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048◎№155『まとめ【美と貴さの象徴・真珠(Pearl)について】その4~その5』
◎№155『まとめ【美と貴さの象徴・真珠(Pearl)について】その4~その5』
おはよう、テルです。
今回は、『まとめ【美と貴さの象徴・真珠(Pearl)について】その4~その5』までのお話をします。
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◎『真珠』と人類との歴史や伝説。
○古代エジプトでは、紀元前3,200年頃から既に愛用され、『クレオパトラ』が酢に溶かして美しく大変貴重な真珠をおしげもなく飲み干すことで、エジプト王家の威光を示したという話は有名です。
○古代中国では紀元前2,300年頃、ペルシャでは紀元前7世紀頃、ローマでは紀元前3世紀頃から真珠が用いられていたという記録が残っています。
○古代メソポタミアの歴代の王朝は真珠を愛好し、当時の遺跡からまとまった数の真珠が出土しています。
○それから1世紀頃になると、古代ローマ帝国の人々はインドと交易を行うようになり、真珠や宝石がローマにもたらされました。
○ヴィクトリア朝からエドワード朝にかけてのイギリスでは、その上品な美しさから真珠が大変な人気を誇り、20世紀初頭の真珠の価格はダイヤモンドよりも高価だったと云われています。
◯大航海時代のヨーロッパの国々では、マルコ・ポーロが「東方見聞録」の中でオリエントではインドと日本で美しい真珠がとれることを伝えると皆オリエントを目指しました。
○結果的にスペインのコロンブスは、ベネズエラに到着して真珠を発見し、ポルトガルのバスコ・ダ・ガマはインドに到達し、真珠を発見し、さらにセイロン島にも進出して真珠を採取しました。
◎日本人と真珠の歴史。
○邪馬台国(やまたいこく)の時代より魏(ぎ)の国(現在の中国)へ白珠(真珠)5,000を送ったと1,700年前の書物である『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に記録が残っています。
○奈良時代になると、真珠は天皇の衣冠束帯に欠かせない物になり、位の高い人々の象徴の品でもありました。
○『日本書紀』や『古事記』、『万葉集』にも真珠の記述がありますし、『万葉集』の中には56首の真珠の歌が詠み込まれていたと云われています。
○その平安時代の歌集『万葉集』には、『あわびだま』、『しらたま(白玉)』として主として恋の歌の中で『愛すべき貴い女性』の象徴として真珠が詠まれています。
○この当時は、真珠を『あわびだま』、『しらたま(白玉)』の他にも『たま』、『まだま』などと呼んでいたそうです。
◎真珠は装飾品としてだけでなく、呪術的な意味も持っていました。
○仏教の七宝に数えられることもあり、寺院跡地からは建立時の地鎮祭に使われた鎮檀具の一つとして真珠が出土することもあります。
○真珠には魂や生命の象徴という意味合いが込められていて、その独特の輝きから眼病薬や解毒剤としての効能があるとも信じられていました。
◎『真珠』は、仏教説話の中に出てくる『如意宝珠(にょいほうじゅ)』として、アジアそして日本でも不思議な魔力を持つ宝物だと考えられていました。
○『如意宝珠』とは、文字通り『意の如く』願いを叶えてくれる魔法の宝物のことと云われています。
これで『まとめ【美と貴さの象徴・真珠(Pearl)について】その4~その5』を終わります。
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