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8mmのリアリティ

ふと、目に止まった2025年1月10日公開予定の“劇映画 孤独のグルメ”関連のスペシャル対談のYouTube動画。

4Kとか8Kがリアルだというのは画質と言えば良いか画素数と言えば良いか、その辺りの高精細化が本当のところ“本質”や“リアル”というものを表現できているかと言われたらかなり怪しい。
SP盤にハイレゾリューションをはじめとしたデジタルは遠く及ばない。
デジタル世界の限界は明らかにある。

松重豊と甲本ヒロトの対談は深く同意ができるものだ。
彼らの言う時代、僕はまだ小学生の頃になるけれど、明らかにもっと豊かだった。
そこかしこにアナログの凄みがあったし、自宅でもレコードプレーヤーが活躍していたし、僕がピアノをやっていたこともあってアナログがそこかしこにあって興じていた。
あらゆる“本物”が当たり前にそこにあった。特段神経を尖らせてそれを求めなくても、である。その時代は懐かしく、輝いていた気がする。

それが今は全く異なる・・
通信速度をどれだけ上げていっても、どれだけ高画質と言われる8Kや16K、いや32Kの時代が来たとしても“それ”に少々近づいたということであって“それ”とは程遠い“紛い物”と言えるものでしかないのだろう。
コンサートホールで聴く音楽や、この数年に流行って急ブレーキをかけ始めたオンライン・ミーティングの類もそうだ。
擬似にもなっていない、それとは程遠いものに満足をしてしまうということは、つまりそのものを感じ取る感覚を自ら放棄するということでしかないと言える、と僕は考えている。安直な置き換えによる満足のバーを下げるのは本当に危険だと改めて認識する。あまりこういうことをいうと怒られるのだろうが4-50年時計を巻き戻すのが良いと考えている・・と言ってもそんなことはどうにも起こり得ないだろうけどもね。

今の人たちには“その感覚”自体が存在していない気がするし話題としてそれを取り出したところで体験がほとんどないからわかるってのは嘘だ。時代の流れの中で“本質”や“本物”は置き去りにされ忘れ去られるのが運命なのだろうか???

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