかが関係しているらしい。
そのくらいはわかるようになりました。
ただお正月の次くらいに大事にされてるお盆って、一体なんなのだろうか?
みんな実家にこぞって帰るくらいのイベントだけど知らなすぎて逆に気になる。
と、年を追うごとにお盆という存在にやや憧れを抱くように...
そこで今年は、知らないながらもとにかく、その行為をやってみようと二人で決心したのでした。
両祖母に聞き取りしてみた「お盆ってやってた?」
まずは、聞き取りです。自分たちの両親がやったことないのだから、そのまた両親もやってないだろう。
とはいえ、我々の祖父母の小さいころはもしかしたらやったかもしれない。
シンプルに「お盆ってやってた?」と聞いてみました。
母方の祖母(京都出身)
小さいころはおばあちゃんとやってたよ。
迎え火をやって、きゅうりとなすを馬にして、そしたら御先祖さまがそれにのって帰ってくるんだって。
それでお菓子とかおまんじゅうとかをお供えして、16日に流すんだけど、京都なんて流すとこなんかないからみんな食べちゃった。
おじちゃんたちとわいわい準備をしてて、お盆はなんだか楽しかったよ。
私のお母さんは仏教が嫌いになってやめちゃったから、そのあとはやらなかったよ。それでお仏壇もずっとなかったの。
大文字の送り火は一度だけ見に行ったことがあるけど、人がすっごいいたからもういやだった。
イメージにある通りの絵にかいたようなお盆。
あと、母がお盆をやったことないのは母の祖母が仏教嫌いになったことが理由だということがわかりました。
大文字の送り火も一度は見てみたいものだけど、やはり昔から(80年前から?)人がすごいんですね。
父方のおばあちゃん(大阪出身)
うちはね、門徒物知らず(もんとものしらず)で何もやらなかったよ。きゅうりとかなすびのお人形とか、あんなんやらなかった。
でもそうめんとか精進料理風なものは食べたけどねぇ。
あとは近所のお寺さんに家族みんなで行ったかなぁ?
やっぱりやらないスタイル。仏壇もずっとなかったそうです。
あと、お盆のころになるとお梅どんと呼ぶ女中さんがお暇をもらって帰っていったとか。
※門徒物知らずという単語を初めて知ったので、Wikipediaで調べてみました。”浄土真宗の信者が阿弥陀如来にばかり頼って他を顧みない様を批判する言葉”だそうです。日常生活においては葬送儀礼や仏事作法など習俗に関わる場面で、慣習に従わない事を指摘されたときに穏便にその場を収める言葉としても使われるそうです。(浄土真宗の葬儀などでは、他宗とは大幅に違う事が多く違和感を覚える事が多いそうです。気になる!)宗教におけるマナーなどを知らない、という意味で祖母は使ったのだと思います。
お盆とは
そもそもお盆とは、”盂蘭盆会(うらぼんえ)”という仏教の行事が始まりです。それが日本に伝来し、土着の信仰と結びついて今のかたちになったと言われています。
”安吾(あんご)”という、僧侶たちが一定期間一箇所に集まって修行する期間があります。夏に行われる安吾が開ける日を”解夏(げげ)”と言い、この日に修行があけた僧侶たちに施しをして同時に先祖の供養をします。この供養により、延命長寿や餓鬼の苦しみから逃れられるといわれています。これが、盂蘭盆会だそうです。
日本には夏に先祖や故人に思いを馳せる、というお盆の原型が分かります。
ちなみにですが、お盆にふるさとに帰って長い休みをすごす、というのは都市部に働きに出るのが広まった昭和初期からの風習だそうです。
では、とりかかります
精霊馬(しょうりょううま)をつくる
ではさっそく、精霊馬を作ります。買ってきたなすときゅうりに本当はおがらという枝をさすそうですが、家に割り箸が余っていたので割り箸にします。
きゅうりなどは曲がっているほうがより動物のように見えるとのことですが、思いっきり曲がってるきゅうりを徳用で買ってきたのでとってもぴったり!
きゅうりは御先祖様が早く帰ってこれるように馬。なすはなるべくこの世にいてゆっくりいってほしいから牛だそうです。ただ、その逆の考え方もあるようでこれもまた我々を悩ます沼。
(よく考えたら、何で”精霊馬”なのに牛もいるんだ?)
細身のきゅうりに割り箸はささらないのではないかと懸念していましたが案外さくっと入ってくれました。
ちょうちんも、折り紙で作りました。
ずらりとならんで、なんだか頼もしい。
折り紙の作り方は、ここを参考にしました。
http://handcrafts-for-kids.com/origami-chouchin/
盆棚の飾り付け
我々が初めて出くわした身近な人の死。それが祖父でした。そしてまもなく18年飼った愛犬も亡くなりました。
そのときに初めて死や、それにまつわる宗教について深く深く実感したような気がします。
そんなこんなでこの1人と一匹は居間のいい場所にでんと写真が飾られています。(犬はまだ納骨しておらず...)
なので、いつものこの場所を盆棚にしてみよう!ということになりました。
いつものお花屋さんに行ったら売っていたほおずき。ちょうちんに似ているので御先祖さまがここだ、とわかるそうです。
ほおずきの飾り方に苦戦しつつも、なんだかオリジナリティのある棚が完成。
祖父の好きだったビールと、愛犬用に犬の餌をおまつりします。
そして先ほど作った精霊馬たちとちょうちんも。
13日〜16日ごろがお盆で、16日はかえってもらうとのことですが、この季節に生野菜を外に4日も出しておくがやや心配。ですがとりあえず、そのまま見守ります。
迎え火をやってみる
御先祖さまをお迎えにするために焚く火。これもおがらというものが最適だそうですが割り箸で代用です。
植木鉢の下の皿に燃えるよう新聞紙をひいて割り箸に着火....
しかし、ものすごく風の強い日でなかなかつきません。
なんとなく燃えたのでこれでいいかなあ...新聞紙のひのこが激しく飛ぶので断念。
おじいちゃんたち、来てくれただろうか。
送り火をやってみる
ナスときゅうりがしなしなっとしてきた4日後、送り火をやってみました。
結局少ししか燃えなかったものの、炎は確認OK。
手を合わせて、じゃあねまた来年来てねっと一人と一匹を見送りました。
お盆をやってみた感想
犬を火葬するときに、犬が好きだったものをおもわずたくさん、棺桶の中にいれました。
焼けてしまったあとも、餌とかおやつとか、骨ガムとかかじって過ごせますように...
宗教色の全くない我々ですが、その感覚は自然とおりてきました。
お盆の間だけ帰ってきてくるというコンセプトは、残された者がひねりだした、寂しさをやわらげてくれる考え方だったのだと納得できます。帰ってきてくれたら嬉しいし、なんか安心。
改めて、宗教とは死を乗り越えるために発生したんじゃないかな〜と思いました。
お盆という行事の歴史や由来を調べてみて実感しました。
盆棚をかざりつけるときに周囲を片付けたり、改めて故人が何が好きだったか考えたりする時間もできました。
一年の中に一度そういうことする時間が大事。
精霊馬って初めて作ったけど、旬の野菜を馬とかにみたてて「そこに御先祖様が乗ってやってくる」と思うだけでちょっとその様子が想像できてリアリティが増します。愛らしい工夫です。
堅苦しく考えず、これからも毎年ゆるくお盆をやっていきたいな〜と思ったそゆる姉妹でした!