ハリー・ポッターと世界の再魔術化
先日、東京ステーションギャラリーで開催されている「ハリー・ポッターと魔法の歴史展」を鑑賞した。
ハリー・ポッターと魔法の歴史展 - 2021年秋より兵庫・東京2会場で開催 (historyofmagic.jp)
この展覧会は第一作「ハリー・ポッターと賢者の石」出版20周年を記念して大英博物館で行われた展覧会(Harry Potter: A History of Magic)の国際巡回展。J.K.ローリングの原作に基づき、ハリーが通ったホグワーツ魔法魔術学校の科目に沿って、全10章で大英博物館の所蔵品を中心に貴重な資料が初公開されている。 その章だては、第一章「旅」に始まり、魔術薬学、錬金術、薬草学、呪文学、天文学、占い学、闇の魔術に対する防衛術、魔法生物飼育学そして過去・現在・未来という道筋を辿る。大英博物館での開催を記念して公開されたJ.K.ローリング自身が登場するドキュメンタリーはアマゾンで観ることができる。
実は、私はハリー・ポッターにはほとんど関心がない。映画も最初の作品のみで止めてしまった(同時期に公開された「ロード・オブ・ザ・リング」は全作品を観た)し、本は一冊も読んでいない。そんな私がなぜ、この展覧会に関心を持ったのか?それは「再魔術化(reenchantment)」という言葉がいま、キーワードだと思ったからだ。
「デカルトからベイトソンへ-世界の再魔術化」という本がある。
デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化 | Berman,Morris, バーマン,モリス, 元幸, 柴田 |本 | 通販 | Amazon
著者は、アメリカの歴史家、社会批評家のモリス・バーマン。冒頭でこう語られている。
近代という時代は、その精神面に焦点を合わせるなら、しだい「魔法」が解けていく物語として語ることができる。16世紀以降、現象面から「精神」なるものがみるみる追放されていった。
その結果・・・
近代を一望すれば、それは“how(どのように)”の問いかけが“why(なぜ)”の問いかけを浸食していった時代としてすら見えて来る。
そのプロセスを、同書は450頁に渡って解き明かす。最初の日本語版は1989年に出版されたが、2019年に復刊された。21世紀に入り、この本が説いた資本主義や科学志向の行き詰りが、いよいよ現実化したからだろう。ちなみに、ローリングがハリー・ポッターの物語を着想したのが1990年。第一作は1997年に出版され、映画第一作は2001年に公開されている。
「ハリー・ポッターと魔法の歴史展」に紹介されている「魔法」の多くは、決して空想の産物ではなく、その時代の謎を探求する方法論だった。かつて、世の中は謎に満ちていて、それを解き明かしたい人々の「好奇心」や「イマジネーション」も満ち溢れていた。その探求が進化し「科学」になって行く。例えば心理学も、ほんの100年前、フロイトの時代には怪しい魔術のような扱われ方をしていた。フロイトとユングの出会いと葛藤、別離を描いた映画「危険なメソッド」には,神秘的なものに傾倒して行くユングを「ただでさえ、我々の研究は怪しいと言われているのだから」といさめるフロイトの姿が描かれる。
しかし、我々を取り巻く謎が次々と解明され「科学」が支配するのと引き換えに、失われたり忘れられて行ったものもある。その最大の「忘れ物」こそ、人間本来が持つイマジネーション(想像力)でありクリエイティビティ(創造力)だったのではないか、という思いをこの展覧会の鑑賞を通じて新たにした。
ハリー・ポッターに洋の東西を問わず世界中の人たちが長年に渡って魅了されるのは、謎と向き合って来た結果、失って来たものを取り戻したい、という思いがあるのだ。その思いは、新型コロナという「魔法」によって世界が一変したいま、その力を増しているのではないか。それが、人間が本来持つ忘れ物の回復にもつながって欲しいと思う。