めでたすもめでたさんも未来 「フリーフォール」殴り書きビュー

殴り書きます。


おわび
同所属会社の別アーティストの話が出ます。すいません。





第3の答え
「フリーフォール」についての動画を見ていた。現実を生きていくんだなという印象を受けた人が多いと思った。おとぎ話のようなめでたしめでたしを掴めないかもしれないけど、小さな幸せを感じることはできるよね、といったニュアンスを感じさせるものもあった。


うるせ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!



ここがものすごく疑問で残念だった。
なぜみんな夢と現実の二元論で話しているのだろう?なぜ夢はいつでも素晴らしいがあきらめて辛い現実に戻らなければならないんだろう?それが定石だと思っているんだろう?思っている?本当に?思わされているんじゃなくて?


ありきたりすぎるし、ありきたりなものはいつも説教の匂いを孕んでいる。「小確幸」とかいう言葉をどうしても飲み込めないのもそのせいだ。心からこれを言えるのは、もともとある程度経済的余裕がある環境で育ち今もそれを持つ人、もしくは環境に適応することをよしとできる人だろう。


そういうことではないと思った。どうしてもこの二択から逃げなくてはならなかった。
あとは、こんな簡単な二元論をあの所属会社がやるだろうか?という疑いとも期待ともつかない感情もあった。この社会にはない第3の結論を物語ってくれることを望んでいた。

夢を血液として動く身体で現実を生きること。
歌詞にもあるように、眠るたびに夢を見て、それを内在化させること。誰かを希求する深層心理を絶えず確かめること。そういうことをやりながら生きていることを終わらせないこと。
でも具体的にどうやって?


ずっとここで止まっていた。



二元論じゃない
どうやってその人たちに出会ったか覚えていない。まあ、でも、とにかく、「サバイバル」とか「オーディション」とか呼ばれる類のプログラムから生まれた7人組の男性アーティストで、吸血鬼コンセプトである、ということだった。

ここまでだけでまあまあ、おっ…すごいね…と思うんだけど、このグループのことを調べていて、ちょっと確信めいてきたことがあった。この会社で物を作る人が世界を二元論と思ってないんじゃないかということだ。


その「サバイバル」「オーディション」プログラムのテーマのように扱われている曲の歌詞にこんな感じのところがある。(ニュアンスです)

「君はもう一人の僕 僕はもう一人の君」
「"I"という島の間 線で結んで橋を架ける」
「君と僕はひとつなんだ」

いやあの、そもそも最初に参加者たちを切り離した("i"solatedにした)のは誰あろうあなたがたなのでは?と思わなくもないんだけど、その願いがいつどのように叶うかに関わらず参加者はみんなそれぞれに美しかったので感動的だったし、グループの名前を見てもそういう、断絶を飲み込み、「接続」していく的なことなんだなと思った。

デビュー曲のMVで、メンバーの7人は森深くの孤児院のような実験施設のような隔離牢のような所に集められ、なんかこう…太陽に照らされる手から炎が出るのを見つめたり鎖で繋がれたり宙に浮いたり口内を検査されたりと大変そうにしている。検査のシーンの裏で、引きちぎられた動物の牙のようなものが映る。一人が別の一人の首筋に噛み付かんとする一瞬が映る。
けたたましい弦楽器の逆再生のような音をバックに、一人が真っ白い牙を剥き出しにして笑う。


歌詞にはこういうのがある。

「背後に千の疑心 背後に万の不信
 But I go now 夢追い
 Dive into red sun no lie」

うーーーーーーーーーーーーわ。と思った。

この曲を通してなされているのは、「自分たちを人間と偽りあらゆる視線を掻い潜って生き抜かんとする半神半人の何かの生き残りの子ども」の話ーーーつまり「ヴァンパイア」を隠れ蓑にした、「オーディション通過者」の物語だ。
脚本家はメンバーたちに「捕食することで生き延びた存在」、そしてファンに「それを絶えず匿ってきた存在」という業を植え付けた。

こう言い換えてもいい。
ひたむきな練習生だった参加者たちが「サバイバル」「オーディション」で「参加者兼審査員」にされたことで業を背負わされ、「半神半人」にされてしまった。

で、そんな業深きヴァンパイア人間、生まれながらにして半神半人という二元論を自分の中に持っている者たち、それだからこそ、世界をひっくり返すぞということなんだなと思いました。


分けさせない。
どっちかだけにさせない。
全部ひっくるめてみせる。
ということなんじゃないかなと。


この発想があるんだなと思ったんですよね。
違うグループなんだから違う話だろ!と言われたらそれまでなんだけど。










夢でも現実でもなくてその全部
あの、ひとまず、ここまで一緒に来てくださってありがとうございます。
「フリーフォール」に戻ります。

夢でも現実でもないところ、夢と現実の中間、夢と現実を全部ひっくるめられるところがあるとしたらどこだろう、ということを、(『いつもそうだったように』という台詞を持ちそれを韓国版ポスターのコピーとして使っている)映画「インターステラー」を思い出しながら考えた。




滅びてゆく地球から移住できる『星を探し』に宇宙へ旅立ち、あらゆる概念の上で地上から遠く隔てられた「五次元」へ辿り着く宇宙飛行士の父。

彼が五次元から必死に送る情報を受け取り、この情報の送り主こそ父ではないか、という『直感を追いかけ』て宇宙の計算を解き続ける学者の娘。

2人が次元の隔たりを超えて再会する場所。
2人の夢、なおかつ、現実から計算が届く場所。
それを何と呼んでいたっけ?







しょうもないんですけど、結論として、「未来」なんじゃないかなと思いました。



「未来」は夢と現実のどちらにも「接続」されることができて、夢の話だ現実の話だと分けることができない。



「未来」はただ「わからない」の顔をして横たわっていて、すべての予定調和の干渉を受けない。ある意味「物語」の対極として、ただいつもそこにある。
「未来」があることだけが、「終わらない」で、そこにある。いくらでも。いつからでも。




前に「フリーフォール」の話をしてた時に、リファレンスじゃないかと言われてた映画にうっすら共通して時間の概念が出てきたから、時間コンセプトだったら面白いですね。と思っていた。 

で、なんかの授賞式ステージで「tomorrow」というスポイラーめいたものがあった。らしい。わからんけど…。


時間コンセプトだったら嬉しいな〜。と思ってリリースを楽しみに待とうと思います。


あ、もちろん飛行士・サンテ(カンテみたいに言うな)の物語でもいいです!
でも「大切なものは目に見えない」だけじゃないといいなって感じです!(やめなね)


やっぱ「わからない」のが一番楽しいと思うので、そうだったらいいな。


わからないを目一杯引き伸ばせることを、その距離で愛せることを願って、この辺で終わります!!!!!!




ありがとうございました!!!!!!!!!!!!!!







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