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ご都合主義な解釈のもとに
知っている人は知っている・・(いや知らない、または知りたくない蚊帳の外に置いている人たちの方が多いか・・)
この記事からわかったと言うわけでもないが。。
世界の事業とは至極身勝手な都合によって創り上げられている、と。
見てくれの良い数字と響きの良さげな言葉によって固められた先に出来上がると言う実態は恐れ入るのだが、この辺りが侵略的資本主義なる暴力的な拝金主義の限界ではないかという感覚。
自分が経済活動という社会の金の流れから蚊帳の外にいることで見えるその酷すぎるロジックは驚愕するという言葉がすとんと当てはまる。
そんなことはないと反論したい方も相当いるだろうと思うのだが、その界隈でいろいろやってきた人としては反対に“イヤイヤー”って感じ・・
ANDARTとかいうアート投機のアプリなんかを見ているとまさに拝金主義!って感じで世の中、金になるならどんなものも暴力的にその金絡みのプラットフォームにのせたがる・・
ある日突然じゃないところがこういうモノの薄気味悪いところである。
金になるからなんて微塵も考えていなかった”Dorothy and Herbert”の話の中にアーティストとアートの本当にリレーションシップがあると思うが、そんなこと昨今のコレクター擬な連中には皆無だろう。
彼らはあるインタビュアーから「買い手は大勢いたのに何故売らなかったのか?」という質問に対し「お金よりコレクションの方が大切だから」と。
僕は質問がそもそも間違っているという風にしか思わないが、今のコレクターにこんな金より作品の方が愛着もあるし楽しいし、大切っていう人がどのくらいいるだろうか?(最近騒ぎ始めて金目当ての偽コレクターに対してだが・・)
話が散漫になってしまうが、つまりはこのアートの話にも最初の話にあったような要素が多分に散りばめられている。
現代アートは金銭的価値があって未だ過小評価されているから高騰する、だから投資して儲ける、みたいなものだ。
その中でもまたひとつ気になる話題がラリー・ガゴシアンのあれだ・・
誰が描いたかということよりも誰がそれを評価したかでその価値が不用意に乱高下するという不都合な真実を晒したわけだ。
これは実話で、映画になった2011年公開の”Intouchables”の作中で無名のフィリップが描いた絵画がアブデルの知人コレクターに€11,000で売れるなんてのもまさに、誰が何を言ったかの典型であり、まさにラリー・ガゴシアンとアンナ・ワヤントのそれと同じである。
ちょっと偏った例での話ではあるが、概ねこれが流れかなと思うと、新しい何かというものは妄想でどっかの何かという過去のいずれかを引っ張り出して新しいモノのように装っているだけである・・
高が・・という話でしかない。
そういえば、ここのところの話題にエリザベス・ホームズが創業したセラノスの話なんかもシリコンバレー最大の詐欺とかってのが集中砲火にあっているが・・”Fake it till you make it”というなら、この話はずっと続いていて、これから本当に数滴の血で解決されることになったらすごい話であるが、スタートアップという意味不明な文化によってなんか数ヶ月とかで魔法のように肥大化する時価総額という妄想ともっともっと金儲けをという卑しい世界がこの手のあらゆる妄想を肥大化させ世界を悪化させているんじゃないかな。
ってことで、随分散漫な・・はご容赦いただき・・皆さんはどんなふうに世界とかお金周りのことを考えているのか気になります。