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母の存在
母が34歳の時に私を出産し、現在70歳になりました。
母は高知県、私は名古屋でそれぞれの生活を送っています。
このブログをきっかけに、母とも昔話をしたいと思っています。母にブログを始めてみたよと報告したら、昔の事過ぎて覚えてるかなぁ。。と笑っていました。
ブログと同時に始めたInstagram。
お役に立てれば、、なんて気持ちだったけど
実際は私が知り得なかった子育ての喜び、お悩みに触れて、その当時の母の気持ちも感じ取れて。
母の存在のありがたさを再認識しました。
ありがとうございます(^^)
まだ2回目の投稿ですが、私の記憶に残る範囲で綴っていきます。
沢山の写真
私は幼い頃から自分のアルバムを眺めるのが大好きでした。
母に一枚一枚当時の話を聞いていました。
0歳、3〜4歳で入院していましたが、当時の病院への記憶は多少はあったのかその写真を見ては懐かしさを感じていたのだと思います。
何度も何度もアルバムを持ってくる私に母は何度も同じ話をしてくれました。
病院のベッドに沢山のぬいぐるみを飾っていたので、小児科の子供たちが沢山集まって一緒に遊んでくれていたこと。
薬を飲むのが苦手で「嫌なものは嫌だ」とはっきり言う子で看護師さんを困らせていたこと。
生まれてすぐに母とは離れ離れになり、しばらくは母乳を祖母が電車を乗り継ぎ抱きしめて運んでくれていた事。
とても大変だったけど、こうして健康で育ってくれる事が1番嬉しいと常に話してくれました。
偶然見つけた一冊のノート📔
ある日、私はタンスの中から一冊のノートを見つけました。
日付と入院中の私の様子などが書かれた日記のようなものでした。
後ろの方のページに書かれた
私への謝罪の言葉。
さきちゃんごめんね。ごめんね。健康に産めなくて。お母さんのせいだ。と書かれていました。
きっと今よりもずっと情報の少ない中で母は前向きに頑張ろうという気持ちと、自分を責めてしまう気持ちと闘っていたのだと幼いながらに感じ、ノートを開いたまま「お母さんのせいじゃないよー」と声を出して泣いたのでした。
私はその頃学校がどうも苦手に感じ、登校拒否とまではいかなくとも「ずる休み」を選ぶようになっていました。