クリープハイプの日 2023 愛知
「だからそれはクリープハイプ」を投稿してから約5ヶ月後、9月8日。私は名古屋センチュリーホールの座席に座っていた。あと30分後には、「クリープハイプ」がそこに現れる。緊張と興奮で、意味もなく手のひらをグーとパーにしたり、メモ帳を置いたり持ったりしてしまう。会場の天井から灯される灯りが、私の落ち着かない手元を照らしていた。
次第に天井の灯りは消え、メンバーが登場する。
「思わず止めた最低の場面」
高揚する心にやさしく触れるように、尾崎さんがアカペラで歌う。尾崎さんを照らす青い光は、私を日常から非日常の世界へと導いていく。青い光に水色の光が混ざると、まるでプラネタリウムのなかで歌っているようだった。そんな『ナイトオンザプラネット』から「クリープハイプの日 2023 愛知」は開幕した。
2曲目は『キケンナアソビ』。好きな曲ではあるけど、正直、ここ最近のライブで何度も聴いているせいもあり、新鮮味はなかった。それでもピー音の部分で「今日はクリープハイプの日だからやめといた方がいいんじゃない?」と言われて胸が高鳴ってしまうのは、まさにこの曲の主人公の心のようで、少し悔しくもなった。曲が終わり、尾崎さんが囁くように「ありがとう」と呟くと、後ろの席から「やば…」という声が聞こえた。
MCを挟んだ後の3曲目『一生に一度愛してるよ』では、前曲で「新鮮味がない」と感じていた私の浅い部分を、アップテンポなメロディが容赦なく刺していく。サビでは、クリープハイプのライブの見どころといっても過言ではない、幸慈さんのステップが炸裂した。反復横跳びをしているかのような軽快なステップは、見ている人をその楽曲の中へと巻き込む力がある。気がつくとちゃんと奥の方まで刺されていた私は、自然と体が揺れていた。
4曲目は、力強いドラム音から始まる『かえるの唄』。カオナシさんの、包み込むようなやさしさの中にある、芯のある歌声が好きだ。カエルがまわりの環境に合わせて体色を変えるのと同じように、カオナシさんのリードボーカルの時の歌声は、サブボーカルの時とはまた違った魅力を感じさせる。カオナシさんが考えていることはもちろん本人にしかわからないけど、彼の曲を聴いていると、少しだけその脳内にお邪魔させてもらっているような気持ちになる。そんな気分で聴いていたら、サビの終わりにカオナシさんが「茹だれ名古屋」と言い放った。その口調にドキッとした私は、静かにその脳内から退出した。
そして5曲目に『身も蓋もない水槽』、6曲目に『社会の窓と同じ構成』が続いた。拓さんが頭をガンガン振りながらドラムを叩いていて、その茶色いウェーブがかった髪の毛が顔に振りかかるたび、私の髪の毛も頬に触れた。「幸せになる確率10%以下」の後に少し間ができると、客席から歓声が湧き起こる。尾崎さんが「こっちは1年に1度の大事な日を愛知に捧げてるのに…って言おうとしたけど、わりとデカい声が出た」と言って曲が再開されると、会場がさらに揺れたのが体感でわかった。続いて7曲目の『HE IS MINE』のイントロが流れると、会場の熱気はますます上がった。そんな中で発せられた“アレ”の大きさは、前曲での「わりとデカい」を一段と上回るものだった。もう歯応えなど感じられないくらい、名古屋は茹で上がっていた。
MCを挟み、『ホテルのベッドに飛び込んだらもう一瞬で朝だ』『目覚まし時計』が続く。そして、ピンクの光に照らされた尾崎さんの「少しエロい春の思い出」から始まった、10曲目の『四季』。そのピンクの光は夏のパートで青、秋でオレンジ、冬で白へと変わり、ラストの「少しエロい春の思い出」で、また元のピンクに戻る。私たちが四季を生きているように、クリープハイプも四季を生きている。過ぎていく季節のなかで、なにかを許したり、なにかに許されたりして、そうやって生きていく過程で創られた楽曲がある。愛する人やものに対して、「変わらないでいてほしい」と思うのは自然な感情かもしれない。だけど、変化があるからこそ次の季節は訪れて、初めて見える景色がある。移ろう鮮やかな光に照らされた4人の姿は、とてもきれいだった。
11曲目の『AT アイリッド』で、私は再びカオナシさんの脳内へお邪魔した。やわらかくて、つい首を横に揺らしてしまうような穏やかなメロディ。できることならずっとここに居たいと思う、夢心地な時間。そのまま瞼を閉じそうになったところで、尾崎さんから「いいかげんに目を覚ましなよ」と起こされた。やっぱりカオナシさんの脳内に、あまり長居はできなかった。
MCを挟み、『ラブホテル』『リバーシブルー』『ボーイズENDガールズ』が続く。15曲目の『イト』ではイントロでいつもの手拍子が鳴り、会場の揺れを再び感じた。そしてサビで飛び出してきたのは、またもや幸慈さんのステップ。先ほどよりも広範囲なステップだ。反復横跳びだとしたら、隣の人の線まで踏んでしまっている。だけど幸慈さんには、いつかその線が消えるまで、ずっと踏み続けていてほしい。
MCを挟んだ後に暗転すると、暗闇のなかから、何かを燃やしているような“パチパチ”という音が聞こえる。やがてその音は前奏のメロディと重なり、パチパチ音と入れ替わるように尾崎さんの歌声が響き渡る。その楽曲の正体は、9月6日に配信されたばかりの新曲『I』だ。最初のサビの後に続く、幸慈さんの艶やかなギターに魅了されていると、まっすぐな「好き」という言葉が、私の聴覚へゆっくりと入り込む。その入り込むまでの時間は、言葉の文字数と重さは比例しないことを感じさせてくれる。1番のサビの後のドラムソロで、拓さんにピンスポットがあたった。その姿に思わず見惚れ、聴き惚れた。そのことをたぶん、拓さんは知らない。
その後、『本当なんてぶっ飛ばしてよ』『チロルとポルノ』が続くと、尾崎さんが突然「曲変えるわ」と言った。周囲から「珍しいね」という声が聞こえる。確かにこんなことは滅多にない。しっかりレポートを書かなきゃ、とボールペンを持つ右手に力が入る。だけどその数秒後、スネアのフチを叩く音を聴いて、右手どころか体中のすべての力が抜け落ちた。この音から始まる曲は、アレしかなかった。
その曲は、いつも私の中の「そこ」にいた。私が必要とするときに「そこ」から出して、終わったら傷がつかないように、大切にまた「そこ」へ戻す。その曲を今、本当の意味の「そこ」で彼らが奏でている。それは真実ではない。紛れもない事実だった。曲が終わり、手元のメモ帳に視線を移すと、なんの感想も書けていなかった。残っていたのは、力のない細いインクでかろうじて記されていた、『大丈夫』という文字だけだった。
長い拍手の後に、『さっきの話』『幽霊失格』が続いた。『幽霊失格』はライブでは初披露となる曲だったが、最初の“ヒュードロドロ…”(これ以外の表現方法がわからない)の部分がドラムとギターで表現されていて、思わず鳥肌が立った。その後に『イノチミジカシコイセヨオトメ』が続き、「クリープハイプの日 2023 愛知」は『二十九、三十』で幕を閉じた。
「また必ず会いましょう」と尾崎さんが私たちに伝えてから1日後、9月9日。私は自宅の台所で洗い物をしていた。非日常から帰ってきたあとの日常は、いつも以上に日常だ。そこには見たくもない現実がちゃんと存在していて、思わず瞼を閉じてしまいそうになる。だけど今は、鍋の底についた汚れを落とすため、瞼をひらいてスポンジで擦る。日常を生きれば生きるほど、非日常の世界で照らされた光がより美しく見えることを、1日前に教えてもらったばかりだから。
それでも、鍋の底についた汚れはなかなか落ちない。私の泡だらけの手元と底を、蛍光灯の灯りが照らしている。
(文:ぽめ)
(撮影:岩本彩)