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不合理・非効率が生む価値
うまく言えないのだが、労働集約型が不合理で非効率だという風潮が文化やあらゆる良質なものを破壊すると僕は思っている。
16時間を超える無給人員が重要な準備を賄っているということは感心しないが、人気を一手に引き受けるような有名店での修行にはあらゆる体験が詰め込まれているだろうし、その後のキャリアにおける得点や諸々のご褒美的なことあろうと思う。(有名建築家のアトリエなどのオープンデスクや薄給にも同じ側面があり、またここも超労働集約型である。)
でも本気で物事に取り組むと、自然とそういう形になってしまうというのもまた否めない。いろんなことを考えればそれだけ難解になるし、それを手間暇を惜しむことなくひとり一人、または最小単位のグループに提供するとしたら・・自ずと莫大な時間と手数が掛かるのは必然ではないか。
この問題は結局、社会の風潮にあるわけだ。
安直で刹那的な物事や拝金主義が蔓延し、手っ取り早く何事も合理的に効率的に・・と、そんな都合の良いものではないことくらい少し考えればわかるはずだ。
誇大広告の挙句に展示されているモノが碌でもないモノであっても一杯食わされたと笑って帰る粋、野暮なこと言うなよと言った江戸のような社会風潮になれば、何と豊かなことかと妄想してしまう。(勿論今も昔も同様に粋とは程遠い連中だって居たはずだが・・)
武満徹の非西洋的なものが再興して欲しいとも思う。
僕のやっていることなど、どこからどう考えても労働集約型以外の何者でもないと思う、構想やその解体・再構築(編集)など、手間を掛けないと良いものなんてできるはずがないと思っているし、実際自分には効率的手法は向かない。
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