文化を感じるということ
国造りのあらましを掘り下げてみたり、それを実際に訪れてみたりも必須です。それらを掘り下げたり、訪れたところで、あらゆる物事に対して好奇心を持ちどこまでも微細なことに注意を払い感じ取る。そのためには興味・注意のカーソルを常に高感度に向けておく必要もあります。自分が培ってきたいろいろな“センサー”を同時多発的に働かせなければなりません。
言葉になることだけでなく、表せない感覚的なもの・・兎にも角にも個々人の文化民度を上げるということはそう簡単ではないということは言うまでもありません。
今回は京都へ。
僕はここの深草にある今では京都一二を争う大病院になったところがまだ個人病院で院長が直接取り上げるような産婦人科を抱える時代に生まれたので幼少期は“京都人”でしたからある意味故郷に帰ると言うことでしかありません(笑
今回はもしかすると我々世代が生きている間に公開されることのない、いや今回が創建初めての公開というところがちらほら。流石に創建以来初公開とは絶好のタイミングに訪れるものだと驚きもありますが・・
京都でレンタカーをピックアップし、まずは鷹峯へ。
本阿彌光悦が晩年暮らした場所が光悦の死後、“日蓮宗・大虚山|光悦寺”として公開されており鷹峰・鷲峰・天峰の鷹峯三山を望む立地に立派な庭と茶室などが点在しています。
家康から土地を拝領した頃の界隈はゼロから文化を育むことができる未開墾の場所だっただろうと想像すると家康の振る舞いもそれに乗ってその後に“一大芸術村”を築いた光悦とその誘いに乗った親戚縁者に各方面の仲間たちの行いは非常にワクワクする挑戦だったに違いないと、その跡地、面影はなさげなところに立ち想像するに苦難も相当あっただろうがそれこそがその後に花開く異形につながる唯一の道だったのだろう。
ここしか訪れていないが実際はここに1-2週間ほど滞在して隈無く歩き倒してみるともっと面白い発見が山ほどありそうですが・・今回はスポットで光悦寺のみを・・