『Making of 「宝はいつも足元に」』104〜127 CREAM SODAの不思議な魅力
はじめに・・・
今回は「宝はいつも足元に」の感想とともに
CREAM SODAをきっかけに
いろんな人と繋がっていく様が描かれた
Making of 「宝はいつも足元に」104
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Making of 「宝はいつも足元に」 127
をお送りいたします!!
僕自身もCREAM SODAがきっかけの出会いがたくさんあり
たくさんの人と繋がってきました!!
全然CREAM SODAとは関係ない場所でも
気がつけばCREAM SODAの話題になり
全然接点のないような人たちとも
仲良くなれる・・・
CREAM SODAにはそんな不思議な力があるのです!!
2010年02月20日 Making of 「宝はいつも足元に」104 ポニョ
久しぶりに飛鳥新社の赤田君から電話があった。
話はー
福田和也という硬派の文芸評論家がいる。
ぼくは以前、彼に自宅に来てもらって
文芸誌の対談をしたことがある。
その福田和也の弟子に「イトー君」という人がいて
イトー君に『宝はいつも足元に』を献本したところ
大変に感動してくれて、彼が主宰する人気のサイト
「ゲットー」で取り上げてくれることになった。
赤田君がインタビューをうけ、さらに本の一話目も
掲載したいという話だった。
「それ、ものすごく人気があっていいサイトなんです」
と赤田君は言う。
まだ反響はつづいている。
先週は、大隈重信のひ孫さんの大隈さんに
横浜アリーナで会ったとき、本のことを
「素晴らしく面白く読ませていただき、友達に
読むようにすすめました。
私も、足元に宝があったらいいなと思いました」
とおっしゃっていた。
ヤッコさんからも電話があり、裏原の番組を
作ろうとしているTVディレクターに
「本を渡しました」とおっしゃっていた。
山崎さんは本の中にある幽体離脱体験で見た世界が
アニメの「ポニョ」に出てくるシーンとそっくりだったので
ビックリし「あのアニメを作った人はきっとぼくと
同じような体験をした人じゃないですかね」
と言っていた。
最近そのアニメを見たそうだ。
ホントにソックリだったそうだ。
2010年02月24日 Making of 「宝はいつも足元に」105 トリップ
突然、母親が倒れ、毎日立川の国立病院に見舞いに通っている。
山崎さんの4歳の時の記憶は、北海道の炭鉱の町・赤平で見た
夏の田園風景。
それは「きれい」だけど「さみしい」印象だった。
ぼくの4歳の時の記憶は、まだ米軍基地の町だった立川の繁華街。
何処もかしこもアメリカ兵がいた。町に活気があった。
いま想えば黒人兵も多く、ブロンクスのような町だった。
病院にいる時は面会時間が限定されているので
待ち時間に本を読む。
病院は米軍基地跡に建ち、どうしてもむかしのことを想い出してしまう。
想い出のほとんどは享楽に彩られ、ヴァイオレンスの風が吹きすさぶ。
だから、読んだ本は、リトルモアの浅原君が送ってくれた
井口達也『チキン』と、立川出身のゲッツ板谷の、立川を舞台にした
自伝的ヤンキー小説『ワルボロ』だった。
『ワルボロ』は2005年の作品だ。
ゲッツ板谷とは15歳ほど年の差があるが、同じ町の空気を吸っていた。
面識はない。
もしかしたら同じ小学校に通っていたのかも知れない。
この辺の出身者は、山口フジオや忌野清志郎といった、異端者が多い。
立川に通ううちに、山崎さんの『宝はいつも足元に』に
またドップリつかる気分になった。
子供の頃、全然なじめない町だったが、いま通ううちに立川を
愛おしく思いだしていた。それはトリップ感に近い。
ぼくがなぜ、旅で世界の「やばい」場所にひんぱんに出かけて
行ってたのか、その訳を理解した。
『宝はいつも足元に』の、本当のすごさを改めて知った。
ちなみに『ワルボロ』にはCREAM SODAの灰皿が出てくる。
2010年02月25日 Making of 「宝はいつも足元に」106 一心
『宝はいつも足元に』について赤田君のインタビュー記事が
毎日、<GHETTO>、運営者「寸」クンのサイトに
アップされていると、赤田君本人からFaxの知らせがあった。
皆サン、ぜひ、チェックしてみて下さい。
また、28歳の会社員T・Mサンから熱い感想文が届きました。
以下が、それです。
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ありがとうございました。
この本を読み終え、スッキリ前に進む事だけを
考えている自分が居ます。
悩んで、進む事すら忘れていたけど、とにかく
1歩でも前に出る事、それが今の私に必要だと
実感させられました。
人生は全ての事が意味のあるもので、運命的な
ものだと思っています。
だから小さな事から、ひとつずつ大切に楽しく
生きたいと思いました。
私も知らずに自分に仮面をかぶり過ごしている
事があります。
そしてその仮面に助けられることも・・・
とにかくやりたいと思った事が全てで
やりたいと思います。
早く次回が読みたいです。
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というものでした。
「世界に影響を与えた100人」という世界的な何か大がかりな
アンケートで、選ばれた日本人はたったひとり。
江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎でした。
『小説・葛飾北斎』(小島政二郎)という抜群に面白い不良小説があり
この本の中で北斎は
「人間は、出来ても出来なくっても、自分の思うような
生き方をするのが本当だと思うよ」
「一心になって一つのことをやり遂げなければ、
ろくな人間にはなれない」
と言っている。
CREAM SODA、ドクロ一心、50s一心。
一心即ちロッケンロール!!
2010年02月27日 Making of 「宝はいつも足元に」107 閃き
コトをたのまれ、企画を練ってつくった。
企業も代理店もカンケーない。
インディペンデントのプロイジェクトだ。
むかしからよく知るプロデューサーからの話だった。
企画はすぐに生まれ、コンセプトもイメージも完成し
自信満々、プレゼンした。
が、なかなか返答がない。
ということは、と見当はついた。
理にかなってはいるが、それにノレないのだろう。
案の定、「どうも」といったニュアンスの返答が
会社の人から伝えられた。
修正の方向で、再度ミーティングすることになったが
その方向では何も進まない気がし、いったんすべて
ゼロにしたところから、企画をたてようと思った。
気持ちはかなり焦った。何も浮かばない。
でも、テーマに則した何かあるはずだ
と自分の記憶の扉を次々とあけていった。
3日目に、「AHAAA!」、スッカリ忘れていた
あることを思い出した。
閃きだった。
すぐ、それに関する資料をダンボール箱につめた
雑誌や小冊子を引っくりかえして探したら一発で見つけた。
それからあっという間に企画書を作成した。
実に一瞬の作業だった。
その2日後、ミーティングで、その企画を
プロデューサーに伝えると、一発で
「それでいきましょう!!」
と大きな声が響いた。
それは劇的な展開だった。
閃きの力だった。
『宝はいつも足元に』152話で
「閃き、それはたった数秒の出来事だったとしても・・・
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