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今年なにしてた?【2024年ふりかえり】

ジャスミンです。
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2024年なにした?の自分てき振り返りです。

こういうの書かないと、忘れちゃうよねってことで書いてみます。
1年はあっという間ですが、振り返ってみるとその時どんなことに向き合っているのかがわかって、とてもいいねと思いました。では、いざ。

1月 はじめての韓国語

韓国移住して1ヶ月目。右も左もわからない韓国生活の中で感じたのは、とにかく言語が話せなければ人権を得られない!ということ。のらりくらり、出川イングリッシュでなんとかなるでしょ?と舐めていたのですが、どこにいっても韓国語。ハングル。逃れられないと確信し、これまで避けてきた韓国語と向き合うべく語学学校へ通い始めました。しかも新年そうそう、1月2日から。ここでアメリカ、オーストラリア、ドイツの子と一緒に学ぶことになり必然的に英語も話すため2か国語同時学習みたいに。混乱しつつ、文字を覚える難しさと楽しさを感じます。85歳のクラスメイトには恐れ入りました。

2月 文字がよめた

引き続き語学学校へ。お仕事はいったんお休みして韓国での暮らしに集中しました。
1ヶ月でなんとなく、ハングルが読めるようになって感動する!
義務教育でもなく、自分から学びはじめた語学学習。39歳で初めてまなぶ言語学習が身についてきた感覚は新鮮でした。ソウルの街中では相変わらずわからないことだらけ。この時期、あるオンライン講座を受けていたのですが一緒に頑張ろうと決めた友達との交流がすごく支えになっていました。持つべきものは友!

3月 猫さま来韓

語学はいったんお休みし、猫を日本から連れてくるという大仕事をやりました。これについて、日本語で「日本から韓国に猫を連れて行った」人の事例をネットで探したものの見つけらず悪戦苦闘。国をまたぐ手続きや書類系、しかも間違えられないやつ。何をどこからやったやいいのかわからなくて、本当に困惑しました。しかし、彼にもたくさん手伝ってもらいながら、無事2匹の猫を韓国から連れてこれて再び一緒に暮らせることに。しあわせ。

4月 父のしらせ

韓国語の学習を再開。ただし、家から1時間かけて行く語学学校の通学が予想以上に大変だったので、語学学校はやめ自分でオンライン講師を探して個人レッスンをお願いしました。新しいお仕事も始める事が決まり、るんるんとしていた頃、父親の危篤状態を知らされ日本へ帰国。ここから父が亡くなるかもしれないという人生初の身内の死に向き合うことに。当時リアルタイムにつづったこのブログは介護をしている友達、高齢の両親を抱えているひとなど、同世代の多くの人から反響をいただきました。

5月 いろいろやって

危篤の父が持ち直したので、韓国に戻りました。また韓国語学校に行き始めます。この時期は語学学習のいろんな方法を模索していました。
新しい仕事もスタートし、何だかやる気がもりもりしてきたこの時期。一方で彼と大きな衝突をして、なにくそ!となってきたのものこの時期です。
ここでは新しい試みをいくつも始めてみました。
ファッションコンサルティング、SNSで言えないことや限定的な想いを書くエッセイ的にメルマガ、韓国のいまを伝えるマガジン(現在中止)
ブログをかなり書くようになって、この記事だいまだにアクセス数が伸びています。顔色が悪いね、と言われる人にはマジでおすすめです。リップアート。

6月 ファッションとご縁

ファッションコンサルが順調にすすみます。イベントがあり日本へ帰国していたのですが、そこでたくさんの人に会ってリフレッシュしたり。
また、この時期からご縁繋ぎを意識的にはじめました。
自分の知っている知識や人脈を、ピンときたら話してみる。結果、企業にデザイナーを紹介して採用決定したこともありました。
デザインのお仕事も延長をいただき、新しい役割をいただけてとても充実した1ヶ月を過ごしましした。

7月 来韓フィーバー

6月に引き続き、ご縁繋ぎ。そして韓国に友達がたくさん来てくれて、アテンドしたり、お話したりと大忙し。日本からのゲストや韓国在住の日本人など14名も会えたようで過去イチでした。それもほとんどみんなオンライン講座やSNSで知り合い、はじめまして。初対面なのに、初対面の感じがしないから、とても気楽です。いやあ、おもしろい時代になってきましたね。
そしてバリ島のアニキと呼ばれる方を知ったのもこの頃です。大富豪なのにきさくな下町のおじさん、という雰囲気に惹かれました。今はたくさんの学びをいただいています。ブログは全然書けていなかったので、ふりかえり記事をどうぞ。

8月 父とバリ島

8月の頭に父が亡くなりました。バリのアニキに会うためにバリ島へ向かうための空港へ向かう車のなかで知らせを聞き、引き返しました。すごいタイミングです。
急遽日本へ帰国し、葬儀や母のサポートを行いました。始めて肉親が亡くなるという体験をして、しばらく悲しみに暮れました。
韓国に帰国後、バリ島ツアーに再度参加させていただけることになったため、バリ島へ。ここで素晴らしい10名の仲間たちと出会う事ができました。そして生アニキも凄かった。怒涛の1ヶ月でしたが、いろんな意味でインパクトの残る1ヶ月でした。

9月 グローバルな大学

ふたたび、韓国語の語学学習を再開。数ヶ月ガッとやって、休みみたいな事が続いたので一向にのびずでした。日韓架け橋の事業や韓国で出版会社を経営しておられる神澤社長に相談したところ「延世大学」という日本でいう早稲田みたいな大学の語学学校をお薦めされ、素直に入学することに。
ここまでガチで韓国語を習いたくなくて大学の語学学校(韓国では語学堂という)をずっと避けていましたがいよいよ。
週5日、1日4時間の10週間の通学がスタートしたのでした。相変わらず自宅から1時間30分かけての通学がきつい!7カ国12名のクラスメイト、平均年齢22歳の中に放り込まれる39歳。みんなの脳みそについていけるか?!

10月 チラシと健康

週5の通学と、オンラインでの仕事。に加えて、バリ島ツアーで知り合ったお友達のチラシデザインを行いました。このご夫婦は東京馬込で韓国料理とロティサリーチキンのお店をやられていて、とにかくその人柄がアツい。
義理と人情がテーマで「人柄がわかるような、おもしろいチラシを作って欲しい」そんな依頼でスタート。であれば、実際にお店に行くしかないでしょ!という事で弾丸で日本へ帰国。実際にお店に訪れて取材、写真を撮影して打ち合わせしました。1ヶ月間、2人3脚で試行錯誤してできたのがこちら。

また、もう1人バリ島メンバーのお友達で健康オタクのナオちゃんから色々と健康情報を教えてもらい、ドテラという製品を使ってみることに。
サプリメントやアロマを使って、医者いらず・お薬要らずの体を目指してみることにしました。

11月 そつぎょう、そして40

延世大学の語学学校を卒業しました。途中からだんだんと難しくなり、授業のスピードにもついていけない。最後の2週間くらいは力尽きてほとんど学校に行きませんでしたが、テストも受け、最終日には先生にも会いに行けた。進級するひと、帰国するひとなど様々でしたがかけがえのない時間でした。そして語学力がグッと伸びました!やっぱり毎日強制的にやるってすごいんだなあ。大変ですが。
ふたたび日本へ帰国。40歳は大好きな親友のお家で過ごしました。そして親孝行の計画をすすめます。母を連れて故郷へ。

12月 1周年とこれから

日本と韓国での2拠点生活でした。
日本では、母の故郷に帰り親戚と会ったりご先祖参りなど自分のルーツを知れるとても大きなきづきを得てかえってきました。そして母の嬉しそうな顔が忘れられません。
また韓国生活1年経ったので、振り返りを書きました。実際に住む前と住んでからでは、やっぱり違っていて。改めていろんな体験をしたんだなあと気付かされた1年でした。

まとめ

人生の中でも大きい変化があった2024年でした。
ひとつは父の死。もうひとつは海外移住、韓国での暮らしです。
来年もまだ行ったり来たりは続きますが、ベースとなる場所を見つけたいと思っています。40歳、まだまだ落ち着きません。

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