悲しみを感じてはいけない?
昨晩はとっても悲しい気持ちで眠りました。
安倍元首相がが亡くなられたからです。
不思議なことに、彼に関するニュースはずっと外国の方を通して聞くこととなりました。
(私は日本在住です)
最初に彼の事件を知ったのが、ネパール料理屋さんでランチを食べているときでした。
ネパール人のオーナーが、
うちの国ではあり得ないことだ。
護衛はどうなっているのか?
どう思う?
と話をしていました。
そのあとうちに帰宅。
家にはTV📺がないので、
良くも悪くもリアルタイムなニュースは自分で見に行かないと入ってこない。
夜になって韓国人の元彼と久しぶりに電話で話し、悲しい事件だね、と話していました。
そのあとチャットでベトナム人の友達からメッセージが届きました。
今、冷静に考えたらこのメッセージが送られた時間はまだ彼の容態がわかっていない時でした。
でもpray という言葉を見た時、
亡くなった人を祈る というイメージが浮かんで胸騒ぎがしました。
そしてTwitterを見たら…亡くなられたと。
悲しみで胸がいっぱいになりました。
安倍元首相は、私の中で好きな首相の人でした。
正直言って私は政治に関心がありません。
だからこの人個人のキャラクターが好き、嫌いと言っているだけですが、
彼のチャーミングさが好きでした。
その後、韓国人のメンズとやり取りしていた時も彼の方から、
I heard bad news from japan....
と。
うんうん、ありがとう。
みんな、いろんな形で私に教えてくれてありがとう。
私はこの悲しみから感じたことは2つ。
ひとつは、私は他者に命を奪われて死にたくないということ。天災、寿命、病気、自殺は受け入れられるけれど他者に終わりを決められたくはない。
ふたつめは、このような悲しみを9月からの巡礼道に持っていき、そこで人々のために代弁しようということ。これが自分の家族だったら?身近な愛する人だったら?もっと辛く悲しみに暮れるでしょう。
カミーノデサンティアゴにはそのような祈りを捧げる場所がいくつものスポットにあります。
私はそこで人々の願いを届ける人になりたい。
そんなふうに思いました。
そこで…ひとつ私からギフトがありますので聴いてみてくださいね!