多核種除去設備と海洋放出
紆余曲折の末の処理水。
変遷と現状とこれからをもう少し国民は自ら勉強するなりして、知って然りのことだと思っている。
12年頃と10年を経た今、技術的にも似て非なるものになっていると見受けられる。
当初の東芝の多核種除去設備は理想とは程遠く、稼働させると取りきれないダメダメ処理水が出てきていたのを思い出すが、その後の日立のそれはまるで違う結果だった記憶。そこからすでに6年くらい経過し、さらに除去性能は向上している。
数値に表れない、または今の技術視野では網羅しきれないものは“見えない”ので、勘案する事も出来ぬが、表示数値の状況であれば海洋放出は適正なのではないかと言える。
騒ぎ立てることも時には必要だが、中韓の口車に乗せられて騒いでるのならそれは少し違う。
ならば、彼らが放出している処理水は調べたことがあろうか?フランスやイギリスなど含め世界中で海洋放出されている“処理水”についてはどうだろうか。
いや、もっと以前の原発稼働がはじまる前と後の数値は誰か調べたことはあろうか。
恐らく、誰も知らないことが数多くあろう。
で海洋放出が終わりではなく、今の我々の限界(いつその限界突破が可能かは分かりかねるが)のところまで処理をし、そのあとは“自然の力”を借りるというのが、最良なのではないかと思っている。
人の想像を遥かに超える自然。
そもそも自然とは“人手を加えない。物のありのままの状態、つまり成行き”を指し、まさに“地球時間”による浄化作用という成り行きに任せるのだ。
そう考えればある一定の基準というものがつまり地球に渡すバトンであって良いと思う。如何せん、我々の時間軸では数十万年を半減期とするような物質に対抗などできないし、それを消せるような便利な“ツール”はないので、数十万年を“昨日のことのように扱える自然”に渡すべきである。
勿論技術のブレークスルーは必要だし、腐らず続けることですごい技術が発掘されるやも知れない。無論、確証は勿論ない。
BBCの7月のレポート。
真実と恐怖は結果としてあらぬ諸々を含めて後者が勝つのが人。あまりやりすぎる先に、結果として己の首を締め続けることにしかならないとも思うし、恐怖に支配された人は攻撃的で理性を失ってのべつ幕無しに害悪となり得ることもまた気を付けねばならぬことである、ということを気付かせてくれる・・
政府が信用に足るかどうかは議論の余地はなさそうだが、故に全てが信用ならず、嘘をついてとんでもないことをしているというのもまた“とんでもない”話だ・・