こだまでしょうか
私の好きな、金子みすゞさん。
みんなちがって、みんないい
有名な詩です。
私と小鳥と鈴と、という詩の
最後の一節です。
歌で聞いたこともあるかも?
これを残されたのが、
金子みすゞさんです。
今回は、金子みすゞさんの詩と、
noteをからめて、いつも通り
ダラダラと書きます。
御用とお急ぎでない、寛容な方だけ、
暇つぶしにお立ち寄りいただくと
幸甚に存じます。
ではでは。
金子みすゞさん、
こんな感じの詩も残されてます。
・・・・・・・・・
こだまでしょうか
『あそぼう』っていうと、
『あそぼう』っていう。
『ばか』っていうと、
『ばか』っていう。
『もう あそばない』っていうと、
『あそばない』っていう。
(~中略~)
こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。
・・・・・・・・・
正確な詩の内容は、また
各自お願いします。
(いつもの説明放棄)
詩の解釈は、人それぞれ、
でいいと思ってます。
絶対こういう解釈してくれ!
があるなら、そう伝えるべきで。
詩って、よく分からないですが、
人それぞれ、心で捉えたら。
それが、詩のスタイル。
なんじゃないかと。
勝手に自己解釈してます。
で、この、金子みすゞさんの、
『こだまでしょうか』
の詩について、私の解釈。
私は、好意の返報性について、
金子みすゞさんなりの、
考えを教えてくれている。
そう、思うのです。
スキって言われたら、
相手もスキになってくれる?
まぁ、そういうこともあるでしょう。
もうスキじゃないって言われたら、
相手もスキじゃないってなる。
こだまでしょうか?
と問う。
これは、ただ、機械的、
作業的に、返ってくるのか?
と、たずねている。
こだまってのは、単なる物理的な反射。
いいえ、だれでも。
と、つなげることによって。
対象が、人になってる。
こだまから、人へ。
誰だって、人である以上、
誰だって、感情はあるんだよと。
機械じゃないよ、と。
ここまで考えてきて。
二通り、あるな、と思いました。
だれでも、機械じゃないけど、
こだまみたいに、返ってくる。
→だれでも、そうなんだよ。
だれでも、こだまみたいに、
機械じゃないから、いつでも
返ってくるわけじゃない。
→だれでもってわけじゃないよ。
どちらでしょうか。
後につなげる言葉によって、
どちらともとれる。
ここまで考えて、
ひょっとしたら、最後、
言葉が隠されてる!?
こだまでしょうか?
いいえ、だれでも。
とある。
だれでも、と、人につなげてる。
ただ単に、こだまに似てる、
ってだけなら、
こだまみたいだね、
こだまと一緒だね、
で締めたらいいはず。
だけど、
いいえ、だれでも。
いいえ?
この、いいえ?は、
何を否定してる?
こだまの否定??
からの、、だれでも、、、
何よ!?何だ??
そのあと、大事やないの?
なんか言葉、いるんと違う??
だれでも、そうだよ、
もつながるし、
だれでも、そうじゃないよ、
もつながる。
一番重要な、白か黒か、
の判断を、読み手に委ねてる。
あえて、そうしたのかも。
キタこれ。
なんか、考察っぽいゾ!
(そうか??)
まぁ、だれでも、
はこのくらいにしといて。
誰だって、スキって言われたら
意識する。
自分をスキって思ってくれる相手を、
スキになる場合も大いにあり得る。
noteと似てますよね。
これ、でも難しいんですよね。。。
似てるけど、現実の『好き』と、
note上での『スキ』は違う。
もう、だいぶ語ったネタに繋がりそう。
スキについてはとりあえず。
note上では、スキ→フォローする、
につながる場合もありますね。
スキって言われたから、
意識し始めて、だんだんと好きになる。
まず、どういう人がスキって
つけてくれたのか。見に行く。
形としては、こだまみたいに。
そのまま、スキを返す場合もあるし、
フォローにつながる場合もある。
こだまは、ただの物理現象。
いいえ、だれでも、
となると、人のこと。
人と、物理現象は違う。
同じように、物理現象で対応、
しちゃいけない。
結果的にそうなるなら、まだいいけど。
(いいんかい)
こだまでしょうか?
いえ、だれでも。
noteしてる人なら、誰でも?
いつでも、どこでも、誰とでも?
こだまでしょうか?
あなたは、こだまですか?
それとも?
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