「あり方」を気にしすぎて前進できなかった話
ロミロミを学び始めた頃、本当に受けた方がご自身の中にある何かに「気づき」があって、思い出し、その意図や意味が腹落ちしたとき、なんとも言えない解放をその方と感じるのが何よりも喜びでした。
私は何かをしようとか考えることもなく、
ただ、
呼吸と共に
目の前の方の身体に天と地をつなげて緩めて流していく施術。
見た目ハワイアンなマッサージみたいなロミロミですが、
そして実際にハワイアンテイストのサロンもたくさんありますが、
私が伝えたいロミロミは見た目がハワイということではありません。
ハワイアンなインテリアで実際に受けてみたら、
これはアロマとどう違うの?
とか、
ホットストーン使っているけれど、
道具の問題じゃないよね、
とか、
確かに上腕を使ったロングストロークなのだけれど、
何かが違う・・・と感じることがよくありました。
どうしても自分の師匠のエド先生やテリー氏の
ロミロミが基本となって受けてしまうので
見た目とかやり方とかではないのだと
感じるわけです。
何が違うのか?
エド先生もテリー氏もロミロミをされているときは
ご自身がクリアーな状態で行っているということが
受けていても感じられるのです。
そしてロミロミを受けている方への
敬意、愛、感謝があり、
それが手から伝わってきるのがわかります。
常々セラピストがどうあるか。
「在り方」が癒しとなる。
そこからある時、
「私の常にクリアな在り方でなければならない。」
このようなビリーフが出来てしまったようで、
自分の中でザワザワしていることが起きた時、
イライラが増えた時、
悲しくなった時、
「ああ。私はクリアではない。
これでは私は本当に癒しを伝えることができない。」
マインドフルネスNLP®を学び、実践してくことで
クリアにしていく課題や問題が浮き彫りになり、
その都度、私はクリアではないから触れる準備ができていないと
勝手に思うようになっていた時がありました。
これって
100か0か。
100の状態ではなければ本当のロミロミはできない。
それから
「在り方」
「在り方」
「在り方」
「在り方」を中心にお稽古を始めました。
この時はすでに「やり方」ではなく「在り方」の重要性を理解はしていたのですが、すっかり沼にハマってしまったかのように
自分で自分を責めたり、
私には価値がない・・・と落ち込んでみたり、
自信がない・・・
もちろん
時には
おお!!クリア!!
それがずっと続かなくてまた落ち込んでみたり。
あああああああ。
いつになったらクリアーでいられるの??
全く前に進めない状態でした。
そのような時期もありました。
そして今は・・・
クリアな時もあるし
そうじゃない時もある。
それでいいんだ。
どちらもあってオッケーなのだ。
私の師匠方々を見ていてもそう。
神ではないし。
人間だし。
あんなことでイライラするんだ・・・ということ
何度も見ています。
そう。
これを頭ではわかっていても
なかなか自分に落とし込めない。
これも日々のお稽古だなぁ。
クリアでない時は
自分をじっくり見つめ直す機会。
軌道修正する機会。
ロミロミをする時は
クリアに整え、
その瞬間を最高最善な時とする。
そのために、常にステート(心の状態)を
整えるお稽古を続ける。
身体は心と繋がっているので
身体もエネルギーが滞るところはないかを
観察して、解放する。
(そのためのこのロミロミのユニークな体操もあります。)
お稽古を重ねることで
内なる静けさのある
しなやかなステートとなることが
スピードアップされていきました。
どれだけステートを整えるお稽古をしただろうか。
あの時の私があるから
今の私がある。
そして今の私はあの時の私のように
100か0かで判断してしまう方の気持ちが
よーーーくわかります。
「やり方」よりも「在り方」とわかっていて
そこから前進できないと悩んでいらっしゃるならば
あと少し!そこから抜け出しませんか?
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マガジン 「ロミロミな毎日」
「ロミロミの真とは人生の生き方。」 by Terry Chew
これは私のロミロミの師匠の言葉です。
気づきのあるロミロミな毎日についてお話しします。
笑いも涙もあり!
読んでいただき、ほっこり身体も心も緩んでいただけたら幸いです。
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