ただの無礼者
ただの無礼者。
ネットの匿名性が担保されているところでは仰る通りな話だと思うが、実際にはそれ以外のところにあってもこの類が多い。
こういうの、ちゃんと飲み込んでから考えると耳の痛い話ではないか?
ただ、だからと言って歳上だったり目上ということだけで図に乗るべきではないということもまた然りだと思っている。
互いが尊重し合う前提があってこそ成立する話、今のご都合社会にあって儒教とて成立し難いと、僕は見ている。
先日ある人と“シラス”と“ウシハク”の統治的な話の中でウシハクを内包するシラスさえ、グローバリズムかつ自己以外はウシハク統治な中にシラス統治が輝くどころか攻撃の対象になり得る時代には有効じゃないかもしれない、と。
この部分だけを取り出しても果て何のことやらと思われてしまうけれど・・
ネット上の話は匿名でなくても、もはや成立困難または不可能と思しきことを無責任に発信しまくる“掃溜め”でしかない。有益な情報を探すのは本当に困難を極めるが、一向にネットや仮想への偏向は収まるところを知らないというか、ますます拡大させ投資が集中している。
ここらで、やっぱりフィジカルかつ土台になる人を育てるに投資を傾けることが本当は一番大切なんだ、と言い続けているけれど、我々の力だけで何らか実現は相当厳しい・・どんなに良いことを言って、やっていても“風潮”にはどうやったって敵わない。
一足早い春の道明寺。