砂曼荼羅をこの目で見たい
『砂曼荼羅というものを知ってから曼荼羅に興味が湧き、描いてみたいと思うようになった』という記事を書いたのが、5年ほど前でした。
砂曼荼羅というものを知ってから、ずっと、見てみたかったんですよ。
本物を。
チベットの僧侶による砂曼荼羅の制作風景がこの目で見られる、4日間に渡り砂曼荼羅の制作を披露してくれる展覧会がある、期間中は現地を訪れた写真家ND CHOW (アンディ・チャオ) 氏の写真も会場にて展示される、というので「これは絶対見に行かねば」と、2日目に行って来ました。
方向音痴の力を存分に発揮し、駅から徒歩3分のところを遠回りして10分くらいかけて到着した入口では、アンディ・チャオさんの写真がお出迎え
中を覗くと、素敵な写真たちをバックに、砂曼荼羅を制作されていましたよ。
お〜〜〜〜〜!
これが、見たかった!
すげ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
ただただ、感動。
脳みそスパーク。
アドレナリン大放出。
それはもう、大興奮ですよ。
数年前、制作過程を動画で見たことがあったんです。
曼荼羅の真上に設置された定点カメラで撮影しているもので、何日もの間僧侶数人が中心から少しずつ曼荼羅を仕上げていく様子が映し出されていた映像に引き込まれまして、「この目で見てみたい」って思ったんです、この時に。
砂曼荼羅の記録って、あまりないんですね。
ワタシが砂曼荼羅をはじめて見たのは写真だったんですけど、最初それが砂で出来たものとはわからず、「なんて綺麗な絵なんだろう」と思って色々調べてみたところそれは砂曼荼羅だった、と知ったわけですよ。
砂?
マジか!
と驚愕して、その絵柄をもっと色々見てみたいと調べまくったのですが、情報が少なく、画像はほとんど見つかりませんでした。
それもそのはず、砂曼荼羅は出来上がったら壊しちゃうんですよね。
チベット仏教では、色をつけた砂で作る曼荼羅が特に一般的で、浄化を表すとされています。 祈祷のために作られた砂曼荼羅は通常、物質世界の無常を象徴する行為として、祈りを捧げた後はすぐに壊してしまうんですって。
『曼荼羅』はサンスクリット語で「円」を意味し、仏教の中でも特に密教で考えられている世界や宇宙の構造を絵柄で表したもので、真理に近づくための道しるべ、なんだそうです。
そこから、チベットの曼陀羅は「全体・総体」を意味するもので、「生命そのものの組織構造のモデル」ともみなされているんだとか。
ちなみに、チベットで作られる曼荼羅は大きく分けて三種類に分類されます。
1. 砂で描く砂曼荼羅(ドゥルツォン)
2. 布に描く絵曼荼羅(レーディ)
3. 木や宝石で作られる立体曼荼羅(ローラン)
砂曼荼羅は、寺院や団体が何らかの発願をしてその成就を願って執り行なう儀式の中で作成されるんだそうですよ。
普通、砂曼荼羅の制作期間はおよそ1週間。
僧侶たちが鮮やかな色彩に着色された砂を金属製のロートに入れ、ロートを擦る振動で砂を落としながら、木製の壇上に曼荼羅を描いていきます。
仏教にまつわる神聖な幾何学的図象で構成される砂曼荼羅は、(私たちが暮らす) 宇宙と精神世界の無限の複雑さを表現し、ブッダの「浄土」を描き出しているんだそうです。
腰を深く折り曲げ、長時間に渡って砂を落とすその姿は
まさに修行。
砂曼荼羅を描けるようになるまでには、約5年の訓練が必要なんだそうです。
今回の展覧会では、曼荼羅作成の課程を修了されているクシュー・ソナム氏とアシスタント (?) 的な方のお二人で制作されていました。
極彩色の砂は、以前は色のついた宝石などを使っていたそうですが、現在は石を粉にして不透明染料で着彩したものを使用しています。
今回使用した砂たち ↓ は
日本に来てから作った (色をつけた) そうですよ。
残念ながら、ワタシは完成した砂曼荼羅をこの目で拝むことはできず、見られたのはここまででしたけど
展覧会最終日には、こんな感じに完成したようです。
今回の砂曼荼羅は4日間で仕上げなければならなかったので、最終日の前日は夜中まで制作されていたんだとか。
2024年元日に大きな地震が起き、その他災害が重なる日本へ祈りを捧げに来てくださったと聞きました。
砂曼荼羅は完成後すぐに壊され、砂に戻った曼荼羅の祈りは川に流されることで海に広がり、やがてその祈りは世界に広がっていくことになります。
曼荼羅を作ることが目的なのではなく、川に流すまでの一連の流れには「永久不変なものなどない」という "諸行無常の教え" が根底にある、ということです。
砂曼荼羅において制作過程が極めて重要といわれるのは、選ばれた各色が曼荼羅に捧げられた神々の象徴そのもので、制作する際には儀式、瞑想、祈祷が必要となるからです。
最終日「破檀の儀式」によって、曼荼羅は壊されました。
最も意味深いのは、ここ。
完成した砂曼荼羅の美しさと図柄は後世に残されることはないけれども、散りゆく過程こそが、『あらゆるものは無常であり、自然に還っていく』ことを切実に思い出させてくれるという、砂曼荼羅創作においてもっとも意義のあることとされています。
『 " 破壊する行い " ではない』、ということですね。
深い。
砂曼荼羅をこの目で見たことで、これから制作する自身の作品がどう変わっていくのか?
今からワクワクしています。
砂曼荼羅制作風景に興味がある方は、こちらをどうぞ↓