社会というプール
ある夏の日
早く終わった。大学三年生にもなると講義も少なくなり、小学生の頃よりも早く、家に帰ることができるようになる。意気揚々と帰っていたそんな大学の帰り道、何か懐かしい感じがしたのだ。
子供の頃によく行ったプールにふと行きたくなった。
衝動的に自転車をプールの方向に向かわせていた。
懐かしい。何もかもが懐かしかった。あの道もこの道も。でも、あの頃と何か違う、道も建物も小さくなっていた。それに、プールの横には何か大きな建物が建造されている最中だった。
プールに着くと、兄や友達と遊んだ記憶が蘇る。
とにかく深く潜ってみたり、競争したり、水中で面白いポーズをキメてみたり、サウナや温泉に入って温まってみたり、とても楽しかった。
そして、帰りには必ずアイスを買って食べていた。
そのアイスが美味くてね。その頃から私はチョコミント味のアイスが好きだったんだ。
そんな思い出があったんだ。
しかし、結局プールに入ることはできなかった。思い出が壊れてしまうのが怖かった。
もう入ってはいけない気がしたんだ。
きっと、子供たちが遊んでいる。
それを邪魔しちゃいけない。
夕暮れに自分の影と追いかけっこをするように自転車を必死で漕いでいたのを覚えている。
みんなと逸れないように。
全て変わる
もう10年も経つのか。
長いようで短いようでよくわからない。
自分は変わっていないと思っていたし、これからも変わらないと思っていた。
でも、それは違う。
人は変わって行く。
人だけじゃない、物も社会も移ろい行く。
1つの場所に常にとどまる人などいないのだ。
プールの中では常にとどまることなど出来ない。
それと同じことなんだ。
漂い、流される。
子供たちは目標の場所まですごい速さで泳いで行く。
大人は何かに必死にしがみついている。
どうやって生きればいい?
息もできない、苦しい。
体は流され、漂う。
そんなプールの中でどうやって生きろというのか。
どうして、子どもの頃は楽しく思えたのだろうか?
目標を持つこと、楽しむことを忘れた大人にはあまりに酷な環境だ。
だから、プールには入らなかった。