おみやげ文化について知る
そゆる妹です。
神崎宣武著『おみやげー贈答と旅の日本文化』を読みましたので、ちょこっと共有できたらと思います。
わたしたちの知ってるお土産
幼少期の半分くらいをヨーロッパやアメリカで過ごしました。
そして、大人になってからも何度も欧米を訪れたりしています。
その頃から、ヨーロッパとかって、いわゆる「お土産」にしやすいものが少ないなって思っていました。
ですが、この私の頭の中にある「お土産」こそ、日本独特のものであって
世界のどこにもない感覚なのかもしれない。この本を読んでそう思いました。
日本の旅行先に行けば必ず、
・小分けになっていて配りやすく
・地名が記されていて
・その場所に行った人だけのプレミア感があり
・日持ちがして嵩張らない
そんな特徴の商品をいとも簡単に見つけることができます。
(パッケージだけが違っていて、中身のお菓子は同じものを複数の旅先で見つけることだってザラです)
このいずれの特徴ーつまり、私の頭にあった『ヨーロッパとかでは探しづらいお土産』がなぜ日本で発達しているのかが、全てこの本で説明されたように思います。
お土産の原型
お土産の原型は「ミヤケ」…つまり、神との交流の儀式に使用されたもののこと。主には貴重なお米や、それを加工して作った餅やお酒でした。
こうしたものには神の「おかげ」が宿ります。
儀式に参加することができた者は自身の家や村に持ち帰り、みんなにその
「おかげ」をお裾分けしました。みんなで幸せを分け合ったのです。
こうした分け合う行為は、互いの縁を強く濃くする意味合いがあり、
家や村への贈答慣行としてさらに発達します。
神前に備える供物を分け合ったことのほか、人間の一生における通過儀礼や、年中行事に際してお互いの幸せをお裾分けする意味として進物を送り、またそれに答える…
贈り方のスタイルもできあがってゆく
日本の贈答文化はこうして高度に発達しました。その証拠に、贈答様式は一種のしきたりとして定められています。元々は神に捧げる供物そのものだった鮑や、その包み方などがデザイン的に整理、洗練されていき、簡略化が重ねられ地位が得られました。
現在でもその形式は厳格に残され、我々の生活に割としぶとく根付いています。(我々は若干それに苦しめられています…。)
旅に行く者の責任
分け合いの背景には講なども絡んでいます。講、つまり地域単位で相互秩序をするための集団がお金を持ち寄り、毎年持ち回りで順番が回ってきて、お参りに行きました。
もちろん、実際に行く当事者は責任重大。手ブラで帰ってくるわけにはいきません。
また、江戸時代に入り旅が安全にできるようになったことや、饅頭などのお菓子の出現で小分けにしやすい商品が開発されたことなどにより現在のお土産文化につながる土台ができていきました。
一部の参列者だけがあやかることのできた神の「おかげ」を、家に村に持ち帰りみんなで共有する行為こそ、連帯感や帰属意識の高いことの現れです。
こうした感覚が日本のお土産の形態を作り上げたのだなと感心します。
会社勤めなどをすると、個人的な旅行で休んだりしたらお土産を買って帰らないと後ろめたくなったりしますよね。
同じ感覚だな〜
姉妹でこのおみやげ本について語った動画もよろしければみてみてください。
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