痛みを経験することで得られた思いやりの心
これは10年以上前の話ですが、左膝のお皿を骨折するという大怪我をしました。痛い経験をしたのですが、その経験は私にとっては気づきとなるありがたい経験だったという話です。
息子を保育園へ無事送り、ホッとしたのか、足元にプランターがあったことに気づかず、そのまま足をひっかけてしまいました。
そして宙に浮く私。
スローモーションでコンクリートの道路に落ちていく。
この数秒の間、私の頭の中では
「これはまずい!明後日イベントでマッサージをするのに
手を怪我してはいけない!」
ハワイからロミロミの師匠のエド先生が来日し、
一緒にイベントに参加することになっていたのです。
手をかばい、左膝で落ちてしまいました。
その時の私は、
「よかった。手は大丈夫だった!」
それから足を引きずりながらも、自宅へ戻り、
時間が経つごとに、膝が腫れて、青くなっていきました。
これは病院にいかねばと、整形外科へ行ってみると、
即骨折との診断でした。
膝蓋骨骨折。
幸いに複雑骨折ではなく、綺麗に二つに折れてました。
まだ骨折についての認識が甘い私は、
「これならば、ギプスしてもらって、イベントに出られる。」と
思っていました。
そんなわけがない・・・。
先生から2、3日腫れが引くまで、固定して安静ですと言われました。
この間絶対安静で、膝の皿が動いた場合は手術ですと。
足首から太腿前真っ直ぐに固定されました。
え?そんなにひどいの?
まだこの時夜に訪れる痛みに気づいていない。
腫れてくるのもこれからだった。
腫れが引くまでは左足は下に付けてはいけなく、常に浮かせた状態に。
3日後に控えていたイベントに出るどころではなくなり、
家族が迎えに来てくれた車に肩を落としながら乗る時、
「そうか!これは大変なことだ!」
脚を曲げられないので、助手席には当然座れない。
そして、後部座席も助手席側の後ろのドアを開け、
左足をシートの上にのせて、
お尻から右の足を使いながら後ろ向きで移動して、
運転席側後ろの後部座席のドア側を背もたれにして、
やっと座れる。
なんと情けない。
家に着くと、今度は階段を上がれない!
左の足は下につけないので、右脚のみでケンケンして上がっていく。
困ったのはトイレだ。
真っ直ぐに固定した脚でトイレのドアが閉められない。
そして起き上がる時も、真っ直ぐに固定した脚のまま
床に敷いた布団から起き上がるのがどんなに大変なことか。
ギプスにするまでの安静期間、晴れによる痛みは想像を超えていました。
ジンジンと痛みが増していき、熱っぽい。
ある程度の痛みに耐えられる私ですら、
ズキンズキンとあまりの痛みに声を出して夜通し唸っていました。
幸いにも折れた膝のお皿はずれていなく、
このままギプスで固定することとなりました。
足首から太腿前真っ直ぐギプスで固定されました。
膝の骨折だからと膝だけギプスという訳にはいかないものね。
本当に考えが甘かった!
こんなに長いギプス・・・当然重い。
この長い真っ直ぐなギプスが今後の生活で
足が曲がることができる喜びに気づかせてくれました。
それでもギプスで固定して、
やっと左足を地面につけることができた時の安堵感。
骨折という経験は私にとって大きな学びでした。
骨折はギプスをすれば大丈夫みたいな安易な考えでは、
大変さも痛みも本当に理解できないと思いました。
寄り添うこともできなかった。
甘かった。
痛みも、不自由さも、そして周りの人に対しての感謝も。
諦めも。
骨折(それも大怪我!)したからこそ
骨折した方がどんなに痛い思いを自らの身体で体感したからこそ
この痛みを経験された方へよりいっそう寄り添うことができる
そう思いました。
思いやりの気持ちが増しました。
私にとってはこの骨折という経験を不幸と思うかどうか。
いいえ、
私にとってこの骨折は私の視野と心の柔軟性を広げる学びでした。
この学びをありがとう。
この骨折で更に学びがありました。
長くなってしまったので、
また次回お話しします。
続きはこちらです。