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休息と探検の拠点


え!インドですか?

ぼーっとしているところに目の前でパチンと手を叩かれたようなハッとした提案でした。

2024年1月のこと。
「2月で会社、クビになるんすよ。
ええ『契約満期に伴い』とだけで…。はい_はい_まあ、そうなんですよ。」

「あ、じゃあ海外でも行ってきたら?次の仕事就いて忙しくなったらでけへんことしぃや。_
インド行くとか。」

通話中、相談というわけでもないけれど、ふと漏らした一言から海外旅行の話に発展。
海外に精通し、ご自身で事業をおやりなさっている尊敬する人から思わぬ提案を受け、
驚きました。

突飛やわ...と思いつつ。

海外旅行は発想になかったなぁ〜。

友人や職場の仲間たちのだいたいが、
「次どうするんですか?」
「お金、大丈夫ですか?」
「新天地でも頑張ってください」
こうなる。

ただ
お一人だけ全く発想のちがう答えが返ってきたので、
驚きと同時に目的ができました。

PCメーカーから仕事を請負い、家電量販店でノートパソコンを販売する仕事をし、業界歴は約8年
実績は国内1位に何度もなっていて、
店舗統括のお役もいただいたりと、まぁそれなりにやっていました。

ところが4年ほど前から環境が一気に変わりました。

母が認知症を患い、介護が必要となり
長らくの介護生活そして……………….

去年の夏、見送りました。

愛情いっぱいに育ててくれた母を失い、迷子の子供のような心境のまま、
とりあえず仕事をこなすも
ある時から、胸痛、動悸、高血圧など心身ともに安定しない日が続きました。

ほどなくして会社から突然の面談。「解雇通告」…..。

燃え尽き症候群のような状態で、仕事は「もう辞めようかな」「環境をかえようかな」と
漠然と考えながら仕事をしていた矢先、
あちら側から「クビ」と言ってくれたので、ショックよりも安堵感が勝っていました。

とはいえ急に社会から放り出されても、次のことは何も決まってない。

さぁ、どうしようかな。
ただの「物売り」で何のスキルもない。40歳にして再スタートかぇ?
・小中学生の頃のいじめ
・対人恐怖
・トラウマ
・コンプレックス
いじめの影響が尾を引き高校には進学せず15才で社会人に。
20才のころに通信制高校に進学し、1年次で高卒認定資格試験にチャレンジしたら合格してしまい、
卒業することなく退学(肩書としては高卒同等としての扱い)
転職は12回。

誰が雇うねんこんな奴

自己否定感やトラウマとの向き合いは個人差はあれど、私の場合は20年以上心に何かを抱えたままでした。
今も完全になくなることはありませんが、年を追うごとに軽くはなってきています。
また、
新しいことに取り組む意欲は人生で一番高まっているのも今です。

しかし
どんな時も、私の身に降りかかることを自身の責任と感じ、心から心配をしてくれた母を亡くした直後で、
気持ちの整理がつかないでいたその時に、

「インド行っといで」

友人たちは、
「英語もろくすっぽ話せないのに」
「いや、初めての海外ならもっとほら、台湾とかバリ島とかさ」

提案してくれたお姉さんに、そのまま相談。

「正論!たしかにそれはそうやねん。
でも、せっかく時間できてそんな状態やったらな、思い切ってパンチのきいたとこ行ってきたらええねん。
台湾とか次の仕事見つかっても三連休とかでいけるやん。」

「いや、まぁ、そうなんすけど….インドっすか!?」
「うん、そう。インド!」

嗚呼、おれ、インド行くんや。

予備知識、歴史、文化
何もかもが初めて、
治安が悪いとか、カースト制度の差別とか、衛生面とか。

それくらいしか知らんのに大丈夫やろか???

アドバイスを求めてきといて言った通りする人って少数じゃないですか?
私は案外、「はい」と答えて行ってみる性分と、どのみちやることがなくなった今こそ、行くべきかと思い始めたんですよ。

次回は寄り道して、母への思いをぜひ読んでください。

母への思い

紫陽花が綺麗に咲く庭で、微笑む若き日の母は優しく微笑んでいます。
祭壇に水を供え、母の写真に「お母さんおはよう」一声かけて手を合わせるところから一日が始まります。

私の母はレビー小体型認知症を患い、長らくの療養の末、令和5年夏、この世を去りました。
何気ない日々を送っておりますが、
遡ると今日に至るまで、小中学生時期のいじめ、持病、就職難、転職。
息子である私に降りかかることは全て、我がことのように責任を感じ、心から心配をしてくれた唯一の人です。

家族のワークスタイルに合わせて家事を行い、常に誰かのために働いていました。
正義感が強く、清濁併せ吞むことをしない意思の強い面もありました。
愛情をいっぱい注いでくれた母との死別が訪れる足音は聞こえていたものの、
かねてからケアをお願いしていた老人ホームから知らせがあった時のことは忘れません。

いずれ訪れるその日を覚悟していても、やはり悲しいものです。
いくつになっても親にはいてほしいと強く思います。
発症してからの3年間、死別の悲しみが続くことまでは考えていなかったとともに、考える余裕がない毎日でした。

私にとっての喪失感は大きく三つあります。
一つ目は
認知症にともない、しっかりした母が二度と戻らない。
衰弱する母のケアを施設にお願いし、見守ることしかできないのです。
二つ目は
死別です。
形ある母が二度と戻らない。
亡くなった知らせを聞き、駆けつけ、永眠した母に頬擦りをしたり、肩のあたりを体温が引くまで摩っていました。
そして三つ目は、
母がいなくなったこの世界に残されたことです。
葬儀の次の日からは、まるで別世界にいるような感覚です。
いまもその感覚は続いていますし、死別の後のことまでは覚悟できていませんでした。

日本の現代社会では「死」がタブー視され、身近ではないように思います。
死別は生きていれば必ず直面することになります。
例外はありません。パートナー、友人、子、親、夫婦、すべての人が何かしらの形で経験します。
にもかかわらず、
それに対する理解、認めて消化していくこと。
そして、残された別世界の生活に慣れていくことは容易なことではありません。

ですが、悲しみを乗り越えなくても、
故人とのつながりを見出し、少しずつ適応していくことなら私にもできるかもしれません。

そして年が明け、今年2024年の1月11日、母を亡くしてから初めての誕生日がきました。
今年で40歳になります。
産んだ責任と喜びをもって、心から祝福してくれた大きな人は、もういません。
そんな母に一度も言えなかったことがあります。

「お母さん、産んでくれてありがとう」

この先何年かかっても、悲しみを受け入れ、母をそばに感じ、必ず元気に、そして必ず幸せになります。

インドに行く以前から、死生観や宗教に対する考えも変わってきたような気がします。

旅を通じて、より一層そこに変化がありました。

宗教は、暗に弔いの為だけではなく、残された人が故人との関わりを持つことができる一つの方法でもあると思います。
宗教・宗派が何であっても同じです。

しかし日本は、宗教で遊んだ国ですから、来世で報われない人が多いかもしれませんね。
・政治と結びつけたり
・国内史上最悪のテロを起こしたり
・過剰なお布施が他国に渡ったり
本来、生きやすく道を照らす、あるいは手を差し伸べ、助け合う。
そういうマインドを養い霊性を高めるものであってほしいものですが、

そうはいかない。

「金」「政治」「洗脳」

「宗教アレルギー」とでもいいましょうか。
何を信仰しているかも簡単に人に言えない日本の社会。
また勤め先での差別の種になるかもしれないし、
一生のトラウマやPTSDの原因になるかもしれない。

テクノロジーの発展や経済の成長と引き換えに大切なものを置き忘れてきたかも知れないですね。

心の繋がりとか、弔いとか、
命と命が大切にし合う人が一人でも多く、
また一人でも多くの方が、いらぬ悲しみで苦しまない世の中であってほしいものです。

そうそう
この時期は紫陽花がとても綺麗に咲いています。
紫陽花が好きだった母の霊前に供えています。

こういう背景も、旅に出ようと思ったきっかけです。
お粗末さまでした。


準備の時点で冒険スタート!インド行くまでに

インドはパスポートと「visa」がいります。

以下、外務省HP
http://www.anzen.mofa.go.jp/m/mbimmigration_001.html
Visa申請方法は
・大使館、領事館にて申請する。
・代行業者に依頼する。
・e-visa(オンラインで申請する)
この三つです。

インド旅には必須条件なんです。

わかりやすいブログやYoutubeを参考にして、
私はe-visaで申請をしました。

時間がない場合や、英語が苦手な方は、
大使館がお近くの方は出向いて申請を、また代行業者に依頼するといいと思います。

e-visaの申請はwebで検索するとすぐ出てきますが、
代行業者のwebサイトも同時にたくさん出てきます。

↓コレがインドのe-visa申請HP
https://indianvisaonline.gov.in/evisa/tvoa.html

以下のスクショ画面のようになっています。(頻繁に更新されるようで、やり方はちょいちょい変更されるようです。)

せっかく英語を勉強したんだから、自分でやってみよう!
とYoutubeやブログを検索し、見ながらやりました。

はじめは分かりづらく、慎重になりましたが、普通に申請通りました。
e-visaは出国の4日前までに取得する必要があります。

web申請にはパスポートの写真データや、証明写真などがいります。
スマホ撮影でもOKですがサイズ変更やファイル形式に指定があるので注意が必要です。

大使館の申請やweb申請もパスするまでに時間かかるので、フライトの予約含め、最低でも2週間前までには済ませたい作業です。

初の海外、日本語のない世界に飛び込む。
ドキドキです!
弟分も最初のうちは反対していたけれど、
visa申請の手続きのアシストをしてくれたり、インドに行くと決めてからいろんな人が協力してくださいました!
ありがとうございます。

バックパッカー経験者の友人からは
・財布はスリ対策にフェイクを用意しておくこと
・トイレットロールの芯なしか、芯を抜いて1つ持っていくと便利
・Tシャツは3着もあれば十分
・必要なものは現地調達すればいい

もちろんわたしもバックパックのみの腹づもりだったので、
とても参考になりました。

リゾートでもビジネスでもなく、旅をするのですから荷物は少ない方がいいです。

2週間なら、
トイレットロールは1つでOK!
Tシャツ2着でもいいくらいです。(雨季はしらんけど)

フライト予約も早めがおすすめです。
日本ーインドの往復はピンキリで、約7~30万円。
海外の航空会社やLCCだと、最低価格で移動することも可能ですが、
最安値だと乗り継ぎが海外だったり、現地には深夜到着だったりと条件が悪くなります。

流石に冒険しすぎもちょっと。
私はANAを選びました。
予約したときは14万円くらいでしたが、直前になると、なんと約40万円に!
ご覧くださいこの上がりよう....!

あぁ〜早く予約しといてよかった。
予約には、
私のような失業者や、節約家、低所得者に優しい比較サイト「スカイスキャナー」がおすすめです。
且つ、なる早で!
↓公式サイト
https://www.skyscanner.jp

ここでは各航空会社や旅行会社、世界中のアクセスやホテルの価格比較ができます。
リベートなしで予約サイトや航空会社の公式サイトにリンクから飛べるので、とっても便利です。

旅の経験をした方から寝台列車で旅をした思い出話を聞かせていただいたり、
旅作家、嵐よういちさんの著書「インド超特急!カオス行き」を拝読し、

私も乗りたくて、どうしようかと調べたところ、
「12GO」という予約サイトからインドの鉄道の予約ができます。
「12GO」はシンガポールとタイランドで創業された予約代行企業だそうです。
(フライトもフェリーも予約できるようです)支払いはクレジットカードで行いました。
↓公式サイト
https://12go.asia/jp

以前は、Indian Railways の公式webサイトからの予約で、
インド在住であれば比較的簡単に予約できるそうですが、サイバー攻撃対策のためか、国外からの予約は結構大変だったそうです。

アゴダからもインド国内のバス、鉄道の予約ができます。
(結局12GOに飛ぶように?リンクしているようです)
https://www.agoda.com/ja-jp/?ds=l%2Bm3ok2UInIOb8dv

計画しても計画通り行くとも限らないのですが、
ある程度は現実的に、どの期間どれくらい移動できるか考えて予約しておくといいと思います。
日本のバスターミナルやみどりの窓口のように、現地で気分によって選ぶのもありかも知れません。(英語や現地の言葉が話せたらね)
本当に便利だなと思ったのは、スマホがあること。
ネットワーク状態が悪いエリアや混線?していることもありましたので、
予め日本で予約し、イーチケットのPDFデータをファイル保存しておいてよかったなと思います。

英語が不慣れな私は特に!

予約や移動、すべて自由に決めていく。
パソコンの前、ガイドブックを読んでいる時
さて、どこに行こうか!
もうすでに未知の世界!それだけでもワクワクしていました。

知らないことを調べていくことも冒険の一つです。

身体的、精神的に外出ができなくても、いろんなことを調べると、いい刺激があります。
家にいながらも想像力を掻き立てられるのも冒険の一つです。

「ドラえもん」の作者、藤子F不二雄さんは、
少年時代は病弱で、学校に通えないほどだったそうですが、
家の本を読み漁り、想像力を掻き立てて、心で旅をしていたそうです。

インド超特急!カオス行き (わたしの旅ブックス)
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アンマに会いたくて

知人に聞けば、究極の民間療法、「アーユルベーダ」を受けたい目的があったようで、
いろんな人に尋ねてたどり着いたのがアンマのアシュラム。
紹介を受けてアンマに会ったと聞きました。

アンマって?

インドには時代時代に、スピリチュアルリーダーが現れます。
・ガンジー
・マザーテレサ
・サイババ
・アンマ etc…
アンマは女性聖人として、世界的に有名らしく、
世界中を旅して、救済を求める人にハグをして、メッセージを送り、希望を持たせる活動を行なっているそうです。
また、
アンマの寺院に滞在している期間中はアーユルベーダを受けることもできるのだとか。
その期間、寝床や食事は無料だそうで、
特技を活かした奉仕活動(料理ができる人はキッチンを担当したり体力のある人はものを運んだり掃除をしたり)
をしながら過ごすそうです。

そんな人ならぜひ一目見たい!会って話してみたい!
会ったからと言って、何もかもが薔薇色になるわけではなくても、希望が欲しかったのですが、
アクセス方法や、コンタクトを取ることが叶わず、今回は断念。
少なくとも私の知人は、長年持病で悩まされ、人生の転換期にふさわしいメッセージをもらったことを聞かせてくれました。
きっとまた、「呼ばれる」タイミングで会えたらいいなと思いました。

今年、2024年2月に、勤め先から解雇されるまでも、葛藤やコンプレックスがありました。
小中学生の頃のいじめや学歴、就職難、持病等
40歳になった今でも、まだまだ人生迷子状態…。
いじめたれた経験から、
「なぜ自分はみんなと違うんだろう」
「どうしたらともだちができるんだろう」
「どうしてうまくいかないんだろう」
学校の閉鎖的な空間で存在を否定されるような経験を持つと、孤独になります。
幸福感を見出すことが出来なくなってきます。
優しく接してくれていた大人たちも、
私が成人を迎えると、ネットワークビジネスや、新興宗教、自己啓発セミナーなどに誘うになります。
口当たりのいいことを言われ、そのような大人にホイホイついていき、痛い目にあいます。
当時から大した所得も家も豊かではなかったので(今もですけど)大きな損害は無く軽傷ですみましたが、
20才台前半は、何が本質で誰を信用すればいいのかわからなくなりました。
それでも漠然と何かを模索し、変な?本に影響を受け、神秘体験に興味を持つようになります(笑)

ワイス博士の前世療法 (瞑想CDブック)

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別のショップのリンクを追加・編集


正常な判断ができないうちはこんなん買うたらあかんのですよ!(笑)
絶対買うたらあきませんよ。
付録CDを聞いても何も起こりませんでした。
また、このような療法で「治療が成功してよくなった」という人には会ったことも話したこともありません。
私自身、興味を長年持ちつつも、未だかつて神秘体験をしたことがなく、
沖縄にある斎場御嶽(せいふぁーうたき)に行った時も感じる人は立っていられなくなると言われる場所に足を踏み入れても何も起こりませんでした。
これだけミラクルを信じて今日まできたのにです(笑)
アンマに会った知人は魔法をかけられたのではありません。
あくまで自力で起業しビジネスオーナーになったのです。
とはいえアンマと会った彼女の思い出話はとても魅力的でした。
今回自身で組んだインドひとり旅のスケジュールは

デリー2泊
アムリトサル2泊
デリー2泊
寝台列車1泊
バラナシ2泊

日本ではここまで決定し、予約サイトにて、準備をしました。
その後の予定は日本で計画できずでした。
天気図をチェックすると南部はすでにモンスーン(雨季)です。
今回は交通の便やリスクの考慮と移動の範囲を滞在期間に合わせてエリアを絞りました。
未知の大陸です。
現実的に意義のある旅にしたかったので、収集できた情報をもとに、リスクを避け、
やりたいことや行きたいことを幾つか考えました。
せっかく旅に出るのだからやりたいこと、行きたいところをクリエイトしよう!
だって14日間のひとり旅は自分で決めた自分の旅なんだから!

◾️やりたい

・アンマに会いたい
(インド行きを進めてくださった知人の話の中で最も興味深かった)

・友達をつくりたい
(英会話を学び世界中に友達をつくりたいという夢ができたから)

・寝台列車に乗りたい
(大陸を一晩かけて移動してみたいから)

・アーユルベーダを体験したい
(持病の偏頭痛や不眠に対するアプローチができるか相談したかった)

ざっくりとこんな感じです。

「地球の歩き方」などの旅に関する本を読み、おおよそを日本で予約して、
細かいことは現地で決めることにしました。
英会話スクールのカリキュラムに集中もしたかったので、情報収集の時間も限られます。

加えて「地球の歩き方」の情報が膨大すぎて決めきれない。
旅の参考にとYoutubeを見るもどれもこれも碌なものがありません。
大体が、デリーかムンバイで街並みを映しては「ちょーカオス!」と言い、カレーを食べて観光地に乗っている場所を撮影して終わり。
(カオスは悪気なくスラングとして差別的な発言をしているのでしょう)

見るに耐えません。
と思います。
Youtubeに関しては、
有益な情報は再生回数を伸ばしていないチャンネルか、現地あるいは欧米圏の海外ユーチューバーのチャンネルに隠れている印象です。
そんな中、
るチャンネルで北部パンシャーブ州アムリトサルを紹介している女性のチャンネルを見つけました。
日本人が訪れることが少ないエリアだそうで、主にスィーク教の総本山、ゴールドテンプルに対する内容でした。
知人も行ったことがないエリアで情報は「地球の歩き方」とそのYoutubeチャンネルのみ。
「インドで困ったらスィーク教徒に聞け」と言われるほど誠実で嘘をつかない人たちと言われています。
戒律によって嘘をつくことを禁じられているからだそうです。
スィーク教のことはご存知でしょうか?
男性が頭にターバンを巻いていて、インドのイラストでは象徴的に使われています。

仕事をクビになって、せっかく空白の時間ができたのですから、
現実的な予算や滞在期間を考慮しながらも、彩りを添えたいものです。
結果、このような北部を中心に旅をしました。


身近なドリームキラー

それでも友人たちは
「おすすめしない」
「大丈夫なの?」
弟分まで
「アニキが心配っす、インドなんてだいじょぶっすか?」

40歳
海外経験なし
英語力は0

まあ反対されても仕方ないけれど、

新しいことを始める時に
「やめといた方がいい」
「そんなの無理だ」
「いまさらやっても」
このような、やろうとしていることを否定したがる人のことを「ドリームキラー」と言います。
先日、英会話の先生に教わりました。
インド行きをすすめなかった人は、みんなインドに行ったことがない。
逆に、インドに行ったことがある殆どの人が、インド行きをおすすめしてくれるという。

過剰なお布施を要求する宗教団体や、マルチ商法など、人を傷つけてしまうような団体やグループが
素晴らしい発想を利用して、人を洗脳することは本意ではありませんが。

だいたいすぐに否定したがる人は話してて心地よくないし、論破しようと思えば簡単ですが、
そんなことに時間を費やすなら、自分の為や困っている人に手を差し伸べてあげる時間を送ったほうが絶対に豊かになれます。

家電量販店で販売の仕事をしている時に、
英語対応ができないことが悔しくて以前から、英語の学習本で勉強をしていました。

英会話のオンラインスクールに申し込もうかと思ってYoutubeのプロモーションをチェックしていましたが、
申し込んだのは、仕事をクビになってから。
それまでは自学自習。

インド行きの準備に本腰を入れる前でもあり、仕事の隙間時間ではなく、じっくり学習できるタイミングができたので、
60日間一日1フレーズずつ学習していくスタイルのメソッドの
サチン・チョードリー学長の「SPEAK UP」に申し込みました。

キャンペンやってたら約20万円で学べます。
毎日の積み重ねって大事だなと。

不登校、発達の遅れ、学歴
自身の過去を振り返ると居た堪れなくなり、とても深刻でした。
でも
大人になって脳も少しずつ変化してきます。
学び直しとか新しいことを学ぶことはとてもいいと思います。

英会話学習ができたおかげでインドでの言語ストレスは少なく済みました。

Englishではなくglobishとして、世界中の人と友達になりたい思いをずっと持っていたので、
これもまた、いい機会といいスクールに巡り会えたと思います。

そうしている間に、周囲の人も協力してくれたり、いろんな情報を教えてくれるようになっていきました。

過去にオーストラリアで映画監督をしている姉の友人からもらったメッセージは
「無限大の可能性は、夢幻とわかっていても、突き進むことから生まれるものです」でした。


英語は"テキトー"が9割
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夢のレガシーキャリア①LCCとの違い


「右側の扉が開きます」
遠足の前日、小学生なら眠れないほどワクワクしたことはありませんか?
長年悩まされている不眠も手伝って一睡もできず、おかげさまで寝坊せずに関西空港駅に着きました。
改札を抜けて右に行くことしかなかった私。
毎年の楽しみは、沖縄県に旅行することですが、飛行機はLCCを利用させていただいていました。

今回のインドひとり旅ではレガシーキャリアANA便を予約!
1タミなんか入ったの何年ぶりよ?(初めての飛行機に乗ったのは中学生のころ、LCCが普及する前、スカイメイトにて大阪ー東京を移動して以来でした)
LCCはローコストキャリアの省略。
非常にありがたいのが、空の便や、空港利用の経験をすることに対する敷居を下げてくれたので、
以前から行きたかったところに行きやすくなりました。

日本で流行ってくれて良かったです!
毎年乗っているのは、ピーチアビエーション株式会社(ANAホールディングスの子会社)の飛行機。
成人迎えてから自身で飛行機の予約をして旅の計画をしたのが、30才前半の頃でした。
ですが、今回のひとり旅では憧れのレガシーキャリア(エコノミ)を予約しました。

関空では、ピーチ便は2T(第2ターミナル)からの出発。
その他レガシーキャリアは1Tから。

ここだけでも、違いがあるのは
2Tにはバス移動、後に増設した搭乗口、滑走路まで行かなければなりません(しかも簡素)。

対して、
1Tは創業時に建設され利用者の動線がよく考えれて作られている印象です。
オンラインチェックインを済ませていたので、e-visaや預け荷物の確認のみで、
ゲートを潜って、搭乗まではいつも通り。
待合スペースでアナウンスがあり、搭乗!

まずは関空から羽田に移動。
羽田で乗り継いで、こそこからはインドまで直行です。
驚いたのは座席の広さです。
機材に乗り込むと、見たことない座席シートに驚きました。(前方はプレミアムシート)
エコノミークラスの座席であってもLCCとは違い、前方座席との間隔はかなりゆとりがありました。
500mlのペットボトル1本文の隙間(身長173cmの私)
なんと座りやすい!
↓写真は羽田ーインドの直行便で撮影しました。

USBポートや、タッチ操作ができる座席モニターがついていたり、足元にはグローバルコンセント!
映画や音楽が楽しめるようになっていました。

羽田の出発ロビーでは、
日本人が少なくインド人?がたくさん出発ロビーで待っていたことです。
まぁそりゃそうなんですけど、
ここで改めて、「あぁ、おれ、初めて海外行くんだ!」という実感が湧きます。
座席の仕様は若干違いグローバルコンセントがない機材でしたが、「アレ?さっきの飛行機より広い?」
天井が高く、機内のスペースが大きく感じました(気のせいかしら)。

「ご搭乗ありがとうございます。入国カードでございます」
「え!これなんですか」

初めての海外旅行と伝えると親切に書き方を教えてくださいました。
同時に、
「初めてでインドですか?またどうして?」と驚かれました(笑)。
「いや、時間ができたことで尊敬する人の勧めでパンチきいた国に行ってこいって勧められて…はい。」
経験豊富なCAさんも、初の海外旅行で「インド」はあまり聞かないと言っていました。
機内の安全アナウンスが流れ始めました。
LCCではCAさんが各ポジションに立ち、サンプルのベルトや酸素マスクで使用方法を放送に合わせて説明しているのですが、
座席モニターに案内が映し出されます。

ほう、これがレガシーキャリアか…。
離陸後、飛行が落ち着きドリンク提供がありました。
いや、
ドリンク提供以前にインド人たちは座席に座るや否や通りがかりのCAさんにビールをオーダー。
CAさんは乗客たちと笑顔でコミュニケーションをとりながら、
用事の合間にパッと渡して通常業務に戻る手際の良さと把握の早さ!

なんと…!
LCC(ピーチ)では機内飲食は有料で、都度払いで機内Wi-Fiを用いてスマホからオーダー。
ピーチは今、おそらく殆どがそのような形でクレジット決済だったように思います。
レガシーキャリアはサービスに含まれているのでおかわり自由の選び放題。
「お飲み物はいかがなさいますか?」
「え!?サービスですか?」
「もちろんでございますw」笑われちゃいました(笑)
「すみませんレガシーキャリア乗るのん初めてなんですよぉ。」
「あら!そうなんですね、せっかくですのでたくさん召し上がってくださいね!コーヒーに紅茶、アップルジュース、コーラ、お酒はビールにワインと…」

え〜まじかよ!

なんぼあんのよ?
エコノミークラスもLCCと扱いはおんなじくらいかと思いきや、

全然違いました!

「スナック菓子もございます」
ちょー待って!これサービスでこんだけあるわけ?
焦る私。
とりあえずトマトジュースと2回目のオーダーはコーヒーを。

その昔、
1970年代初頭にLCCができたそうで、背景には第四時中東戦争やオイルショック諸々で世界的な大不況がなんちゃらで、これまでの在り方では乗客は減り、各航空会社が苦戦。
そして自主的に割引などの施策をしていたそうで、
のちに航空規制緩和に伴いレイカーエアウェイズというイギリスの航空会社や、アメリカのエア・フロリダという航空会社など次々と格安航空会社を立ち上げては姿を消すの繰り返しで…。

しかし業態は世界中で需要があり、今もLCC文化が根付いていますね。
恩恵に預かりLCCを利用し空の旅を経験できたことは非常に良かったです。
しかし、
LCCしか乗ったことのない私にとってANAは驚きの連続でした。

そうそう、
日本の無塩・無添加のトマトジュースに慣れていると、インドのトマトジュースも驚きました!

どう驚くかは飲んでみてからのお楽しみです!(笑)

夢のレガシーキャリア②機内食

機内ではインド人の乗客が思い思いの時間を過ごして、ビールを何本もおかわりしたり。
空席の目立つ便でしたから、3列横並びシートに一人とかのスペースは結構ありました。
それを一人でベッドのように寝転んだり!
↓写真のような...。

え!ピーチでやったらイエローカードものでは...。
と思いつつ誰も注意しないので国際線はそんなものなのかなと思いながら空の旅を楽しんでいました。
そして1時間くらいでしょうか…。
機内食の時間です。
前方の列から順番にオーダーを取り、全員にサーブされているではありませんか。
昨夜から何も食べていないし、お腹も空いてきました。
私もなにか注文しようか…。
ようやく自分のところにもCAさんが来てくださいました。

「本日は牛すき弁当とシーフードドリアのご用意がございます」
メニュー表に価格が載っていないので、
「あの、おいくらですか?」
CAさんが笑顔で「サービスでございます」
何も知らん奴が乗ってきたと思われとるなぁ…思いきや、
不慣れな私に非常に丁寧なお取り扱いをしてくださいました。
牛肉を食べない国に行こうとしているのに牛すき弁当ってのもな…と思い、
(インドではヒンドゥ教の文化として、牛は神聖な動物として、原則、殺生しないとされています。)
選んだのはシーフードドリア。

無料でこんなボリューム!(というより、料金に含まれています)
すごい!
昔のTV番組「トリビアの泉」の監修者が、機内食は遭難や不時着等の万が一に備え、ハイカロリーのメニューを提供しているという内容を著書に書いていたような記憶があります。
さぁ、
人生初の機内食です。
献立は
・ミニサラダ
・スープ
・大根の洋風煮
・鴨ローストとマッシュポテト
・シーフードドリア
・ロールパンと100%生乳バター
・ハーゲンダッツアイス
フォークとスプーンはプラスチックや木ではなく金属で出てきました!
コレじゃまるでレストランじゃありませんか!

因みに
インド人には、別メニューが用意されていて、
ベジかノンベジで選べるようでした、
ヨーグルトとデザートのアイスはインドのブランドなのか、見たことのないラベルの物が配られていました。
向こうの方から、何やらスパイスの香りがするぞ?
乗客の好みに合うメニューを4種類用意しており、確実にサーブしているのがまた素晴らしい対応力でした!

おしぼりで手を拭き、両端にギザギザがついている透明の袋から取り出し

「いただきます!」
なんと美味しい!」

インドについてからの食事が合うかどうかわからない、とりあえず今のうちにしっかり食べておこう!
業務食品を取り扱うスーパーマーケットや食品スーパーにしても、極力、輸入品を食べない習慣が長かったので不安がいっぱいです。

外国のものを敬遠するようになったのは、海外のお土産や、お菓子が口に合わなかったことがきっかけです。

食事が済み、程よいタイミングで高級アイスクリームが出てきて、なんだか至れり尽くせりな感じです。
お腹も落ち着いた頃、タッチスクリーンでスカイマップを確認。

慶州というところの上空を通過中でした。
「もうここは日本じゃないんだ!」と特別な感動がありました。

約8時間のフライト時間の中に、
感動はまだまだあります!

夢のレガシーキャリア③

食後のドリンクも乗客が思い思いのタイミングでオーダー。
LCCだと空気的にオーダーもしにくいし、やはりサービスを削っている分、

節約のためかドリンクやスナックのオーダーをする人はかなり少ない印象に対し、

レガシーキャリアは、

バンバンオーダーするもんだから驚きです!

慣れている人や、私のようにここぞとばかりに注文する乗客もいることでしょう。


なんと自由度が高い...。
楽しんでいたところ、機長からのアナウンスがあり
この先揺れる見込み、シートベルト着用と化粧室は今のうちにとのこと。
CAさんが、シートベルトのサンプルを手に持ち、乗客に見えるように着用を促していました。
インド人の乗客は、缶ビールを片手に知り合いの座席の近くに行き、立ち話をやめない乗客や、
寝転んだままの人たちも「OK OK」返事だけで、まったく聞かない(笑)

シートベルトの着用をしないのです...。
ドリンクを持ってきてくださったCAさんに
「あの人ら、誰もいうこと聞いてないじゃないですか!汗」
「ええ、日本の方は徹底してくださるんです(笑)」
切り返しもさすがでした。
インド便以外にも自由度高い空気感の際は臨機応変に対応しているとのこと。

あんたら、危ないで!?機長が言うてんねんで!?
機内食タイムが終わり、機内が暗くなりました。
照明がフェードアウトするみたいに。

え!なんで?
方角的に西陽を追いかける感じで飛んでるはずなのに、窓が夜みたいになっています。
わからん!
ピーチのようにシャッターが各窓についてへんのに!
のちに調べると、「電気シェード」と言う特殊な材料で、スイッチで窓の光を制限できる装置みたいです。
おぉ〜!科学の進歩を感じます。

【787のヒミツ】ボーイング787 ここがすごい! 『大きな窓と電気シェード』 | ANA ボーイング787就航10周年記念サイト | ANAグループ企業情報ANAグループでは、就航10周年を記念して「787 10周年プロジェクト」を開始します。

www.ana.co.jp

www.ana.co.jp

JAXA広報部のwebサイトの情報によれば大型旅客機 1台あたりのお値段は、日本円で180億円だそうで(焦)

飛行機の値段はいくらぐらいですか? | ファン!ファン!JAXA!皆様から寄せられるよくあるご質問と回答を掲載しています。

fanfun.jaxa.jp

便利と安全にかかるコストってすごいんですね。
暗くなってからは座席モニターの映画が一層楽しめます。
映画を見たりオンデマンドラジオを聴きながら、

機材は、
富士山の上空を過ぎ、名古屋、広島、韓国ソウル、北京を右手に西安を越え蘭州と、ウルムチを横切れば真下にカトマンズ。

日本時間の18時30分気づけばインド国内上空に!
コルカタを通り過しあっという間の8時間。約6000kmのフライトでした。

到着2時間前くらいに軽食配られ、パニーニをいただきました!
これもまた美味しかったです。


私が乗ったのはエコノミークラス。
ビジネスクラスやファースクラスは経験がありませんが、非常に快適で、贅沢な体験が出来ました。
LCCは
短時間のフライトにて移動することや、サービスがシンプルなところ、
座席数を増やして大勢の乗客を乗せられることで価格面のメリットがあります。

レガシーキャリアは
機内食、ドリンク、スナック、ブランケット等

フルサービスが受けられるという面で長時間のフライトに不自由がないところがすごくいいです。
人生初の海外旅行
ANAを利用させていただけて本当に良かったです。
行き、5月23日 NH837便
帰り、6月6日 NH838便
ともに手書きのメッセージカードをいただきました。

大変丁寧なお取り扱いと特別なお計らい。
心のこもったお手紙を本当にありがとうございました!
この時、
空の旅を終え「今はインドなんだ」と到着の安堵感と
旅の始まりのハラハラ感が混ざった、不思議な感覚でした。

どんな14日間になるんだろうか。

旅客機だけでも発見と感動がたくさんありました。

さて、インドはどんな国なのでしょうか。

いざ!


ドキドキの入国審査

2024年5月23日
着陸体制に入るも、どうやらまっすぐ飛んでいるためか、窓の外がなかなか見えない…。
三人がけシートが三列で、両サイドに通路があり、

私の座席は中央列で、窓までは遠く、見下ろすことが出来ずでした。

大陸をいち早くこの目で見たいと思って、ちょっと首をぐいっと伸ばしてようやく見れた景色が
着陸直前のデリーの街並みでした。
マンションのようなビルが規則的にズラーっと並んでいて広大な景色が広がっていました。

おぉ!インドだ!
もうすぐ到着!

到着の安堵感で終わりではなく、これからインドの旅が始まる!

「やっと着いた〜!」と同時に初めて経験する異国。
コワイ!大丈夫だろうか…。

バックパックを座席上部の共有収納棚から下ろし、飛行機の外に出る順番を待つ。
これから入国審査
その後は日本語のない世界。

60日間の英会話スクールのレッスンと、
X(旧Twitter)のスペース機能にて英語が堪能な友人の協力で「公開英会話道場」と銘打って特訓を受け、
入国審査などの練習を重ねた成果が出せますかどうか。

降りる順番がやってきて、いざ空港に。

先ず感じたのは、空気の匂いです。
窓から見える景色は大気汚染のためか、空は晴れているのに霞がかっており、
工場らしき建物は近くにないのになぜ?(おそらく車の排気ガスと思われます)

匂いに敏感な私には「うっ!」となって、
やばい!このままだとえずいてしまいそう(焦)

嗅覚を通過するほど、思いっきり空気を吸い込みゆっくり吐き出す深呼吸を繰り返し、なれるようにしなければやばい!と思って
自分なりにコツを掴みました。
空港内にあるコンクリート、塗料、ダクト、諸々、
建物の匂いもあるんでしょうけど、それにしてもこの空気の匂いは慣れるのに少し時間がかかりました。

歩きながら英語表記の案内を見て進みます。
表記は英語とヒンディ語??
マークと知っている英語をたどって何とか...。
空港内の撮影は議遠慮下さいと、機内アナウンスで言われていたので、
↓今回は絵を描きました。
入国審査前の到着ロビーです。

入国審査の場所を空港スタッフに英語で質問。
出来た!(ここで初めて英会話レッスンの効果を実感)
しかし不安。

怖気付いてるわ。おれ。

前方をあ歩いている日本人の青年に思わず「こんにちは」と声をかけたら、
18歳の彼もバックパッカー
「あ!日本の方ですか!?」

話が弾み、話をすると、彼もまたひとり旅。
彼の場合は英語が堪能で、ヨーロッパ等を旅し、インド旅に挑戦したい思いを持って来たものの、
「やっぱ、ちょっとビビってるんですよねぇ」と彼が言う。
「いやぁ、俺も初めての海外旅行でびびってて」
「初めてでインドっすか!強いっすねぇ〜!」
旅慣れてる彼に言われてちょっと嬉しかったです(笑)

とりあえず、入国審査を終えたらしばらく行動を共にしませんかと、どちらからともなく、誘い合い、
いざ入国審査!

Can I have your passport?: Yes I have. (パスポートを見せてください:はい)
Who are you traveling with? : I am alone.(他にお連れ様は?:一人です)
What is the purpose of your trip? : Sightseeing.(あなたの旅の目的は?:観光です)
How long will you stay? : I will stay for 2 weeks. (どのくらいの期間滞在されますか?:2週間です)
Where will you stay? :I will stay at ABC Hotel. (どこのホテルで宿泊しますか?:ABCホテルに宿泊します)
What is your occupation? : I don’t have work now. But I was a salesman.(ご職業は?:元セールスマンです)

以前から質問されるであろう一連の流れを英会話スクールや友人たちの協力にて特訓してもらっていました。

いざ挑む!
ところが
何も聞かれず、書類に目を通し黙る審査のスタッフさん。
たまりかねて「ぱーぱす いず さいとしーんぐっ!」

「わかってる、読んでるよ」と言われ指センサーをパスして通過。

え!こんなもん?
あんだけ練習したのに(笑)

英会話スクールで外国人講師にオンラインでレッスンを受け、すらすらと答えられるまでやったのですが、
案外すんなりいきました。

後に海外経験豊富な友人からは、
日本パスポートの特権だ!とのこと。それくらい日本人という信頼性が高いので、
結構、入国審査がゆるい国や地域が多いとのことでした。

ちょうど入国した際に、乗っていたANAのクルーの皆様とバッタリ!
覚えていてくださったCAさんにお声がけをいただいて、
またコックピットクルーの方も「そうでしたか、フライト疲れませんでしたか?」とお気遣いをいただいたり、ますますANAのファンになりました。
「人生初の海外おもいっきり楽しんできます!」とお伝えすると
拍手で見送っていただきました。

お見送りいただいた嬉しさと、未知の世界に飛び込む緊張といろんな想いがミックスジュースのように。

インドに入国!
未知の世界へ!

インドの空気:その感覚は…

2024年5月23日 夕方

インドに入国したら、
まずは日本円をルピーに両替します。


インターネットやガイドブック「地球の歩き方」には

空港の両替はレートが悪いと書かれています。
ガイドブックでは、宿泊先や街の両替所で両替することを勧めています。
空港だと、1万円が7500~8000円くらいになります(たしか…)。
英語が苦手な私は、この時にしっかり両替しといたらよかったと、後に後悔しました。
カードが使えると書いているお店でも、「マシンが壊れている」「ネットワークが不調で」など
使えないお店が多いので基本、現金を持ち歩いていく方がいいと思います。
また、インドでは1cmでも破れている紙幣は使えないんです。
個人商店は、釣り銭を正確にくれるお店も少ない上に、正確にくれたと思ったら、敗れた紙幣を渡されることもあります。

街の両替所もです。
入国審査時に知り合ったたいちゃんは現金を持ち歩かずクレジットカードや、電子決済をメインに、最低限の両替をしていました。

さすが!旅慣れてる彼はすごい!よく調べている!
個人的には、
空港は新しくキレイな紙幣を渡してくれるので、インドで使うお金は空港で用意しておくといいと思います。
節約も大切ですが、後のリスクを考えるとその方が楽で、
インドで「あぁ!持ち合わせがない!」というリスクが避けられます。
釣り銭の件も、インド経験者から聞いていたので、大きなお金を極力砕いてもらいました(これもガイドブックやインターネットを調べると記載していることが多いです/個人商店では釣り銭がないことがあるので細かいお金を用意しておくといいです)。
国審査の列で知り合った日本人の友人たいちゃんと共に空港内を散策。
彼がいてくれたおかげで、つたない私の英語をさらに英語で通訳してもらいつつ(笑)
ドラッグストアやドリンクショップに立ち寄ったり。
たいちゃんとは、宿泊先が近くでが同じニューデリー駅からは徒歩圏内。
また、お互い緊張しているのもあり、
二人で地下鉄でニューデリーまで移動することにしました。
空港の外に出ようとするも、案内板が少なくて困る…
見つけても愛想のない情報や最低限の記載のみでした。
慣れている人にとってはそれで良くても、我々にとってみては...。

海外経験豊富なたいちゃんも、「案内板が少ないですね…。」と呟くくらいでした。
ようやくメトロの連絡口を見つけて外に出ると、
40℃の世界が待っていました!
たいちゃんと声を揃えて「あっつぅ~!」

なんだこれは!

初めての匂いと熱気!
iPhoneに表示される天気アプリの温度計は、見たことない色をしていました。

気温は高いのですが、湿度がないので、ジトジトする感じはありませんでした。
それにしてもこれは暑い...。

たいちゃんは匂いに関して私ほど敏感ではなく、「匂いは感じない」としながらも、
「なんか喉が粉っぽいっつーか咳が出そうで出ない感じなんすよね」
やはり大気汚染は世界で問題視されるレベル。
且つ、大都市、首都デリーの交通量と人口。
出口に待ち構えていたのは
暑さだけではなく、オートリクシャー🛺による客引きが大勢いました。

インド行きを進めてくれた知人の女性からは、
・「空港から宿泊先までが一番の難所」
・「変なオートリクシャーに捕まって、ぼったくりに会う可能性が高い」
・「向こうから声をかけてくる人は信用するな」
空港での3つの鉄則を教わっていました。
お!早速きたか!(来たのは私たちですが…)
「フル無視決め込んでメトロの駅まで向かおう」と、たいちゃんと話し、
どれだけアプローチされても振り切って駅に向かいます。
しかし、意外にも声をかけてきたのは3人程度でした。

おそらく今はUberTAXIやOlaという配車予約アプリがあり、オンラインで予め予約ができるようになったためか、
カモにされることが少なくなったのかもしれません。
私が行った2024年現在は過剰な客引きなどは極端に横行している様子が少ない印象でした。
加えてデリーメトロという地下鉄が2002年に開通して以降、

インディラガンディー空港からニューデリーまでのアクセスはよくなり、
おそらくぼったくり被害は少なくなってきているのかも知れません。

安全に移動するには地下鉄がいちばん!

それでも客引きは多数いるので、無視を決め込まないとカモにされるので注意が必要です。
この国の詐欺師も忙しいので、
見込みのない商売よりも、なにか他の稼ぎ方を考えるのでしょう。
知らない国や土地に行く時は、「地球の歩き方」シリーズは本当にためになります。
名所の情報だけではなく、交通アクセスについてや、読者から寄せられた現地でのトラブルも記載があるので、
インターネットでは得られない情報があります。

D28 地球の歩き方 インド 2024~2025 (地球の歩き方D アジア)

Amazon(アマゾン)

あと、
おすすめしたのは、双葉社から出ている「バックパッカーズ読本」
全面改訂版 バックパッカーズ読本

旅に出るそれぞれの理由や体験などが書かれていて非常におもしろいです。
この本には「地球の歩き方インド」の編集者 松岡宏大さんのコメントも乗せられていて、編集担当の松岡さんのコラム「ガイドブックに載っていない街へ行け」
この意味が後にわかるようになっていきます。

異世界がそこに:たいちゃんと見た別の惑星!

2024年5月23日 夕方

なんとかメトロ駅に到着!

駅の入り口は空港のように、荷物はX-ray検査とセキュリティゲートがあり、潜った後に全身を金属探知機でチェックされます。
切符は日本のような券売機ではなく
ガラス張りの窓口で1人ずつ行き先を伝えて、切符を駅員さんに直接支払い切符をわたされるシステムでした。

ICカードをチャージするマシンも券売所の近くに設置しているので、
現地の人は窓口に並ばず利用しているのかも知れません(知らんけど)。
初乗り運賃がなんと…!初乗りは日本円にして18円!

大阪メトロよ!もうちょいがんばれ(笑
メトロ(地下鉄)でニューデリー駅まで移動。

↓たいちゃんと

インディラガンディー空港からニューデリーまでは、およそ20分。運賃は80円くらいだったように思います!
改札を出たらこんな感じの駅の内装はこんな感じです。

そして外に!
やはり外の気温は40℃超え。湿度が少ないようで、日本のようなジメジメした感じはなかったです。

インドの5月は暑期。
雨季に入る直前が最も暑い時期で、雨季の次に観光には向かない時期だそうです。
ただ、私のタイミング的にはこの時期以外は難しく、また40℃を超える気温を経験したくて5月を選びました。
ちなみに観光のベストシーズンは10~3月ごろだそうです。

宿に向かいながら散策スタート。
駅の改札を抜けて、
初めての場所は、どこから外に出ればいいのか迷いつつ、
目についたところから階段で地上に出ます。
階段の曲がり角では、地べたで寝ている人があちこちにいます
日本人から見ると、ホームレスなのかなんなのかわからないのですが、これがインドの日常風景です。

休みたくなったらそこらへんで寝るのがインドスタイル??
驚く光景を目にして、冒険心が湧き始めた時、

たいちゃんは横たわる熟年女性に気づかず、ひょいっと女性が上半身を起き上がらせた瞬間、悲鳴をだして驚くという(笑)
寝ていた熟年女性も思わず笑う。
「たいちゃん、海外経験あんのにどーしたよ?」
「いや、ビビるじゃないですか!もぉ〜どーなってんすか!」
意外にも彼の方が周囲の雰囲気に飲まれている感じでした。

メトロのニューデリー駅から出ると、そこには陸橋があり、ロータリーが見えました。
旅系ユーチューバがよく撮影しているところで、画面で見たことがありますが、やはり自身の目で見るのとは全く違います。

旅系ユーチューバが「カオス」という言葉を使って視聴者数を獲得しようとしていらっしゃる意図は否定しませんが、個人的にはスラングとして用いるユーチューバーを目にすると気分が悪いので見ないようにしています。

本当の意味わかって使ってる?

人口が世界一多く、さまざまな文化が存在していることくらいは私でも知っています。
視聴者や現地の方のことを見下しているように感じます。
決して、スラングとしての「カオス」はここ、インドにはありません。
そう思う人の心が「カオス」なんです。

散策は続きます。
陸橋から見下ろして、目が合った現地の人に手をふると、ふり返してくれました!

ここニューデリー駅でも謎の客引きの男から、またもや声をかけられます。
でも無視!!
日本でも、繁華街などの客引きを信用しないように、あちらから声をかけてくる人は基本信用できません。
駅は人でごった返していました。
迷いに迷って陸橋から降りたはいいけれど、こっちであってるのか?
駅の敷地から街へ出るだけでも迷いました。

↓駅の敷地から出たデリーの写真

スマートフォンのMAPアプリを起動させ、ルートを頼りに市街地を目指して歩きます。
ふと気づけば路地があり、「行ってみようよ」たいちゃんに提案すると、
「えぇ?まじですか?怖いっす!野良犬もいるじゃないですか!よく行こうと思いますね!」
いやいや、冒険しにきたんだからと言い、歩くとそこにはテント張りの小規模のスラムビレッジがありました。
二の足を踏むたいちゃん。
私は
Can I come in?
彼らに声をかけ、ズケズケと入っていきました。
しょうがなく後をついてきてくれるたいちゃん。

吠える犬はそこに暮らす人たちが世話をしているらしく、私が通ろうとすると、犬を奥へ連れて行き、住民たちは旅行者の我々に笑顔を見せてくれました。
路地を抜けると大きな車道があり、しばらく進むとコンノートプレイスというところまで辿り着きました。

コンノートプレイスはサークル状になっていてそこから放射線状にストリートがいくつも伸びているような構造にまちづくりがされています。
高級時計店やブランド品や大手チェーンレストランなどがあり、「お金持ちの買い物スポット」という感じでした。

コンノートプレイスまで歩いていると急に汗が止まらなくなってきました。
背中をつたう汗、額から吹き出す汗

汗が急に止まらない!
デリー入りして「暑い!」という感覚はあったものの、

ここで身体に異変が!

尋常じゃない汗が吹き出してきました!
空港を出てから1時間半。
徐々に身体の細胞が暑さに気づき、変化してきたようです。
ハンカチで顔や首筋をぬぐいます。

さらに迷います。

敷地面積も広い上にスマホのネットワークも安定せず、GPS機能が正常に働きません。
二人のスマホは役に立たず、電波がいいポイントで位置確認をしながら進みます。

ようやくお互いの宿の行き先を見つけ、
たいちゃんとの行動はここまで。
明日のお昼もたいちゃんと合流し、SIMカード購入に行く予定をたてて、この日は解散。

思い出すと、たいちゃんとはバランスのとれたコンビだったように思います。
彼は英語が堪能で、海外旅行経験も豊富。そして慎重で安全第一。
反対に、
私は、海外経験0、英語力も乏しいけれど、「せっかくきたんだから、普段見れない現地の生の姿を見たい」という好奇心がありました。
おかげでお互いに助け合って、一人なら行かないであろう道を歩いたり、街中で人に声をかけることができました。

「くりーむさん、よくあんな道行けますね!」
度々言われたことがより一層嬉しくて、街探検が楽しくできました。
インドに到着してからの散策中、案外気持ちは平然としていて緊張はなくなっていました。
まったくのひとり行動であれば、もっと大変だったと思います。

行動を共にしてくれたことが私にとって非常に大きかったです。

たいちゃん

ありがとう!

↑彼とはラインを交換して、今も連絡を取り合っています。
名前と写真は許可を得て出しています。
爽やかな好青年で
とっても優しいのに芯が強くて。
チャレンジャーなのに時々臆病なところがあったりして。
旅好きで帽子をかぶっている、彼は日本のスナフキン。

知らない土地で、同じ国の人たちがコミュニティをつくる気持ちが少しわかったような気がします。やはり孤独で、たよる人がいないとなると、自然と出身国が同じ人と交流を持ち、助け合うんでしょうね。

知らない国や土地に行く時は、「地球の歩き方」シリーズは本当にためになります。


D28 地球の歩き方 インド 2024~2025 (地球の歩き方D アジア)

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あと、

おすすめしたのは、双葉社から出ている「バックパッカーズ読本」


全面改訂版 バックパッカーズ読本

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旅に出るそれぞれの理由や体験などが書かれていて非常におもしろいです。

この本には「地球の歩き方インド」の編集者 松岡宏大さんのコメントも乗せられています。


「ガイドブックに載っていない街へ行け」
この意味が後にわかるようになっていきます。



デリーの夜

2024年5月23日夜

現地時間16時ごろインドに到着。
移動や散策で日が暮れてきています。
日本との時差は3時間30分(インドの方が遅い)
誰よりも長い一日です。
フライト前日は一睡もできず、飛行機で1時間ほど仮眠をとったくらいでした。

入国審査で知り合った、たいちゃんと夕方から日が暮れるまで行動を共にしてくれたおかげで、
緊張感が和らぎ、二人でワイワイ言いながら散策できたので、次第にインドの雰囲気にも馴染めました。
とはいえ

ここからはひとりで行動です。
彼の通訳もないし、英会話学習で学んだフレーズとスマホだけが頼りです。
とにかくMAPアプリを使用して、目的の宿まで向かいます。
インド行きを進めてくれた知人の紹介で「アジャイゲストハウス」を選びました。

https://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g304551-d606773-Reviews-Ajay_Guest_House-New_Delhi_National_Capital_Territory_of_Delhi.html

アジャイゲストハウスのオーナー、ロニさん
彼は観光のアシストをしてくれる旅行ビジネスをしています。
ロニシゲタトラベル
日本語が堪能で(細かいニュアンスは別として)困った時に頼りになります。
ロニさんとお会いするのが楽しみ!

しかし向かうまでの道のりは大丈夫なのか?

治安のほどはいかに…。
ガイドブックや大使館のwebサイトに記されている被害報告をチェックしていたので、緊張が走ります。

時々振り返り、後ろを確認したり、パスポートや財布を入れているショルダーバッグにはじゅうぶん注意を払っていました。

ひょっとしたらたいちゃんと解散したのを遠くからマークされている可能性もあります。

実際に体感したことは、
警戒心に反して、夜でも普通に歩いてるくらいだと、治安が悪いという印象はありませんでした。

しかし、目に入ってくる光景はやはりインド。
「オレ、外国歩いてるわ」
海外なんて行くことがないと決め込んでた自分としては、とっても不思議な感覚がありました。
駅だけではなく路上にも、たむろしている人や路肩で横たわっている人たちが大勢います。

印象的だったのは、上半身裸の少年です。

おそらく家がない子供達。
親がそばにいるのかもわかりません。
一緒にいた同じ年くらいの少女は黒い髪の毛が砂埃で白くなっていました。
ショックはショックでも、私がどうこうできるわけではなく、
日本の日常しか知らない私は複雑な心境とともに「これが現実の2024年」「いかに狭い価値観で生きていたか」

という心境になりました。
その後、交差点を渡っている時に、腕に何かが触れました。
人が私を呼び止めたのです。
振り返ると、赤ちゃんを抱いた薄汚れたサリーを着た女性がジェスチャーで指を口元に運ぶ仕草。
「子供に食事を与えるためにお金をください」

最後は、指でお札を数えるようなジェスチャーを。

物乞いです。

対応がわからず無視をしました。
色々な感情がありましたが、ここインドでは私はただの旅人で、こっちが助けて欲しいくらいの存在です。
もし、財布をここで出してしまうと何が起きるかわかりません。
グループによる犯行だったら?お金を渡したとして、次々を寄ってこられたら?

リスクを考えると、こう言うときは
「何もしない」「無視をする」のが身を守る上では大切です。
私からお金をもらえないとわかればすぐに別の通りすがりの人に次々と声をかけています。
あぁ、そういうことか...。
物乞いさえも忙しい街、インド。
本当に物乞いがいると言う現実を目の当たりにしました。

もう一つの交差点を渡ると、

また上半身裸の青年?が、
Give me money
笑っているのか笑い顔なのか顔を顰めているのかよくわかりませんが、前歯が一本ありません。

髪の毛はボサボサで荷台のようなところで何かをしていました。
磨けばいい男になりそうなのに、なんと因果な。
首を横に振り、相手をせず目的地へ。

今度の道は信号機がなく、切れ間なく走る自動車の合間をぬって渡らないといけないところを勇気を出して渡ります。

陽は完全に落ちてきています。
とにかく目的地を目指して進みます。
この道をまっすぐ進んで右に行けばOK
シンプルなのですが、非常に歩きにくい道でした。

人通りがなく、少し暗い道は何も起こらなくても不安になります。
歩道が狭く、自動車の交通量も絶えません。

普通に怖いねんけど!(汗)

たいちゃんと行動をしていた時のルンルン気分は、あっという間の時間でしたが、初の海外、且つ、今はひとりです。

不安が時間を長く感じさせます。

かなり歩いたように思います。
MAPアプリが正しく動作してくれて、なんとか賑やかな場所に出ました。

のちに分かったのが、ここがニューデリーのメインバザールでした。
コンノートプレイスから20分で到着するはずの道ですが迷ったり、街の様子を撮影をしていたので1時間かかりました。

ここでは屋台がたくさん出ており非常に賑わっています。
カレーや、ビリアニ以外にも小麦の生地で具材を巻いたものが売られており、路上に出ているテーブルセットの椅子に座って食事をしている人が多くいました。
少年たちが玉ねぎを器用にスライスしているのも印象的でした。汗だくになりながら料理の仕込みを手伝っています。

交通量が非常に多く、屋台椅子席で食事をしている真横をオートリクシャーやバイクがスレスレを通ります。
少々背中があたっても、通行人が通りがかりにぶつかっても気にしない。

それが当たり前なのです。
マップアプリに目をやりながらメインバザールを進み、ナビが到着の表記に。
「え!ここ入って大丈夫かな」と思うような路地の前に看板の矢印が出ています。
「しゃーない、ここに泊まるって決めてんから入らんと話がすすまん!」
路地に入ってすぐのところに
「アジャイゲストハウス」がありました。
やれやれ...。
19時ごろ、ようやくチェックインしました。
場所によっては「怖い」と感じるところもありますが、賑やかなところは安全です。
夜は人通りの少ないところは避けたいものです。
この短時間だけで目まぐるしいほど多くの情報が目に入ってきました。

活気あふれるニューデリーは刺激的でした。
皆さんは、インドに対してどのような印象をお持ちですか?

人生初の海外おとまり

2024年5月23 夜

ゲストハウスの入り口にもセキュリティゲートがついています。
扉はなく開けっぴろげのエントランス。

Hello! My name is ーーーー
I have booked here!
Could you check for me?
(こんにちは〜ーーーです。予約してるんですけど確認してくださいますか?)
Mr.ーーー?
(ーーーさんですか?)
Yes
(はい)
活きた英語が伝わっている!
習ったまんま伝えると、バッチリいけました!
英会話スクールのカリキュラム受けてよかった〜!
フロントデスクには二人。

デスクの向かいにソファが置いてあり数人のインド人が座っていました。
全員私服なので、スタッフなのかゲストなのか見分けがつきません。
くつろいでる様子で時々フロントデスクのスタッフに話しかけたりしています。
ざっくばらんな様子です。
日本人が多く宿泊しているであろうゲストハウスでもこの時期の観光客は珍しいようでした。
Hello!
Japan?
Where you from?
インドの宿泊先はほとんど日本から予約サイトを利用していましたが、大丈夫かどうか。
確認が取れたようで手続きが始まります。
チェックインの手続き中、次々と周囲の人から話かけてもらいます。
パスポートを渡して確認。
インドでは大きな宿泊台帳があり、そこに住所や、シグネチャーネーム(漢字で本名)を書き込みます。
部屋番号を伝えられ、鍵を渡してくれました。
え!南京錠?

グナというスタッフが私のリュックを部屋まで運んでくれました。
そして電源やシャワーなどの説明を受けます。

インドにはチップの文化はありませんが、近年では海外からの旅行客も増え、ちょっぴり渡すようになっているようで、少し渡すと喜んでくれます。

とりあえず彼に20ルピー(36円くらい)を渡しました。
後に、このグナという男がくせ者だと気づきます。
ゆっくりくつろいでくれと言って、ここでようやく一人の空間です。
ホっと一息。
どっと疲れが出るのかなと思っていましたが、まだまだ気持ちはハイなままです。
汗だくになっています。
とにかくシャワーを浴びようと、説明の通り、お湯を出そうとするのですが、
水しか出ません。
しかし気温が高く地熱も自ずと高くなるためかぬるいお水が心地よく感じました。Hot water
といっても安宿では保温タンクも古いものが多く、シャワーのお湯が出ないゲストハウスが多いようです。
5000円クラスの快適なホテルですら、水道事情はよくありません。
シャワーから出て、冷房がきいた部屋に戻ると寒く感じ、
バルコニーへ出る扉を開けるとまた熱気が入ってくるし、
「ちょうどいい」感じにならない!
コンセント挿すのもちょっと怖いし...。

もぉ〜。
スマートフォンに目をやると、時刻は21時ごろ
ネットワークは圏外の表記に…。
あれれ?

海外でスマホのネットワークを使用するには、
・日本の空港で世界で使用できるポケットWiFiをレンタルする
・海外用のSIMカードに差し替える
・e-SIM(適用するスマホであればSIMカードを差し替えなくてもSIMの認識をスマホにさせることができる機能)を使用する

この三つが代表的です。
インドの電話番号を利用しない場合は日本の通信キャリアだと、ローミングサービスを受けることができます。

私の場合は、ドコモ(ahamo)を利用しているのですが
14日間は日本のプラン料金のままで利用でき、現地のネットワークサービスを利用することができます。
私の場合は滞在期間は14日間。

SIMカードは購入せず、ローミングサービスのみを利用しました。
インドではキャリア名が「docomo」表記から「Airtel」表記されます。

現地の人に聞くと非常にシェア率が高いキャリアみたいです。
日本ほど安定しないですが、まぁこんなもんでしょう。
室内は圏外になるので、ゲストハウスないのWi-Fiのパスワードを教えてもらいました。
それでもネットワーク環境はよくなりませんでした。
ロビーの談話スペースは快適に使えるので、メールチェックやグループチャットなどはロビーにて。

温度に無事到着したことをX(旧Twitter)のスペースにて友人達に報告、談笑。
そこに先ほどリュックを部屋まで運んでくれたグナが乱入。
「なにしてるの?」
日本の友人たちとの会話に入ろうとし、程よいところでスペース終了。
彼はその後も話かけてくれ、どうして旅に来たのかや、日本のことを興味深く聴いてくれました。
そこまではいいのですが、

「一緒にお酒を飲まないか」「美味いワインやビールを売っている店がある」
と誘ってきました。
お酒は飲まないと伝えると、「飲みたいから奢ってくれ300ルピー(600円)をくれ」と言ってきました。
チップとしてはとんでもない額です(さっきあげたとこやし!)。
こう言う奴は相手にしてはいけません。

やけに馴れ馴れしく、フレンドリーの枠を超えて過剰なチップの要求を続けます。
あんまりしつこいので、「それ以上要求したらチーフに告げ口する」と言って大人しくさせました。
「初めは言っても構わない」としながらも翻訳ツールを用いてチーフが前を通りがかった時に言いに行こうとしたら全力で止めにかかり
「秘密にしてくれ」
そんな虫のいい話には乗りません。
私はチーフに見せました。
グナはバチバチに怒られていました(笑)

長い一日の終わりです。
部屋に戻り、休息の時間です。
ゲストハウスのスタッフや宿泊客もフレンドリーで、人懐っこい人が多い印象でした。

カメラを向けると喜んで撮影に応じてくれます。

そして、一人で行動する時に60日間習った英会話をフル活用して、コミュニケーションが取れたことも大きな喜びでした。
さて

明日の午前はたいちゃんと再び合流!
彼はまだSIMカードを持っていません。
コンノートプレイスで落ち合い、買い物に出るのですがどんなことが起こるのか…。

早朝のデリー

2024年5月24日 朝

一夜明けて朝5時ごろ起床!昨日インドに着いて1泊2日目の朝です。
冷房に温度調整がありません。
リーズナブルなゲストハウスで、ACがついているだけもありがたいのですが...
それにしても冷えました。
バルコニーの扉を開けて、温度調整を試みるも熱気が入ってきます。
ちょうどいい温度に調整できない...。

たいちゃんのお買い物に同行するため午前10時ごろに出かけます。
さて、それまで一人で朝さんぽをしようと、ゲストハウスの外に出ます。

早朝のニューデリーは静かです。
メインバザールの様子は、昨夜と違い、賑わう前です。
オートリクシャーやモーターバイクがいたるところに停めています。

↑ゲストハウスのスタッフと

オートリクシャーのドライバーから「乗らないか?」と客引きに遭いました。
No thanks just walking
(歩きます)
と断ります。
ジャストウォーキングなんて習ってないけど、とっさに口から出てきた!
単語と、ざっくりとした文法さえつかんでおけば、なんとかなるものですね。
でもTOEICのハイスコア(ロースコアでも)や英検資格保持者の凄さには全くかないませんが、伝わる喜びは非常に大きかったです。

すると,,,

Hi good morning!
メインバザールの通りからやってきたのは、
昨夜、過剰なチップを要求してきたグナではありませんか!(汗)

またお前か!(笑)
昨日のことを忘れているようなとても陽気な笑顔です。
散歩に行くことを伝えると、「案内する」と言います。
またや…。
懲りないな、この男は。
メインバザールの周辺を、頼んでもいないのにグナが案内すると言って聞きません(笑)
「金は出さないぞ!」
強く言います。
「わかっている」と言い、
散策に付き合ってくれました。
街は交通量もまだ少なくクラクションを鳴らす音はせず静かでした。

これが昼頃になると、混雑し、ホーンフェスティバル状態になります!
駅付近の道端には、野宿している人がたくさんいました。

多くの人がこんなふうに外で一夜を明かします。

家がないのか、旅の途中なのかわかりません。
感じたのは、咎める人や、それを冷ややかな目で見る人がいなかったことです。

旅の間、多くの方に声をかけ、インドのことをお聞きしましたが、
共通して、「さまざまな文化、宗教、ライフスタイルを尊重しあって生きている。」という回答をいただきました。

路地はこんな感じです。

荷物を頭に乗せて運ぶ姿も印象的でした。

メインバザール周囲には小規模な寺院も多数ありました。
神様と共に生きている彼らにとって、
とても重要な場所です。

グナよ、「ローカルなところに行きたい」とリクエストしたけれど、お前が連れて行ってくれる道、

↓ほんまにローカルやな...。

あ、猿おった!
(デリーの街では普通です)

昨夜の会話で「インド産の綿をつかった服が欲しい」と言っていたのを覚えていたらしく、
服屋さんを案内してくれました。
連れて行ってくれたお店では、インドの正装を販売している服屋さん。
「クルタ」がたくさん売られていました。

撮影はできませんでしたが、雰囲気は呉服屋さんのような感じでした。
チャイやペットボトルのお水を振る舞ってくれます。
I'm just looking around O,K?
(見るだけやけどかまへん?)
No issue! I don’t like push.
(いいですとも、押し売りはしたくありません)
知り合いが連れてきたことに加え真っ当にお商売をしているお店は誠実な対応をしてくれます。
「また機会があれば買いに来てくれ」くらいで、押し売りされることはありませんでした。
後に、「この店で買えばよかった」と思うことが起きます。

↑みなさんコイツがグナです!(笑)
デリーメトロのAshram Marg駅にある細い道を案内しようとするグナが小さく写っています。
店を出て、散策もそろそろ終わりかというときに、

「あっちにお酒を売ってる店がある」
「買いに行かないか」
しつこい…やっぱりコイツ反省してないわ。

強く断って解散!
今度はオーナーにチクって、宿泊中、私の接客をしないようにしてもらいました。
ここまで案内させておいて薄情な!と思われるかもしれませんが、
「案内する」と言ってついて来たのは彼の方です。

日本の価値観や文化意識が通用しません。

人懐っこく、フレンドリーな人が多くて楽しいですが、ときにリスクもあります。
気安く話しかけて来ては、
変な店に連れて行ったり、案内後にチップを要求する人がいます。
日本の繁華街でも、「お兄さん、ガールズバー可愛い子がいるよ!寄って行かない?」
客引きがあるように、インドにも怪しい人が大勢います。

特にデリーは要注意です。
一度ゲストハウスに戻り、たいちゃんとの集合時間までのんびりします。
ロビーラウンジで休憩していると、スタッフの青年が、
Would you like some coffee?
(コーヒーでもどうですか?)
Um,,, One coffee please.
(え〜っと、じゃあコーヒーください)
英会話で習った「レストラン編」そのもののやり取り。
やった!聞き取れたし伝えれた!
ちょうど朝のコーヒーを飲みたかったタイミング!
Would you like milk and sugar with it?
(ミルクと砂糖はどうします?)
Just black please.
(ブラックで)
OK! your coffee will be ready shortly.
(早速用意しますね)

散歩の後のコーヒー。
待ち合わせ時間まで1時間ほどあるし、ゆっくり出来そうです。
70ルピーのコーヒーに100ルピーを渡しました。

10分経過……
15分経過。

コーヒーが来ません。

たいちゃんとラインを交換し、待ち合わせの時間が決まりました。
あと30分で出発しないといけません。

ですが...

コーヒーが来ません。

ようやく来たのがオーダーしてから20分後。
ニコニコしながら持ってきてくれました。
「できたよぉ〜」
嬉しそうに持ってきてくれるスタッフを見ていると、セカセカしていた自分がバカらしくなってきました。
いかに時間に追われ、取るに足りないことでストレスを抱えていたのかと、気付かされます。

ミルク入ってるやん!砂糖もめっちゃいっぱいあるし!
(ブラックをオーダーしたんですけど)


これがインドの提供スタイル?

耐熱グラスに銀紙でフタをしています。
コーヒーカップにお皿があってという喫茶店スタイルでもなけりゃ、アメリカの人気カフェのような紙コップでもありません。
でもいいや!
これだけで海外にきた感じがします。

海外の水、火を通しているとはいえ大丈夫かな??
ミルクも日本とクオリティが違うんじゃないか…。
しかし味は美味しかったです。
(お腹も壊さずでした)

紅茶文化が根付いているので、コーヒーを置いているお店は少ないのと、
おそらくインスタントコーヒーが多かったような印象です。
ゲストハウスの近くにある、滞在中行きつけにした商店では、ネスカフェの缶コーヒーが置いてありました。

↑こんなやつ
日本の甘口缶コーヒーにチョコレートフレーバを入れたような味でした。

無事に朝のコーヒーを美味しくいただけたのはいいけれど、

お釣りは??(笑)

お釣りの話をすると、すっかり忘れていたようで、
スタッフ3人が私のところへ来て
「どのスタッフにわたしたの?」
30ルピーの釣り銭で、てんやわんや。

レジに細かいお金がなかったらしく、
スタッフみんなの財布から出し合って渡してくれました。

毎日、銀行に行って両替をして、見込み金額を準備しておくようなことはしないようで、
端数が出たら客が割を食うこともしばしば。

午前中だけでも刺激的な体験ができました。

11:00に待ち合わせ!
さて、そろそろ出かけよう。

日中はコンノートプレイスにて、入国審査で知り合ったたいちゃんともう一度会う予定です。
無事会えますかどうか。

次回更新ではインドで起きたハプニングや日中の気温などについて書きます!
ぜひ読んでください!

(ラインの時間は、帰国したら、日本時間表記になっていました!)

複雑な午後

2024年5月24日午前中

ゲストハウスで提供されたコーヒを飲み終え、コンノートプレイスまで移動します。
ここでも英会話レッスンの練習が活かせました!
I’m going to go out!
(でかけてきま〜す)

昨夜歩いた道を思い出しながら、MAPアプリを確認しながら現地に向かいます。
歩いていると、昨日歩きにくかった道も明るいので怖さは感じませんが、なにせ人が多い!
メインバザールを抜けてからも、かなりの交通量で...。

コンノートスレイスまでの道では、気の良さそうなオッチャンに声をかけられ握手を求められ、
「どこからきたの?」「これからどこに行くの?」
何が目的かわからなかったのですが危険性はなさそうだし、何かあっても強く断れる自信がありました。

だまされないぞぉ!(笑)
早歩きをして、
bye!
と言ってもまだついて来ます。
15分くらい後をつけられました。
悪い人ではなかったらしく、自身の用事がある曲がり角で元気よく挨拶をしてくれました。
しばらく歩いていると、
路上で座り込み、果物を食べている男性もいました。


昨夜の交差点まで行くと、物乞いグループがいました。
あ、この辺で路上生活してるのね…。

さらに歩きます。
コンノートプレイスから見える大きな国旗が見えて来ました。

コンノートプレイスのそばで、道を尋ねました。
彼もちょうどそちらに向かうそうで、道案内をしてくれます。
聞けば、高校の数学の先生で夏休み期間、ガールフレンドと会うのだとか、デートで旅行の長距離列車の予約をすると言います。
ドイツ人とインド人のハーフで、ドイツ系ミリタリーシャツにリーバイスのデニムという装い。
そこそこお金持ちな印象です。(この辺で怪しさに気づけばよかった)
「一緒にチャイを飲まないか」
「いや、友人と待ち合わせしてるから」
断ってもついて来ます。

どいつもこいつも….。
人懐っこいのかなんなのか。
待ち合わせまで話しかけて来ます。
たいちゃんまだかなぁ…はよ来てくれへんかなぁ。

コイツちょっとウゼェ〜...。

この、ドイツ系ハーフという、まるでタランティーノ作品の登場人物のような設定の、パルベン?と名乗る男がクセ者だったかもしれないのです。(結局最後まで分からなかった)
SIMカードを販売しているボーダフォンの正規店前で待ち合わせ、
たいちゃんが到着しました。
彼もまた、オートリクシャーのドライバーと仲良くなったようで、なぜか4人で行動をすることに。
ドイツ系ハーフを名乗るパルベンは「ボーダフォンは電波が悪いからお勧めしない」
と言い、
まずは「美味いチャイを飲ませる店があるので奢るよ」「着いて来い」と言って来ます。
店に入ると仕込み中でチャイが出て来ません。
ドイツ系男は4人分のペットボトルの水を振る舞い「旅をするならairtelが広範囲で電波が届くからそちらの方がいい」と強く勧めます。
「正規ルートだから安心してくれ」と言い、連れてこられたのはツーリストインフォメーションと書かれた案内所です。
「ガバメントから認定も受けてる信用できる店だ」と言います。

たいちゃんは迷います。「心配だから店の中までついて来てほしい」と私に。
もちろんそのつもりで、何かあったら守るつもりで着いて行きました。
たいちゃんは英語が堪能なので会話自体は彼自身で対応します。
正規料金に手数料が少し上乗せされるくらいで、
「まぁいいか」という結論になったようです。

とりあえず契約。

その後、たいちゃんは別の場所に移動するのでここでお別れ。
後にわかったのが、
正規店舗や空港でSIMカードの正規ルートがあるようで、手数料を取られず買えるお店があったようです。
同行した手前、責任を感じます。
たいちゃんごめんね!
そして私と二人になったら、ドイツ系男は服屋さんを案内します。

今朝方グナに案内されたような、高級呉服店のような品揃えで、クルタが売られています。
ここで私も見事に買わされました。
アムリトサルのゴールドテンプルには正装でないと入れない」
「バラナシのファイヤーセレモニーもだ」
と言われます。

↑コレ嘘です!
冷静に考えてみてください。

それならガイドブック「地球の歩き方」に掲載されていることでしょう。
加えて旅ロケのTV番組やYoutubeでも私服で参拝している人が多く写っています。
嘘つかれました。
普通に考えたらおかしいですよね。
ドイツ人とインド人のハーフで中国人のガールフレンドがいて、
英語を話し、気安く声をかけてくるって。
設定がそもそも
小学校の時に教わりました。
「知らない人について行かない」
まぁ、クルタは気に入ったからいいのですが、
クルタ上下と、スカーフで4500ルピー(9000円くらい)です。
確かにクオリティはいいんだろうけど、一回しか着ないのに…
なんだか勿体無い気がしました。
とりあえず買ったのはこれです。

サリーなども、知人に聞けば1万円くらいはするから、
詐欺ってほどでもないんじゃないか?とのこと。
なんか、慰められているような…。

その後もまだドイツ系ハーフは他の土産物屋も案内したいと言って来たので、
私も流石に頭にきてしまい。
「もういい、疲れたから帰る」と言い、離れました。
「騙された」「詐欺にあった」
というと大袈裟ですが、たいちゃんと二人して、彼のネットワークにまんまとはめられた複雑な思いでした。
基本、街で声をかけられて案内されるよりも、
自分の足で情報を稼ぎ、いろんな店に飛び込んでみる方が健全でいいでしょう。

インドを旅した方は大体、このような手口に遭います。

外務省のホームページや、ガイドブック「地球の歩き方」に掲載されている読者投稿のトラブル集を頭に叩き込んだとしても、

遭遇してしまいました。
腑に落ちない思いでした。

日本新をターゲットにしているのか、
インドでは珍しくチャットアプリは「ライン」を持っていました。
ソッコーでブロック!
(言い分としては東京で住んでいたことがあるとかなんとか言ってました)
徒歩1時間でラール・キラーか、インド門まで歩こうと思っていましたが、
ドイツ系ハーフ男の相手をするだけで疲れてしまい、気分も悪くなりました。
気温は45°
もういいや。今日はもうゲストハウスに帰ろう。
たいちゃんとゆっくり話すことができず、

且つ、変な男に振り回されてコンノートプレイスでたいちゃんと楽しくお茶でもしようという計画は頓挫してしまいました。
ーーーーーーーーー
ポイント
こう言ったツーリストインフォメーションでは、
鉄道の予約代行を請け負う代わりに手数料がベラボーに高かったり、高額なツアーを組まされることがほとんどです。
堂々と「ガバメントオフィス」という嘘の看板を出している案内所もあります。
絶対信用してはいけません。
服屋さんは即決の促しに「明日まで考える」と言うと、
「明日は休みだ」と平気で嘘をつきます。
素晴らしい国でありながらも、一部腐敗している文化で言えば賄賂の国なので、
こういう看板をだしても取り締まれないようです。
またグループでの囲い込みに成功したら、おそらく店に連れて行き制約となったら幾らかのリベートが紹介者に入るのでしょう。
ゲストハウスのオーナーも「インド人はインド人を信用しない」というほどです。
が、言ってる本人もお金を払わせることに必死です。
後に、「言ってるアンタもじゃん」と思うことがゲストハウスのオーナーとの間にも起こります。
これは彼にも言えることです。
知人の紹介なので悪くいうのは憚られますが、これは今後インドひとり旅を計画している方のためにも書こうと思います。
誰を、どこまで信じていいかは本当にわかりません。
ーーーーーーーーー
たいちゃんとラインを交換し、
「また日本に帰ったら会おう!」と約束し、それぞれの旅に出ます。

あぁ〜しんど〜!

治安は自身で呼び寄せるもの

2024年5月24日 午後

インド二日目にして、「思わぬ客引き」に絆されてクルタを買ってしまい、複雑な心境に加え45度を超える酷暑!

ラール・キラーとインド門の見物をしようかと思っていましたが、
経験したことのない暑さで疲労と判断力の低下を自覚します。
用事を済ませ、一旦ゲストハウスに戻ります。

https://tabisuruindo.com

アジャイゲストハウスを運営しているRoni Travelsのオーナー、ロニさんとは
別段、アポイントは持ってなかったのですが、
フロントデスク担当さんが、
「あなたが会いたがっていることを伝えている。オフィスにいるから入んなよ。」
ゲストハウスのロビー内にあるオフィス兼応接室に通してもらいました。

知人の紹介で来ましたと挨拶を交わし、歓迎してもらいました。
基本的には「○○さんの紹介で」と言うのは本意ではありませんが、ここは異国です。

無事に帰るためにもネットワークは大切です。

細かいニュアンスは伝わりにくいですが、
はっきりと、この旅で「何をやりたいか」「どこに行きたいか」リクエストを告げるとおおよそのことは応えてくれます。
予め、12GOや予約サイトで大まかなスケジュールは組んでいる旨を伝え、
Roni Travelsのサービスを利用しなくても嫌な顔はされません。

日本で予約をした内容に間違いがないかのチェックや、詐欺トラブルの相談にも乗ってくれます。
先ほどの、ドイツ系男のことも話をすると、
「おそらく顔見知りのところに案内して、制約したらリベートもらってると思う」と教えてくれました。

インドってそう言うところなんだな…。

ロニさんは若い頃、日本に出稼ぎに来ていたらしく、
日本人が好きなようです。
「前世で日本に借金がある、そう思ってるんですよ」と言っていました。
こう言った感性も神様を近くに感じながら生きている彼らのマインドが窺えます。
ビジネスオーナーになるまでも、不動産屋に騙されたり、相当苦労されたようですが、
「お金はたくさん失ったけど、命とこの土地を神様が与えてくれた」と言うのも、とても印象的でした。
チャイをご馳走になりながら、決めきっていないスケジュールの相談をします。
私がオーダーしたのは、デリー散策のツアー。

オーナー直々に付き添いと案内をしてくれます。
英語が日常会話が普通にできる場合はスタッフをつけてくれるようですが、私の場合はロニさんがついてくれました。

デリー観光
終日コースを依頼しました。(終日なら20,000円、半日だと15,000円)
スラム街探検とインド門までの案内を依頼!
(これね、結局インド門は案内してくれなかった)
ツアーは予算が嵩みます。
ただ、解説付きで、一日拘束すると考えると妥当な値段帯なのかなと考えます。(相場知らんけど)

初めての経験です。
この先のプランを考えると全くの一人行動になるので、インドに馴染む意味でも、思い切ってオーダーしました。
ーーーーーーーーーーーー
ポイント
ツアーの申し込みはお好みで。
高い!と思ったら断ってください。
我々が遠方の友人が訪ねてきたら、なんとなくの名所案内する感じのことしかしてくれないので、
同行者がいないと危険な区域以外は一人で行くことをお勧めします。
ツアーを申し込む際は、「名所巡りのただの観光は嫌だ」
と、わがままを言いましょう。
金額や内容が合わないと思ったら断りましょう。
自分の旅です。
ロニさんはなんとなくくみ取ってくれたようで、「スラム街なんてどうだ?」と提案してくれました。
(そうじゃなかったら断ってたかも)
ーーーーーーーーーーーー
もう一つは、オートリクシャーの手配です。(600円くらい)
12GOで車両を予約する時に、寝台特急や、長距離の代位移動の際、
・デリー(オールドデリー)駅か
・ニューデリー駅か
しっかりと確認しましょう!

コレ要注意です。

デリー駅とニューデリー駅はかなり距離が離れているのと、
間違った場合。列車に乗せてもらえない可能性もあります。
ニューデリー駅は、アジャイゲストハウスから徒歩15分ほどの場所にありますが
デリー駅はかなり遠いです。

新宿駅・西武新宿や天王寺・あべの橋というわけにはいきません。
さすが大陸!土地が広い!
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ポイント
ホテルに送迎を依頼した場合、タクシーやリクシャーの面が割れているのでボッタクリ被害のリスクは極端に減ります。
なぜなら、信用を失うと彼らは仕事を失うからです。
真っ当にお商売をしているドライバーをつけてくれるので安心です。
ーーーーーーーーーーーーーーー

暑くてヘトヘトで先のドイツ系男に振り回されてむかついた話をすると
「どうしてもっと強く断ラナイノ!?」
「向こうから声をかけてくる人は全部無視シテクダサイ!」
と言われました。
「治安は自分で呼び寄せるもの」
とも言われました。

インドはスリや強盗、置き引き被害が報告されています
が、
おかげさまで、怖い思いや危ない体験は『ほとんど』することなく無事に帰ってこれました。

暑い日のカレーは最高!

2024年5月24日 夕方

この後、夕方まで冷房の効いた部屋で仮眠をとり夕飯に出かけます。
ロニさんのビジネスパートナー
ラディッシュさんが経営するレストランTadkaに
↓トリップアドバイザーの情報蘭

https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g304551-d1494695-Reviews-Tadka_4986-New_Delhi_National_Capital_Territory_of_Delhi.html?m=19905

https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g304551-d1494695-Reviews-Tadka_4986-New_Delhi_National_Capital_Territory_of_Delhi.html

ニューデリーではおそらく一番衛生的なお店だと思います。

ーーーーーーーーー
ポイント
お腹を壊さないためには

◾️水道水を口にしない
・ペットボトルの水でうがい、歯磨きをすること
・繁盛しているレストランで食事をすること

安全に旅をする上では押さえておきたいポイントです。
武勇伝を作るために無茶をして、とんでもない目に遭うのは避けた方が良いです。
ーーーーーーーーー
お店はこんな感じです。

ピークタイム前でノーゲストでした。
英語対応できるスタッフが対応してくれます。
ーーーーーーーーー
英会話

ここでも英会話レッスンの「レストラン編」の課題が活きます。
What’s today’s special ?
(今日のおすすめメニューはなんですか?)
Do you like spicy food?
(辛いの好きですか?)
Yes I like spicy food!
Well I don't eat cheese
(辛いの好きです!でもぉ〜チーズは苦手です)
Cheese is My enemy
(チーズは敵だ!)

笑ってくれた!
オレのユーモアセンスは海を超えた!と思うひとときでした(笑)
○○ is my enemy
ユーモアさと、「コイツ、○○相当キライなんだな」と言うのが伝わります。

メニュー表はこんなふうになっています。

ワカラン!
写真がついているので、指をさして、
What’s in ?
(何入ってるん?)

コレだけも通じます。
ーーーーーーーー
まずペットボトルの水が出てきます。
お冷の文化はありません。もちろん有料です。
(ストアで販売している20ルピーで統一されていました)
そして前菜にレッドチリとビネガーで味付けしたオニオンスライスが出てきます。
水でさらしていない、玉ねぎの辛味とスパイスがクセになります!

この日の夕飯は、
カリフラワーとポテトのマサラ

そしてチャパティをいただきました。
カレーの概念は日本と少し違うようです。
日本食の「煮物」に筑前煮、治部煮、カボチャと小豆のいとこ煮があるように、
「カレー」と言ってもバリエーションが豊富です。
マサラというのもカレーの種類のひとつです。
チャパティは、全粒粉を水で練って鉄板で焼くペッタンコなパンです。
ナンとは違い、発酵させず、味付けはシンプルに塩だけ?だと思います。
好みでバターやドライバジルのような香辛料をトッピングしてくれます(有料)。

初めて食べる異国の料理、味はいかに!

うまい!
マサラは、トマトの酸味と程よい塩加減。
そしてスパイスのいい香りです。
VEGのお店なので動物性の食材は不使用。
野菜だけでこの旨味が出ることに感動です。

日本人が好きな味付けです。
皆さんはインドのカレーにどのようなイメージがありますか?
日本で食べるインド料理店のカレーはかなり日本人好みに寄せていますが、
現地のカレーは格別です。
また激辛の印象を持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか?

そんなことはありません。

日本人が辛いと思う食べ物はインド人が食べても辛いのです。

なので、「辛くしてくれ」とリクエストしましたが、日本の中辛くらいの味付けです。
ソウイエバ...。

日本にカレー文化が入ってきたのは欧風カレーの方が早かったそうですね。

しっかし美味しいわぁ〜
なるべく国産の食品を選び、輸入食品に抵抗があった今までの私はなんだったんだろう…。
日本は農薬や食品添加物の宝庫で、
国産にこだわる必要は限られてくるのかもしれません。

初めて食べるインドのカレー

あまりのおいしさに感動しました。
ちなみにブロッコリーは高額すぎてレストランではカリフラワーを使用されることはほとんどだと聞きました。

高くない?

2024年5月24日夕方

夕食後、ゲストハウスのオーナー、ロニさんにデリー駅までのオートリクシャーの手配を今一度確認。
「朝6時45分にドライバーが向かいにキマスカラネ」と予め交換していたラインにドライバーの顔写真を送ってくれました。

とりあえず、明日の移動に関する準備はOK!
デリーの街で過ごしたこの二日間は、排気ガスの匂いに順応するのに時間がかかり、身体に支障を来たすような酷暑、物乞いやノラ牛がザラにいる現実を見、自称ドイツ系男に洗礼を受け、「新しい経験がしたい!」と思いこの地にやって来たはいいけれど、

誰をどこまで信用していいか全く分かりません。
それでも不思議と「もう帰りたい!」「嫌だ!」とはなりません。
どう言うわけか、居心地がいいんです。
とにかく人でごった返しているこの街の魅力は何?
今度は、パキスタンとの国境地帯、パンジャーブ州アムリトサルに向かいます。
アムリトサルの名所は、
スィーク教の総本山、ゴールドテンプルが有名です。
後にわかったことですが、インド北部は鶏肉の畜産も有名な産業だそうです。
また農村地帯も広がります。

明日の移動はオートリクシャーの送迎と、デリー駅から長距離列車で520Kmを約7時間かけて移動します。
デリーへ戻る方法は、国内線にて飛行機移動です。
国内線も日本である程度計画を立てていましたが、
ロニさんは快適な旅になるように困ったことがないか、ヒアリングしてくれます。

ーーーーーーーーーーーーー
ポイント
嫌なことははっきり断りましょう!

ロニさんの細かいニュアンスが伝わらず、打ち合わせもどこまで伝わってるのか分かりません。
アムリトサルでまる2泊したら、またニューデリーに戻ります。

「空港まで着いたら連絡ください、私がゲストハウスまで送迎します。」
いや、オレここに来るの徒歩で来れてんけど…。
「危ないし、治安もヨクナイカラネ」「インド人知り合いイタラアンシンデショ?」
まぁそうやけど…。
この口が、「はい」と言った途端、「9,000円。ソウゲイハ。」
えっ!

高ない?
もう言うたしなぁ…。
知人の紹介やし、今後日本でもビジネス展開する言うてはるし、今後無理も聞いてもらうしなぁ。
みなさんWebサイト見てください。

ロニシゲタトラベルロニシゲタトラベル

tabisuruindo.com

1500ルピーって書いてあるじゃぁありませんか。
それに、
空港からニューデリーまでは、メトロで20分。
アジャイゲストハウスは、ニューデリー駅からメインバザールまっすぐ15分ほど進むだけなので、「慣れないうちは安全にした方がいいよ」「安全に迎えにキマス」と言われ、ほいほい払ってしまいました。


両替しなくても彼は、銀行との取引や、日本でのビジネス展開を考えれば日本円で支払っても両替ストレスはないのですが、送迎代に関しては、ちょっと足元見られた感じがしました。
知人の紹介なので悪く言うつもりはありませんが(じゅうぶん悪く言ってますかね笑)
「インド人簡単に信用しちゃダメだよ」
そっくりそのまま….。

サービスに見合う価格じゃない、

納得できない時は、しっかりNO!と言えるようになりましょう。
相手が気分を害してもです。
あくまで自身の旅であることをお忘れなく。
中途半端なお付き合いとしての情はビジネスに持ち込んじゃだめなんです。
あんな簡単なルートに9000円は流石に高い!
この先のブログにも各エリアの参考価格を書いていきますが、知人の紹介で来たジャパニーズを送迎するのに、webサイトより高額な値段ふっかけるっちゅうのは…。

でもこれは、

支払う方も支払う方なんです。

インドなんです。

インドにいるんです。
日本語に安心して頼り切ったらダメなんです。
迷子になったとしても、迷子になった自分の旅を楽しめばいいので、
一人旅ならではの楽しみを見つけたいものです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
明日の身支度をする前に、X(旧ツイッター)のスペースを立ち上げ、3時間半先を進む日本の友人とコミュニケーションを取ります。
「そっち大丈夫なん?」
「え!知らんおっさんについていったん?気ぃつけやぁ〜」
「どうせ翻訳ツールに頼ってるんやろ」
もう言いたい放題言ってくれるね、みんな(笑)
しかし
日本語でやりとりができることで、安心します。
そして
シャワー浴びて明日の身支度をします。
↓シャワー室はこんな感じです。

インドの水道事情はあまり良くありません。
インドも浄水場はあっても、水道管の劣化を修繕するのは非常に困難なようで、
メインバザールだけでも、水漏れしているところが数箇所ありました。

↑こんな感じで...。
水道事情でわかったことは浄水場はあるものの、水道管工事が追いつかないようです。
おかげで、水道水は若干濁っており、シャワーを浴びる時には目が痛くなります。
つーか何よこのバケツ…。

特大バケツがシャワー室にあります。

(多用途で、洗濯や体を洗う時、小型のオケで溜めた水をすくい、トイレの時に使用します)

トイレとシャワーの文化については

学校で習う。「社会」の授業やインターネットで検索すると出てくる経験談で

ほとんどの方がご存知ですが、

インドでは右手は食事の際、口に食べ物を運ぶ手です。
左手は「不浄の手」と昔から訳されています。
用を足した際は水を入れたハンディサイズのオケで流しながら、左手で洗います。他にもレバーが付いているホースがあり、レバーを押すと水が流れるので、
洗いたいところを狙って水をかけ、素手で洗います。
仕上げにトイレットペーパーで拭きあげますが、
納得する結果になるまではしっかりと繰り返さないといけません。

インドのゲストハウスでは、トイレットロールが置いている所は少ないです。
目安は14日間で1ロールです。芯を抜き、楕円形にして持参しましょう。


激デカプラットホーム!どれに乗るのよ!?


チェックアウトしても、またデリーに戻ればアジャイゲストハウスにお泊まりさせてもらうことになったので、
(本当はタージマハールを見に、アーグラまで行く予定
不要な荷物をオーナーのゲストハウスに預けて身軽にします。
(そう言うサービスは素晴らしい)

2泊3日目の5月25日は移動日です。
早朝からバンダナを巻いたドライバーさんが待ってくれています。

早朝から移動です。
インドについてから、初めてオートリクシャーに乗ります。
いやと言うほど「ぼったくり」や「変な場所に連れていかれた」話を聞かされましたので、
怖くて乗れませんでしたが、ゲストハウスの紹介なら大丈夫でしょう。
ゲストハウスに面が割れてるので、信用できます。
この先もホテルやゲストハウスで送迎車の手配を依頼します。

とはいえ一人行動は緊張の連続。
寡黙で若干強面なドライバーさんですが、とても優しい方でした。
非常に安全運転で、
メインバザールから、オールドデリー駅まで私を運んでくれます。

道すがら見る光景が少しずつ変わって来ます。

乗車中、座席から撮影した街並みです。


野良牛がゴミ捨て場で食べ物を探しています。


交通量が少ない時間でよかった。
道が空いています。
オールドデリーまで黙々と運転してくれます。


高架橋を渡るのですが、オートリクシャーは自動車のように窓がなく手すりだけなので、荷物が心配です。
スマホもポーチの落としてしまったら大変です。
揺れるし、荷物が気になるし。


朝日も登ってきました。

そして、
オールドデリーに近づくにつれ、雰囲気が変わって来ます。

後にわかったのですが、

ラール・キラー(別名レッドフォートとも呼ばれています)
チャンドニー・チョウク
ラージ・ガート(ガンディのお墓)

オールドデリーにはみどころがたくさんあります。
建物も年季が入っていて、情緒も感じます。


高架橋から見下ろせば、オールドデリー駅が見えてきました。
おぉ〜駅が近づいてきた!

写真はプラットフォームから撮影したものです。

駅に到着すれば、
ドライバーさんが、改札前に、同業者か誰かに話しかけて
何番線に乗るのかを尋ねてくれました。

知らない人に話しかける姿はありこちで見かけました。
旅行者だけでなくインド人同士でも、急に話しかけます。
応答する側も、普通に受け答えをしていました。
イーチケットに記載されている車両ナンバーと何番線から乗るのかを確かめてくれました。
寡黙なドライバーさんでしたけど、私が困らないようにしてくださいました!

ーーーーーーーーーーー
ポイント

基本、チケットは駅のホームに入ってから確認しましょう。
ここでもメトロのようにセキュリティゲートがあります。
中に入ってからインデアンレイルウェイズのスタッフに尋ねるのが一番です。
改札の外でチケットを見られると、
「その鉄道はキャンセルになっている」「うちのインフォメーションでチケットを手配してやる」
と客引きにあう人も多いそうです。

ーーーーーーーーーーーーーー
電光掲示板はこんな感じです。

車両ナンバー、鉄道会社、時間、フラットフォームナンバーが映し出されます。
そして陸橋を渡って目的のホームに向かいます。

しかし何番線まであるのよ!というくらいのホームの大きさ!
私が乗る列車は間違いがなければ15番線!(なはず!)

早朝のオールドデリー駅

非常に大きな駅での待ち時間。
みなさん思い思いの過ごし方をしていました。

やはり、地べたに座るのがインドスタイル?
無事に目的の列車に乗れますかどう...。

激でかデリー駅!激ながトレイン!

デリーからアムリトサルへ。
5月25日の早朝、無事に駅の中に入りました。
駅構内への入り口にはメトロ同様、セキュリティゲートと荷物はX-ray検査のベルトコンベアがあります。

陸橋をわたり、オートリクシャーのドライバーさんが確認してくれた15番線を目指して、
進みますが、駅構内は早朝からものすごい人です。


地べたに座り込んでいる人や何故か線路上を歩いて渡る人も…。
「あぶないなぁ。あんたら、階段って知ってるか?」

トイレが有料のためか
線路に向かって用を足す男性を見かけました。

↑右側の男性。
社会の窓を閉じる瞬間を激写!
レンズは見た!

全てが初めて目にする光景で、緊張や驚きの連続でした。
列車の到着を待つ間、車両の写真撮影をしました。
↓こんな感じ

どれもユニークなデザインです。
でもこれは、彼らにとっては見慣れた日常なのでしょう。

ものすごく長いホームで先頭車両を撮影しに行くだけでもかなり歩きます。
(多分1Kmはゆうに超えるくらい長いです!)
陸橋から撮影したホームです。

人を乗せて運ぶ列車も貨物車も連結されていて、とっても長い車両です。

ホームを歩いていると、日本人が珍しいようで笑顔を見せると微笑み返しをしてくれたり、
手を振ってくれたりします。

女性に対するコミュニケーションは異国ではどうかな?と思っていたのですが、
Hi!と笑顔で挨拶をすると微笑み返しをしてくれます。
とても穏やかな会釈をしてくださいました。
旅行者に対するフレンドリーさをとても感じることができました。

出発時間が近づくとホームの電光掲示板に車両ナンバーが表示されます。
「あっ、やっぱ15番線であってたわ!」
日本語で独り言。

程なくして列車がホームに入ってきたはいいけれど、やはりこれも車両編成がものすごく長いんです。

どうしたものか…。

インデアンレイルウェイズのスタッフもベンチの一角を6人くらいで占領してのんびり談笑してます。
写真とればよかった…。
日本では見られない光景です。
仕事をやる気がないのではなく、働く時は思いっきり働くのですが、暑くて長い一日を乗り切る
マインドフルネスを自然にできているのかな?と思いました。

ーーーーーーーーーーーー
英会話
Do you work here?
(ここで働いてはるんですか?)

I’m looking for my seat.Could help me out?
(自分の座席を探してるんですけど、手伝っていただけますか?)
チケットを見せ、
O,K follow me!
(Ok ついてきて!)

英会話レッスンそのまんまのフレーズがここでも役に立ちました!

ーーーーーーーーーーーー
インデアンレイルウェイズのスタッフさんに、プリントアウトしておいたイーチケットを見せると、
QRコードを端末で読み取り、座席を確認をしてくれます。

ここからは訛りが強く聞き取れませんでしたが、ついていくと、乗務員さんに、
おそらく「このジャパニーズがアムリトサルまで行くから○○座席に案内してやってくれ」
といってくれたのだと思います(笑)

招き入れられ、座席まで案内されます。

ここでいいのか?と確認ができたらまずはバックパックを荷物棚に...。

汚なっ!

埃だらけの、座席上部の荷物棚に乗せるこの抵抗感!
大気汚染の影響か、細かい粒子状の砂埃で荷物棚が汚れています。

バックパッカーだ!
ひとり旅だ!

全てを楽しもう!

この規模の掃除は現実的に無理だろうなと思いました。


↑写真中央にご注目ください。
背もたれに足をかけている人がいました。
いいのかコレ!(笑)

私がインドを旅した5月は
選挙期間中で、その影響があるためか、列車の予約が取りづらく、
この日の座席は、ランクが一番低い車両に乗りました。
長距離列車のランクは
1等車両
2等車両
3等車両
2〜3等車は、エアコン有or無というふうに分かれています。

3等車のエアコン無し…。

7時間耐えられるのか心配です!

乗り込んでから出発までは20分あり、座って発車を待ちます。
すると、
黄色いワンピースの少女が近づいて来ます。
彼女は手のひらを私の顔のそばに差し出して、
「お金よこせ」のサインをしてきます。

物乞いです

目を合わさずじっと堪えます。
なかなか離れてくれません。
少し体を動かすと、期待をしてまた顔のそばまで手を伸ばしてきます。
10分くらい粘られました。

彼女はどうやら一人で行動しているようです。

私から「何ももらえない」と判断すると別の人にアプローチを!

物乞いも忙しいようです。

ある意味では、子供の時点で自身の身の置かれ方を自覚し、自立している姿なような気もするし、
いったいこの子の親はどういう思いでいるんだ!
などいろんなことを考えました。

これがリアルな2024年のインドなのか。

その後も出発までの間物売りや物乞いが次々と乗り込んできます。

駅の入り口にはセキュリティゲートがあったじゃないか!
ツッコミどころ満載です。
ですが線路上を歩いている人も多くいたので、おそらくよじ登ってくるんだと思います。
私服のスタッフもいれば座席に座る人に話しかける人、
誰が乗客で、誰がスタッフなのわかりません…。

なんなんだここは..。

定刻通りの出発です。
その時間になると物乞いや物売りが降りていきます。
乗客と乗務員だけになりました。
満席に近い状態です。

私の座席は3列シートですがスタート時点では私一人でした。

東西南北がどちらかわかりませんが、進行方向に対して後ろ向きに列車が進みます。
扇風機は首振りタイプではなく一方向にしか風を送らず、窓からは熱風が入ってきます。

520Kmの旅が始まります。
いざアムリトサルへ!

インドの車窓から

2024年5月25日

日本ではしっかりと車掌さんがホームの目視やモニタを確認し扉を閉めて、列車はスタートします。
インドはどうやら扉は各車両に乗り合わせている乗務員が手動で開け閉めしているようです。(知らんけど)

停車する際も乗客が勝手に扉を開いて完全に停まる前に、ぴょんとホームに降りる人がいます。

ソワソワしながら出発を待ちます。

出発と同時に物売りた物乞いの皆さんは退場
「出発だから出た出た!」
インデアンレイルウェイズの乗務員さんが追い払います。
なら、なんで乗せたんだ!
ツッコミどころ満載なのですが、
おそらくは暗黙のルールがあるのだと思います。
「貧しい人にチャンスは与える」
でも、
「チケットを持っていなければ、列車で移動するな」なのかな?

車内では、このように

ジロジロ見られます。
どうやら日本人が珍しいようです。
Hi!
と言って挨拶を交わすと、笑顔を返してくれます。

座席は南を向いていて、北に進むので、バックしている状態で列車は進みます。

無駄によくできたどこかの国の高速鉄道はご丁寧に、ちゃんと進行歩行に向きを変えますが、
インドは、そうはいきません。
後ろ向きのまんまです。
おかげでこのように写真が撮りやすかったです。(笑)

車窓から見る景色の写真で感じたことは、

危険区域にスラム街がある….のかな?
ということです。

線路と線路の間に物干し用のロープをかけて洗濯物を干していたり、
危険なところには老朽化しているレンガづくりの家がたくさんありました。
考え方は世界共通なのかと、胸にじーんと何かが迫ってきます。

所々に寺院と思わしき建物も見れました。
アムリトサルへ北上するのでスィーク教の寺院が多い
と思います。

車窓からはゴミがたくさん投げ捨てられてる光景もよく目にしました。
ゴミを投げる風習は、
チャイの器が土の焼き物が主流だった時、土に帰ることから、窓から投げ捨てる風習ができたようです。
紙コップであればまだ辛うじてマシだったかもしれませんが、
インドでもプラスチックが多く使用されています。
それでも、風習だけは残っているようで、乗った車両でもポイポイ窓からゴミを投げ捨てる人がいて、非常に残念でした。

その後、
パーニーパットからカルナールというビレッジを通ります。

ここではの農村地帯や荒野が続きます。

農作業をしている人や、
放牧している山羊もいました。

停車駅で乗り降りする人が入れ替わります。

ここでも物売りの人が乗り込んできて、ドリンクやスナックの販売をします。

このあたりの駅でも、物乞いが乗り込んできます。
中には青髭が目立つサリーを着た人や、
盲目の老婆が手をパンパンと叩きながら
「ハイハイ、私はこのように目が見えませんからね、手のひらに、はい、お札かコインをおいてくださいよぉ〜」

車両を何度も往復します。
この人たちもまた物乞いで、恵んでくれる乗客を探して車両を何往復もします。
笑っちゃいけないかもしてませんが、

「お前ら笑かしにかかってるやろ!」と思うほどユニークな人もいました。

目を伏せて、出発を待っていると、私の横に50歳くらいの男性が乗ってきました。
明るく挨拶を交わして、以降、物静かに出発を待ちます。

出発となると物乞いたちは退場の時間です。

ヤレヤレ。

座席窓側の壁にはコンセントが付いていて、スマートフォンの充電ができます。
日本式の形状から変換してBタイプのコンセントを差し込みます。
建て付けが悪いのか、老朽化なのか、差し込み口はグラグラ…。
コンセントの接触を確かめながらスマートフォンを充電します。
別の車両から
「充電させてくれ」と若い青年が言ってきます。

「ここでならいいよ」
と空いていた後部座席に座らせ充電用ACアダプターを貸します。
しばらく私の後ろ座席に座り、
スマートフォンの充電をしていたのですが、巡回中のスタッフに、
席に戻れと言われます。
「必ず返すから貸してくれ」と青年。
たたふたしている間に持っていかれました。

ああ…取られた。

真後ろには私服の乗務員も座っていて、翻訳ツールを使ってそのことを伝えます。
OKOK
どこまで伝わったかわかりませんが、
「彼が降車する際に伝える」とのことでした。
サブのACアダプターも持ってきているし、最悪現地調達すればいいか…。
しかし困ったなぁ〜。

窓の外を撮影していると、
隣の男性が話しかけてくれ、日本から来たこと、初めての海外旅行をしていることなどを話しました。
彼もガバメントオフィサーだとIDカードを私に見せ、ホリデーシーズンは家族に会いに帰ると話してくれました。
どのくらいの期間休日があるのかをお聞きすると、
「210日」と教えてくれました。
本当??
「そんなに休むと仕事の仕方忘れるよ!」と談笑。

乗務員がドリンクを販売しに来た時に、水をオーダー。
20ルピーに対して300ルピーしか持っておらず、
スタッフが困っているところ、ガバメントオフィサーの男性が
「財布をしまえ」とジェスチャー

ペットボトルの水を2本注文し、1本を私に。
なんと
ご馳走してくれました。

ーーーーーーーーーーーーー
ポイント

原則、街中などで無料配布している飲食物は絶対口にしてはいけません!
NOと言いましょう!
但し、
もてなしの心得を持っている人は、
新しいものを目の前で2つ買い、一緒に飲むようにしてくれます。
心から親切したい人からの好意は無駄にはしたくはありませんが、断ることも大切です。
安全に旅をしましょう。
↑幸い私は問題ありませんでしたが、
ドリンクの中に睡眠薬や違法ドラッグが混入しており、混乱したり、気を失っている間に
身包みを剥がされた被害があるようです。

旅に出る前は事前に最低限の情報は頭に入れておきたいものです。

ーーーーーーーーーーーーー

ルディアナ駅に停車した際に、水をご馳走してくれた男性はここで降車。
降りる手前で、ACアダプターの彼が、弟を連れて、返しに来てくれました。
「弟と一緒に使わせてもらった」と律儀に二人してお礼を言いに来てくれました。
「なにかドリンクでもごちそうしたい」
と気を使ってくれます。
ーーーーーーーーーーー
英会話
「どういたしまして」は
You're welcomeだけじゃない!

このとき
No way no way! I know pay it forward!
(とんでもない!私は恩送りを知ってるよ)
コレ言うと喜んでくれる人が多いようです。
インドでも彼らには伝わったようで、笑顔で握手をして、降車する彼らを見送りました。
ーーーーーーーーーーー
ACアダプターが返ってきました!
ええ奴でよかった。
下手すれば盗られても不思議ではないのですが、
インドでは、小さなミラクルがたくさん起こります。
誰をどこまで信じていいのやら...。
さて
列車は6時間ほど走行しています...。
次はどんな人が乗り込んでくるんでしょうか。

インドでできたはじめてのともだち

2024年5月25日午前中

ルディアナからm目的地mアムリトサルまでは、
あと120Kmほどあります。

ルディアナ駅に停車の10分前、
別の車両に持って行かれたスマートフォン用のACアダプターを貸した青年がわざわざ弟を連れてお礼を言いにきてくれて、とても安堵しました。
握手をして彼らに手を振ります。

次はどんな人が乗ってくるのか。
ここでも物売りと物乞いが発車時間まで車両を行き交います。
もぉ〜またや...。

次どんな人乗ってくんやろか…。

乗客が入れ替わります。

次に乗ってきたのは、30代前半くらいの男性二人組。
それまでは窓際に座っていたのですが、「私たちが窓際の席を予約している」と言ってきたので、通路側の席に移動します。

身長が180cmくらいの二人組が座席に座るもので、急に狭く感じます。

彼らもアムリトサルに行くようです。
彼らが乗り込んでから、しばらくすると話しかけてくれました。
熱心なスィーク教徒のようで、
ゴールドテンプルにお参りに行くようです。

アマンとプリート

英語が少し話せるアマン(写真右側)は農産物の肥料を販売するショップのオーナー
ほとんど英語ができないけれど私と話がしたいプリート(写真中央)は農家の息子だそうです。
プリートは学歴が無く、独学でヒンディー語と英語を習得したそうです。
自学自習だけで彼の能力が高い青年です。
それを伝えると非常に喜んでくれました。

「僕たちはスィーク教徒なんだ。」
「よかったら案内するよ」
と二人からお誘いを受けました。

今回の宿は、ちょっぴり快適なホテルを予約をして、一泊7000円くらいのホテルを予約していました。
全て安宿でもよかったのですが、プール付きのホテルをたまたま見つけたので、
しっかり休息を取ることも必要と思い、アムリトサルだけはいいホテルにしました。

「もう宿泊先は決まってますか?」と聞かれ
予め日本で決めていた予約表とホテルの写真と金額を見せると、
「高すぎる!」と驚かれました。

あ〜しまったな

余計なものを見せてしまった…。

彼らの話を聞き、価値観やライフスタイルからすると、
120kmの移動やお参りをするだけでも相当なことのようでした。
会話が弾み、意気投合しました。
彼らは私をゴールドテンプルに案内したいと思ってくれているようで、
「あなたがこの旅で困らないように行動を共にしたい」と私に提案してくれました。

ありがたい!
彼らは信用できるかもしれない!

現地に到着してから宿を探すようで、
連絡先を交換し、
夜にゴールドテンプルで落ち合うことになりました。

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豆知識
インドはLINE のシェアは低い!
コミュニケーションツールはWhatsAppが主流です。
日本向けのビジネスをしている人以外、圧倒的シェアを誇るのがこちら。

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他にもsnsではX(旧Twitter)をやっている人は一人もいませんでした。
主流はInstagramでした。
これもガイドブック地球の歩き方に載っていた通りでした。

ちなみにInstagramは、本場アメリカでは、離婚や破局によって、リベンジポルノや嫌がらせで利用されたりヘイトが非常に多く、また情報統制もかなり厳しくなっているようです。
インドでは、みんながスターになれるツールとしてみなさん非常に楽しそうに使っています。
もちろんアマンとプリートともこれらのツールを利用して今もやり取りが続いています。
この先出会う人たちとも、みんなWhatsAppとInstagramで繋がっています。
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その後もインドの話や彼らとコミュニケーションを楽しんだら、そろそろ到着?
列車が停車。
アレ?
「多分、牛か山羊の群れが線路を横断していると思う」とアマン。

生類憐みのインド!

二度ほど停車。
大した遅延ではないはずなのに1時間遅れで列車が到着しました。
線路に柵をしていないので、これはインドあるあるらしいです。
誰一人として驚く様子はありません。

インドにとどまらず、日本の公共交通機関は時間ピッタリで出発到着しますが、
世界は随分と了見が広いようです。

そんなことを話していると、列車はアムリトサルに到着しました。


ここも気温は44度!
空調なしの車両での約8時間の移動は人生で初めての経験です!
全てが発見の連続で楽しいのですが、ちょっと流石に疲れます。
早くシャワーを浴びたい気分です。
睡眠時間が少なく、早起きしたにも関わらず、緊張のためか、楽しいのか、
不思議と眠気はありませんでした。


↑駅の陸橋からのアムリトサル駅を撮影した写真です。

駅を出ると、ここでもオートリクシャーの客引きに合います。

徒歩でホテルまで行くことをアマンとプリートに伝えますが、
遠いからオートリクシャーに乗ってくれと言います。
(金払うの俺やねんけど…)
アマンとプリートは私が断っても、良心的なドライバーを探そうとしてくれます。

グーグル翻訳アプリでは、ヒンディー語と日本語の相性が悪いのか
「あなたは人力車で走らなければ疲れることでしょう。」
「あなたにとってためになる方法です」
想像力を掻き立てないと読み解くことが難しい文章です。

数件交渉しても高額な料金をふっかけてこられる中、200ルピー(400円弱)でOKしてくれた、ターバンを巻いたドライバーを勧めてくれます。

リクシャーのドライバーは私のスマートフォンのMAPアプリを確認しながら走ってくれます。(おっちゃん、よそ見しながら危ないで!)

無事、ホテルに到着!
100ルピー札を2枚渡して、ドライバーのおっちゃんはにっこり微笑んでくれます。
追加でチップの要求もされません。
やはり、ターバンを巻いたスィーク教徒は「嘘をつかない」「人に親切にする」がモットーなのかなと思いました。

移動だけで8時間。かなり疲れました。

これからホテルチェックインです。


ゴールデンテンプルに行く前に

2024年5月25日 午後

ドライバーは胸に手をあててお辞儀をしてくれます。
なんだかそれだけで嬉しくなりました。
チップも要求されません。
ターバンを巻いているドライバーはやはり信用できるかもしれません。

「困ったらスィーク教徒に聞け」と言われてインドに来ましたが、
やはり本当かもしれません。

ホテルに到着。
この日から二泊お世話になるのはアムリトサル駅から新市街のある方向へ2km
Golden Premier Hote

★★★★ Golden Premier Amritsar, アムリトサル, インドアムリトサル、Golden Premier Amritsar – 予約はすべて最安値保証!Booking.com:クチコミ338件、 写真42枚を提供。

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平面の車寄せがついてて、門構えはとてもいい感じです。
回転ドアを少し回せば、
慌てて、ボーイが止めにきます。
ユーミンの「時のないホテル」は外に出れないのに対して
中に入れない?

清掃中のため、横に別の扉がありそこから入れと言います。
内観はもとても素敵な作りをしていますが、
ゲストが少なく節電なのか、演出なのか、薄暗い感じのロビー。

BGMがなく静かです。
英語とヒンディー語のみの対応です。

日本語のない世界を冒険中。
今回もうまくいきますでしょうか?

フロンドデスクの若い女性は珍しい日本人観光客に、緊張してくれているようでした。
訛りの強い早口の英語でわかりません。
笑顔を見せても緊張しているのかこわばった表情でした…。
いつの間にか男性スタッフ2人もフロントに駆けつけて対応してくださいます。

女性スタッフの英語があまりに流暢すぎて私には聞き取れませんでした。
持参したフリーペーパーに書いてくれと用紙を渡して、記入してもらいます。

クセつよ…。読まれへん!

書いてくれたはいいけれどわかりません、
「ゆっくり言ってくれ!」
と言っても早くて聞き取りにくく、時間がかかりました。
「朝食サービスなしの予約で間違い無いか」
「用事があったら場合記入した番号に電話してくれとの内容でした。」

無事チェックインを終えると、
部屋まで案内してくれました。

お部屋はこんな感じでとても綺麗でした。
ペットボトルの水が二泊分500ml4本を置いてくれています。

チップの文化がないためか部屋の案内くらいでは電気やシャワー室の案内だけしてスタッフはbye!と言って去っていきました。

やれやれ

しばし休息の時間。
とにかくシャワーを浴びてプールに行こうと準備をしますが、
やはり水道事情はどのエリアでもいいとは言えません。

シャワーの出が悪かったのですが、それ以外はくつろげるお部屋でした。

早速水着を持ってプールに向かいます。

...WOW!

ルーフトップにあるプールの水は、
写真で見るより綺麗ではありませんでしたが、眺めは最高!

暑い時期ですからプールは気持ち良かったです。
プール泳いだあとは別のゲスト達とともコミュネーションを取り、記念撮影!

しっかり泳いで、今一度シャワーを浴び、少しくつろいだら、
着替えて、いざ、ゴールドテンプルに。

列車で知り合った、アマンとプリートと無事落ち合えますかどうか。

美しきアムリトサルの街並み

2024年5月25日午後

アムリトサルは旅の中で非常に思い出深く、もう一度行きたい場所です。

コンノートプレイスで購入したクルタに着替えて、ゴールドテンプルまでお参りに行きます。

↓アムリトサル周辺地図


列車で知り合った、アマンとプリートは先に向かっているとのことで、
現地で合流しよう!とメッセージのやり取りをしました。
MAPで道順を確認して進みます。

ホテルを出てまずは駅の方向に歩きます。

歩道には路上で果物を売っています。

新市街のホテルから、旧市街の方向に、先ほどの駅をオートリクシャーで送ってもらった駅まででおよそ1.5km

デリーと比べると歩きやすい道が多いです。

そして街並みがとてもキレイです。

アムリトサル駅

駅にある陸橋を越えると旧市街に入ります。
また、ここでも声をかけられました。

何事かと思うと
「ショルダーのファスナーが空いているから閉めておけ」とオッチャン。

慣れてはきたけれど、気は抜けません。
オッチャンはただ親切でそれを伝えてくれました。
「ありがとう」と言って去りますがまだ話してくれます。

アレ?終わったんちゃうの?

結構な距離を一緒に歩きました。
インドは本当に人懐っこい人が多くて楽しいです。

アムリトサルの街は客引きなどが圧倒的に少なく安全な場所が多い印象です。

異国に一人

孤独な旅になると思いきや。
みんなフレンドリーで、自然と笑顔になってきます。(変な人も多いけど)

旧市街の街並みはとても芸術的なつくりです。

日の入り時刻は20時ごろ。
赤道に近いためか、19時ごろまでは明るいです。

スマートフォンのMAP機能を頼りに順調に進むのですが、
目的のゴールドテンプルが近づくにつれ、

活気がすごいんです。

オートリクシャーではなく、街並みの写真を撮りたくて歩いて正解です。
ゆっくりと道を歩いていると、現地のガソリンスタンドを見れたり、

街の空気感を雰囲気を存分に味わえました。
目的地はゴールドテンプルですが、その道すがらの風景も魅力的です!

進んでいると子供達も手を振ってくれたり話しかけてくれたりします。
笑顔でコミュニケーションをとると、周囲に居る大人達も和かに歓迎してくれました。
写真を撮らせてくれた子供達

北インドはアーリア人の血が濃いと言われており、

顔立ちが整った人が多い印象です。

屋台のジュース屋さんもイケメンでした。

だんだんと日が暮れてきました。

日が暮れると街に灯りが灯り始め表情が変わってきます。

路地も絵画のような魅力ある街並みが続きます!
ゴールドテンプルが近づくにつれ、道が狭くなります。

なんで?

加えて交通量も多くなります。
写真では広々と見えますが...

次第に

通れないくらいに乗り物と人がわんさか!

狭い道は勇気を出して人や乗り物にあたろうが勇気を出して進むしかありません!

気にせず、ぐいぐい行きます!
スピーカーでお祈りの歌が聞こえてきます。
ようやく狭い道を抜ければ、

見えてきたのは広場です。

ここだけでもかなりの広大な敷地で、建物も想像以上にダイナミックな時計台がありました。


アマンとプリートに到着の知らせをメッセージ送信すると、
お祈りの列に並んでいると返信が来ました。

どんな列なんだろう。

ゴールドテンプルに入りたいと広場にいる人に声をかけます。
予め調べていましたが、ゴールドテンプルは土足厳禁なので、

まずは靴を預ける場所に案内されます。
言葉が通じなくても、指さしやジェスチャーでなんとか汲み取って、カウンターに行き靴と靴下を預けます。

返却時に正確に返してもらえるように、
大きめのコインを渡されます。

そして、無料配布されているターバンを巻いて入場できます

この目で見た、まばゆき黄金の寺院!

2024年5月25日 夜

差別主義者が多いアーリアの血が濃いエリアの人に言われても説得力があるのか??
知らんけど

https://www.y-history.net/appendix/wh0804-009.html

スィーク教は16世紀
ナーナクによって開かれた宗教で・勤勉・団結・平等をモットーにしており
「差別はいけない」という教えで、イスラム教、ヒンドゥ教を批判する一面も持っています。

批判的な発想でも、民間レベルでは宗教やコミュニティが違っても、尊重し合い、

主張はしても否定はしない文化を感じました。

長谷川明 著「インド神話入門」(絶版)

著者の考察では、

「スィーク教徒は機械技能に長けている性質を持つ人が多い」らしく、

植民地時代にイギリス政府はそこに目をつけ、警察、軍隊に登用し各エリアに派遣させ、ターバンや装飾の特異な姿が注目を集め、

「インド=ターバン」のイメージができたそうです。

実際のスィーク教徒はインドの総人口の2〜3%(約3000万人)だそうで、

インド全体で見るとスィーク教徒は少ないんです。


ゴールドテンプルに到着してからは、入り口前広場の脇にある靴の預け場所があります。



まずは靴を預け、裸足になります。
無料配布されているターバンを巻いて


入り口には、水を貼った浅い溝の中で足を清めて入ります。

ちなみに、タバコとお酒は戒律で禁じられているため、ボディチェックと荷物検査を受けます。

入り口すぐに5段くらいの階段があり、登る前に段差にタッチし、おでこと胸に手を当て合掌してから登ります。

(神様が通ったかもしれない場に敬意を表すためだそうです)


短めの廊下をわたり本格的に中に入ると目の前に見えました!


ゴールドテンプルです。


数万人のスィーク教徒がお祈りのために訪れる総本山。




広大な敷地は中央にある中央の黄金の寺院の周りには水が城のお堀のようになっており、

その外側は回廊になっています。

中央の黄金寺院に入りお祈りができる道が一箇所だけ設けられています。

水場は沐浴の場として使われていました。


たくさんの家族連れを見ました。


その他、

「平等」をモットーに、全員が無料食堂で5000人が同時に食事をとることが出来るようです。

どんな地位の人も、同じ場所で食事を共にします
また、水の無料提供場もありました。

スタッフは全員ボランティアで「平等」を体現している場になっています。

撮影は憚られてできませんでしたが、

家がない人や、旅に疲れた人も寺院内で世を明かす人の寝床も回廊の隅の方に設置されていました。


聞けば、物乞いはこの寺院で施しを受け、旅に出て職に就ければラッキー。

ダメだったら寺院に帰ってきて寝床を使い、また施しを待つというサイクル。

助け合いや人助けを実践しているような気がしました。


アマン達は中央の寺院でお祈りをするため長い行列の中にいると連絡がありました。


結局この日は合流することができず、単独行動をします。

回廊を歩きながらゆっくりと寺院を撮影しました。


こんな列に並ばれたら、待てど暮らせど落ち合うことは難しいです。

彼らは熱心なスィーク教徒ですし、お祈りをしに来てるのですから。


ということで、アマン達とは翌日会うことになりました。


撮影しながら歩いていると、

ジャパニーズが珍しいスィーク教徒の皆さんは


「どこから来たの?」

「日本人?写真を一緒に撮ってくれ」

とあちらこちらで声をかけてもらい、撮影会です。

誰と間違えてるのかなと思うほどです。


この時北インドではインスタグラムで私の写真が出回りました。



回廊の外側には四方正面に時計台があり、その建物の中にもお祈りの場が設けられ、

各所に神様のベッドが置いています。

そこにお賽銭を入れたり、お祈りをしたりしている人がたくさんいました。


見様見真似でお祈りをして、旅にこれたことの感謝を伝え、

さらにもう一周してゴールドテンプルを後にしました。


iPhoneのパノラマモードじゃないと上手く撮影できません!


輝きすぎて、コンデジで撮影すると白飛びします。


このようにみなさん記念写真を撮っています。


インドに暮らすスィーク教徒の皆さんもこのように、

総本山に訪れるには遠方に暮らす信徒さんにとっては、気合がいるのかもしれません。


天理教のおぢばがえりのような(笑)


24時間お祈りの歌がスピーカーから聞こえてきます。

教えを歌にし、楽器を鳴らしてずっと生放送されていました。


今一度広場に出て靴の預かり所にてコインと引き換えに靴の返却をしてもらいます。


何時間でも見ていられる本当に美しい寺院でした。


ホテルに戻る前に、喉が渇き、近くの商店に行きスプライトを買います。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー

ポイント

お釣り銭が出ないように細かいお金を用意しておこう!
インドでは、毎日銀行で見込み予算を両替する習慣がないため、細かいお金を焦点が持っていない場合があります。

帳尻合わせのため、
「もう一本買っといてくれ」と言われたり、釣り銭をちょろまかされたりします。

私はこの時ちょろまかされました(笑)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さて喉が潤ったらホテルに戻ります。

異国で迷子!

2024年5月25日深夜

スィーク教の総本山、ゴールドテンプル(正式名称:ハリマンディル・サーヒブ)

はおよそ1800平方メートルの広大な敷地で
回廊も寺院の土台も大理石でできているそうです。

回廊は縦横200mに満たないのですが、面積以上にダイナミックに見えましたし、
本当に素晴らしい寺院でした!

お参拝もほどほどに、寺院を後にします。
靴の預け場所にて返却された靴を履き、ドリンクショップで喉を潤したら帰路に。

よく似た曲がり角が多いので、スマートフォンのMAPアプリを立ち上げてピン留めしている宿泊先の案内経路を表示させ
そこに向かいます。

ここを曲がって、まっすぐ進んで…。

先ほどの道と違うところに案内されました。


あれ?
まあ駅がこっちにあるからまぁ帰れるだろう。

進んでいくと狭い路地で行き止まりだったり、
全く覚えのない道に迷い込んでしまいました。
時間は22時ごろ。
夜道は静かで安全な様子とはいえ少し不安です。

個人商店も遅い時間に関わらず、まだ空いてたりするし
6人組の若いグループ
遅い時間にも関わらず旧市街の街で談笑しながら遊んでいます。

最悪聞けばいいかと思い迷子の町探検をします。

他にもクリケットをしながら楽しそうに遊んでいるグループがいました。
彼らを横切り狭い路地に入ります。
同じような階段を上がると、またクリケットやっている青年達がこちらを見ています。
小声でタイランド?ジャパニーズ?みたいな声が聞こえます。

あれ?
またさっきの道だわ…

あ〜どうしよう!
まじでわからん!

ジロジロ見られても、恥ずかしいなんて言ってられません。
ネットワーク状態も良くありません。
帰れない....。

行き止まりの住宅街では窓を少し開けて老婆がこちらを見ています。

「あやしくないからね!」と言わんばかりに
元気よくHi!といって笑顔でやり過ごしとにかくうろうろします。

ネットワークが遅く電波も悪い。

同じ道をぐるぐる回ってた時、先ほどの6人組の青年達も「変なジャパニーズ」に気づいたらしく、
こちらから
Hi!
声を変えると、
「どうしたの?」気にかけてくれます。
Missing my way!
and network is slow.

MAPを見せると「かなり遠いで」
と言います。
とにかくアムリトサル駅まで出ればわかるから方角を教えてくれと質問をしました。
6人組は、ミーティングを始めます。
Please follow me!
案内してくれるようです。
彼らは大学生で夏休みシーズンだそうで遅くまでお友達同士遊んでいたそうです。
ある路地に通されると
「おーいジャパニーズが遊びにきてるぞー!」と大きな声で言ったのでしょうか。
いろんな家の窓が開き、みんなが手を振ってくれます(笑)


なんか、遅くにすみません。

案内してくれたのはダニッシュくん20歳
ママを紹介したいと連れてこられたのはダニッシュの自宅。
上がっていけと言われましたが流石に申し訳ない。
ママは笑顔で握手をしてくれます。
テレビを見てくつろいでいたパパも何事かと玄関にきます。

どうやら歓迎されているようですが、家に上がるのはちょっと流石に…。

もう一人の青年がバイクを出してくれ、乗れと言います。
彼はクナールくん20歳

案内されるがままに路地を抜けバイクを用意してくれたクナールの後ろにまたがります。
6人組グループだれかの弟も日本人見たさに大慌てで私のもとに駆けつけてくれました。
手に持っていたスナック菓子を「食べてみて!」と一口に入れてくれます。
レッドチリのスパイスがきいていて「からい〜!」大声で叫んだと同時にバイクはスタート!
大笑いしながら見送ってくれました。
なぜかダニッシュもわたしの後ろに乗って

ノーヘルメットの3人乗りです!

大丈夫かよ!
車の間をスイスイ駆け抜け夜の街を走ります。
バイクを運転しているクナールにダニッシュがスマートフォンのナビを見せながら走行!

ちょっとお前ら!
危ないとい概念はないのか!?(汗)

夜中のアムリトサルをバイクで駆け抜ける爽快感!

なんかすげぇことになってない?

緊張とともにワクワク感が止まらなかった時間でした。

駅まででいいから!
強く伝えるも、
「ホテルまで近いから行くよ!」
そう言ってホテルまで送り届けてくれました。

なんでこんなに親切にしてくれるんだろう??
自分だったらここまでするかな?

しかし彼らの優しさやを感じることができて本当によかったです。
おかげで無事にホテルに戻れました。
初めての海外で、困った瞬間でもあり、親切に触れられた瞬間でもありました。
彼らとはインスグラムで繋がって、今も交流が続いています。

どうやら初見は怖くて声をかけられなかったそうでした。

その後、困っている様子に気づきみんなで声をかけてみようと話し合ってくれたそうです。

インスグラムの交換
かたい握手
ビッグハグ

「世界中に友達をつくりたい」という夢の一歩がまた一つ叶った瞬間でした。

ダニッシュもクナールも大学生で、
法学部で勉強していて将来の夢は法律家になると言っていました。
比較的恵まれた環境で育っていて
またそのことをしっかり自覚しています。
このアムリトサルでさえ物乞いがいたり、教育を受けられない人もいる現実を目の当たりにしている彼らは日々の暮らしに感謝をしているようでした。

↓旅の手記です

またこう言った巡り合わせも
シンクロニシティといって、
インド人は偶然起きることを運命だと信じる傾向があると、インドを旅したことのあるニューヨークで活動しているアーティストの友人から聞かせてもらったことがあります。
偶然に起きることを天命として捉える思想を持つ人が多いインドならではの出来事だったかもしれません。
対して、日本は予定調和で動きます。
軍隊を持たない国でありながら軍隊式の教育や、時間に対して非常に了見が狭い一面を持っています。
5分前出勤をしなければ白い目で見られると思いきや、定時で帰るのも気が引けるよな窮屈さを感じます。

インドの大らかさに触れた夜でした。

セキュリティガードも車寄せにバイクが入ってきてもお咎めなしで、笑顔を見せてくれました。
彼らに手を振り、
「絶対にまた会おう!」と約束をしました。

ホテルのロビーに入ると帰りが遅い私に心配してくれたスタッフさんが、椅子に座らせてくれ、ライムジュースを入れてくれます。
「無事で安心した」と言ってくれました。
ミドルクラス以上のいいホテルでも、なんでも揃っているわけではないはずですが、
彼は、最大限のもてなしをしてくれました。
ライムジュースの味はともかく、
その心からのもてなしや心配りが今でも忘れられません。

絶対にもう一度この地に滞在したいと思う長く有意義な一日でした。

Instagramで繋がっている、沖縄移住をしたYouTuberのSato familyご夫妻は、
なんのコネクションも無くyoutubeとInstagramを始めたそうです。
今では、企業からタイアップのラブコールが寄せられるほどにファンもついています。
沖縄移住もYouTubeも夢の実現をしたご夫妻にコンタクトを取り、
いただいたメッセージは「言えば叶う!」ということでした。
きっとご夫妻もそれは「無理があるんじゃないか」などの他者からの意見も0ではなかったはずです。
それでも今では沖縄好きの人たちの間では名が知れ渡るようになりました。

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部屋に戻りシャワーを浴びる前にダニッシュとクナールにお礼の連絡をして、
「絶対にまた会いに来るからね!」
と伝えました。

言えば叶います。


ある意味ゆとり世代?

5月26日の朝

気温は朝から40度!

この日も朝から太陽は元気にアムリトサルを照らします。


屋上から見渡すアムリトサルの新市街!

向こうの方に見える茶色い建物が寺院なのか学校なのか、Googleマップを見てもわかりませんでした。

新市街のある北側には、空港、ヒンドゥ教寺院、学校、病院、養鶏所等

いろんな建物があります。

午前7時に起床。

インドはなぜか早起きが苦になりません。


前日のゴールドテンプルではアマンとプリートと落ち合うことができず、

朝9時に彼らのゲストハウスで待ち合わせすることになりました。


何度もやり取りを重ねて、彼らのチェックアウトの時間帯に合わせて動きます。

私はアムリトサルに二泊ですが、

アマンとプリートは一泊だけで午後2時にルディアナに帰ります。

それまでにパンジャーブ州アムリトサルを案内してくれます。


助かる!


予備知識はゴールドテンプルだけでアムリトサルに来ているので、

市街地を散策して終わるところでした。


彼らと合流するため、アムリトサル駅をすぎて、

片道20分の彼らが泊まっているゲストハウスを目指します。

時間にゆとりを持って、散策を兼ねて滞在しているホテル付近の街並みを撮影しながら歩きます。



ホテルの向かいには建設途中の建物があったり、



ユニークなデザインのトラックが停まっていました。

車内でくつろいでるドライバーに「トラックの写真とっていいか?」

カメラを見せて合図をします。

すると3人降りてきて、歓迎を受けました。

一緒に撮ろうとみんなで集合写真を。

トラックだけ撮りたかったんだけど…。まぁいいや。

インドの第二公用語は英語です。

どこに行っても絶対話せる人がいます。

日本で英語を話せることは「すごい特技」のような印象ですが、

インドは当たり前のように話します。

教育方法が違うためか、

ちいさな子供から高齢の方まで流暢に英語を話せる方が多くてビックリです。

もちろん全く話せない人もいますが、

それはそれで、なにか「関わろう」とか「手伝えることがあれば」という精神性が伝わってきます。


路上の果物屋さんは何度も往復する日本人の私を覚えてくれているようで、

気さくに手を振ってくれます。

アムリトサルは居心地の良さは抜群に良かったです。


ゲストハウスの近くに着きましたがメッセージの返信も着信もありません。

時は8時45分(だったと思う)



お前らがここや言うから来たのに

なんでこの時間に既読つかへんねん!


いやいや、チェックアウトの準備で着信やメッセージに気づいてないのかもしれない。

それにこの道で合ってるはず。

(ほんまにこの道??)

MAPで位置確認ができたら、

連絡を待つ間にドリンクを売っている商店を探すのですが、

シャッターが閉まっていたり、それらしきお店が見当たりません。


交通量の多い道に出たのですが、見つけられず、うろうろしていると

しゃがみ込んで休憩している青年が立ち上がり、嬉しそうに話しかけてくれました。

ーーーーーーーーーーー

英会話

・Where from?(どこからきたの?)

・Did you go to the Gold Temple?(ゴールドテンプルは行った?)

・How about traveling?(旅行はどうですか?)

・I work here.(私はここで働いています。)

えらいもので、

60日の英会話スクールのパターンが全て聞き取れたり、英語での受け答えができてとても嬉しかったです。

ーーーーーーーーーーー


彼にドリンクを売っているお店が近くにないか訪ねるとともに、

友人と待ち合わせをしている旨を伝えました。

すると

彼は自分のお店に私を案内して水を分けてくれると言うじゃありませんか。

え!


これはやばいやつかも…。

原則、インドでは、無料で飲食物を提供する人には要注意なんです。


彼は散髪屋さんで働いていて、オープン前に店を開けてくれました。

ソファに座るように促して、冷蔵庫からボトルの水をグラスに注いで「飲め」と言ってくれます。

彼も同じようにグラスに注いだ水を先に飲んで見せてくれます。

鉄則だと思いますが、

やはりここでも、

振る舞いの心得を持っている人は、同じものを二つ用意して同じように口にするようです。

しかし、これが、ウォーターサーバーの水か、水道水かわからない….。

喉がカラカラです。

目の前にはグラスに注がれた冷たい水。


よし、いただこう!


最悪どうなってもいいわ(笑)

いただいたお水は最高に美味しかったです!(その後お腹の調子は悪くなりませんでした)

暑さにやられて、喉が渇いている様子に気づいてくれていたようです。

なんて優しいヤツ!↓彼が声をかけてくれた青年です。

その後、

オーナーらしき人が入ってきて、青年くんが私のことを説明してくれていました。

「ゆっくりしていけ」とオーナー。

水をいただいていると次々とお客さんがきます。


where from?

どこ行ってもこればっかり聞いてきよるな…。

(ここでは外国人だからしゃーないか)


お客さんたちは次々と「写真撮らせろ」「Instagramをフォローしてくれ」と。

(ほんまに、誰と間違えてんのよ 笑)


ーーーーーーーーーーーーーー

ムカついたこと

行儀の悪い人は世界共通!身なりからしてやっぱり変!


ディスカウント店に改造車で駐車し、母親も子供も奇抜な格好で、

強烈な香料の柔軟剤を山ほど購入する典型的なモデル一家がいるように、

インドにも行儀の悪い人がいました。


散髪屋さんで休憩させてもらってたところ、一人の客に

「日本人は英語が話されへんからなぁ〜バカが多い」

と言われました。

「じゃああんた60日間の日本語スクールでマスターできるのか!」と言い返してやりたかったのですが、無視

頼んでもいないのに私のスマートフォンを取り上げて自身のInstagramのアカウントを検索し、

フォローされました。

もちろん私の手元に返ってきたスマートフォンの画面を見て、すぐにブロックしておきました(笑)

触らぬ神に」です。

↑たぶんこの時インドに来て一番気分が悪かった瞬間です。

コイツです!

ーーーーーーーーーーーーーーー


お水をご馳走になり、一服できました。

そろそろおいとまさせていただこうと立ち上がると、

休憩されてくれた散髪屋の青年くんが、

「シャンプーしていかないか?無料でいい」「髪の毛を切らせてくれ」と提案してくれました。


いや、待ち合わせしてんねんけど...俺。


「お客さんを優先してくれ」

「日本で切ったばかりだからいいよ」

丁重に断りましたが、彼の優しさに触れ、またアムリトサルに来る時にはあえて髪の毛を伸ばして彼に切ってもらいたいです。

なんだかみんな親切でフレンドリーで本当に楽しいです。
が、すっかり待ち合わせしていたことを忘れるくらい

みんなゆっくりと過ごせました。
ハッと我にかえりスマートフォンを見ます。

アマンとプリートからの連絡は40分すぎてもありません。

ようやく連絡が来たのは50分後。ゆとりを持って行動したおかげで、じゅうぶんに油を売る時間ができました。

またアマンとプリートのみならず

ゆとりをもって行動するのがインドスタイル?かもしれません。

9時は0分から59分までが9時なのだから、まあよしとしよう。


しかし50分押しでどこに案内してくれるつもりなんだろうか…。



待ち合わせ場所、本当にここで合ってるのかなぁ。

世界のラブストーリー

2024年5月26日の朝

親切にしてくれた散髪屋さんの青年とはここでお別れ。
「友人がメッセージでチェックアウトした知らせをくれた」と伝えると、
旅が無事でありますようにと言ってくれました。

ありがとう!
彼とはインスタグラムで繋がっています。

↓しかし日本人をディスったお前だけはユルサン!(笑)

なんだかんだで1時間遅れで落ち合うことができたアマンとプリートは、
元気よく待ち合わせ場所に登場。
ハグで再会の喜びを表現してくれました。

どうやらインド人は時間にルーズなのは本当らしいです。
(日本が窮屈すぎるのか?)

「今日は午後2時に出ないといけないんだ」
「今日はワガ国境にはいけなくなったよ」
(そこはきっちりしてるのね)

まぁ1時間のタイムロスですから仕方ありません。

それでも彼らは名所に案内したいと、駅でオートリクシャーを手配。


この日の日中は彼らと行動を共にします。
向かった先は、どうやら旧市街。


後に調べると、そこはゴールデンテンプルの近く「ヘリテージストリート」でした。
広場にはマハラジャの銅像があります。

まずは近くのレストランで食事をすることになりました。
https://maps.app.goo.gl/rwBibxMMkeLDr8iF7

https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g303884-d14086487-Reviews-Brothers_Dhaba-Amritsar_Amritsar_District_Punjab.html

VEG生活をしているので彼らは合わせてくれました。
ここでいただいたのは「マッシュルームマサラ」。
ほんのちょっとピリ辛のカレーです。

ドリンクは3人ともラッシーをオーダーしました。
人生で初めてラッシーを飲みました。
甘口の「飲むヨーグルト」のような感じです。
散髪屋では青年に「クルチャを食べていけ」と言われましたが、
これがチャパティなのかクルチャなのかわかりませんが、小麦でできたパンがカレーとよく合います。

プリートはほとんど英語が話せませんが、
カレーをチャパティで掬いやすくするために生地を折りたたむなど、
食事中、翻訳ツールを使用して私と話そうとしてくれます。

そして相談に乗ってくれと言います。
その内容は、
「僕はアマンを愛しているんだ」
「どうしたらいいと思いますか」
「アマンは既婚者です」

あ、そう言うことね。

お揃いのTシャツ着てる時点でポイント1

アマンは向かいの席で、きょとんとした目でこちらを見てます。
インドに来てこんな重い相談を…。
私はプリートに、
Never give up and let it be.

それしか言えませんでしたが、気さくに笑ってくれていました。
ちなみに昨夜は何かあったのかと聞きましたが、
何もなかったようです。

1day1meal ライフの私にはボリュームがありすぎて大満足でした。
マッシュルームマサラとラッシー3人分で日本円にして1000円弱。
う〜ん安い!
会計前、アマンに滞在地と滞在期間を聞かれると、このように

この優しさ。
どおりでプリートが惚れるワケだわ!と思いながら、支払いを済ませ、
ゴールデンテンプル周辺にある活気のある広場、ヘリテージストリートの散策に行きます。



ものすごく賑わっていました。

マハラジャの銅像以外にも、
第一次世界大戦の慰霊の石碑もありました。

ここは現在、非常に平和で治安の良い場所ですが、
1919年イギリス統治下だった頃、インド独立運動では甚大な被害が起きた地でもあります。

明らかな人道に対する罪を忘れるな!

2024年5月26日

インドとパキスタンとの国境地帯に当たる北部、アムリトサルは非常に治安が保たれていますが、

ここはインド独立運動の機運が高まったことでも有名です。

スィーク教の聖地というだけではなく、

1919年3月、

悲劇的なイギリス軍による大虐殺が行われた地でもあります。


英国軍による犯罪の記憶を思い出させる場所があります。


ヘリテージストリートという歩行者専用のストリート兼広場には、

隣接して平和記念公園「ジャリヤーンワーラー博物館・庭園」があります。

(入場無料です)

ここでは英国軍によって、何の罪もない一般市民が虐殺されました。


博物館と慰霊碑がある、のどかな公園になっています。

今では子供達の笑顔がたくさんありました。


アマンとプリートは5月26日ここを案内してくれました。

とても広い庭園でした。



しかし

悲惨なことが起きたことは展示物が証明してくれます。


アマンたちに案内された博物館の入り口の様子です。

詳しくは分かりませんが、銅像のようなオブジェが展示されている

トンネルをくぐって博物館・庭園に入ります。


博物館では、独立運動や、インドの偉人たちの写真や功績が紹介されています。



主にヒンディー語と英語なので私は読めませんでした。

歴史にもっと関心を持っていれば良かったのですが。


博物館の2階ではプロジェクターでは、1919年の英国軍による大虐殺の悲惨な歴史が投影されていました。

英語の解説なので全ては解りませんでしたが、映像だけでもじゅうぶん伝わってきます。

死者数を見れば、にそれが居た堪れないものかがよくわかります。

その数、1000人を超える死者数が出たのです。


英国による、明らかな非人道的な罪です。


いかなる国も、何かにつけて英国が出てくるのは今更何を言っても仕方がないのですが、

人道に対する罪は忘れてはいけないことを、

ここ、アムリトサルに来ても思いました。


日本でも大東亜戦争敗戦以降の慰霊碑があります。

戦争は多くの命を奪い、たくさんの心の傷をつくります。

日本も同じで、731部隊による非人道的な行為は日本もしているのです。

イギリス以上に恥ずかしい罪をおかした日本人もいることは、本当に恥ずべきことだと思いました。


独立運動機運の大きな転機となった場所の跡地には慰霊碑の他に、

実際の弾痕があるレンガの壁が残っており、展示されています。

ぞっとするような光景でした。


またその弾痕のある壁の隣に井戸があります。



英国軍の攻撃から逃れるために何人もの人が飛び込んだ井戸です。

引き上げられた遺体の数は約120体回収されたそうです。


慰霊碑の写真です。


池には、国花である蓮の花が綺麗に咲いていました。



今、こうして強いアイデンティティと他者への尊重を大切にしている彼らの過去には、このように

非常に悲しい歴史があるのかと、胸に強く迫ってくるものを感じました。


インドは表向き、IT産業などで潤っている部分の反面、

過剰な投資を国レベルでされられたり、

産業発展と人口増加での地下水の枯渇危機があったり、

農村地帯では農薬で病気や自殺が絶えない悲惨な出来事などたくさんあります。


この痛ましい歴史だけでなく、

インドを支配しているエリート階級はイギリスとズブズブの関係です。

ガンジー暗殺以降「神」のように崇め、

「ガンジーの精神をどうのこうの」というふうに国民をコントロールしようとしているのも英国の息がかかっているのは

インド人はみんな知っています。


英国、米国の資本が抜けて影響が弱まっていくと、

もっとインドはもっと良い方に変わると思います。


現地で友達になれたアマンとプリートが案内してくれたこの場所は非常に思い出深い場所になりました。

学ぶべきことがあった一つに、

「インドは英国の息から独立を成功させた」

「日本は自ら英国に呑まれに行った」ということです。
強いアイデンティティと彼らの勇気に敬意を持って、
慰霊碑や井戸に静かに合唱をし、この庭園を後にしました。
暗い話題になりましたが、旅に出て気付かされた現実です。
ただ、救いは子供達の笑顔でした。

元気にはしゃぐ彼らを、先人たちが末長く見守ってくれますように。

心からお祈りします。

そして今後、インドに向けて何かの架け橋になれたらいいなと新しい夢もできました。

人生初のインド国内線

2024年5月26日ー27日


午前中から昼にかけて出会があったり、貴重な体験ができたり、充実の時間を過ごした後は、

アムリトサル旧市街から駅までオートリクシャーで移動し、

アマンとプリートとはここでお別れです。

彼らは地元のルディアナというビレッジまで列車で帰ります。

旅の無事を最後まで気にかけてくれて「また会おう!」と固く握手をしました。

彼らとは、旅後半で会うことになります。
ルディアナの農村地帯を案内してくれるそうです。
駅で見送った後は、ホテルでゆっくりします。


何度も行き来する道では顔を見知った商店の店主が手を振ってくれたりと、

今日も陽気なインドの皆さんと挨拶を交わして、ホテルに戻ります。


スマートフォンをチェックすると、先日バイクでホテルまで送ってくれたダニッシュたちからパーティーに遊びに来ないかと誘われましたが、


いや、また旧市街まで移動してって…もう体力的に無理よ?

40のおっさんが無理をして、気温45度の炎天下で何時間で、翌日は移動日です。

ありがたいお誘いでしたけど体調と時間と相談してホテルでゆっくりすることにしました。


本当は行きたかったけれど、無理して次の日に差し支えてはいけません。

現実的な判断が必要です。


ホテルに帰り、タクシーの依頼をします。

次の日のスケジュールを伝え、時間の調整をし手配すると言ってくれました。

やはり一人移動は宿でタクシーを依頼するに限ります。


シャワーを浴びて屋上のプールとジムのルームランナーでいい汗を流してリフレッシュです。

プールでは、隣のホテルの屋上プールの人と手を振り合い、旅の醍醐味を楽しみます。


再び部屋に戻り、くつろいだら、ホテル探検です。



階段にはアムリトサルの写真が飾られています。



4Fはシーズンに向けて内装工事中でした。



綺麗なホテルで、

このホテルは本当にストレスがなく水道の水以外は日本のホテルと変わらない感じでした。

21時ごろ、部屋に一本の電話が!


うわー英語で喋らなあかんがな...。
今一度タクシーの手配ができた報告と、指定の時間にロビーに来てくれという案内をしてくれました。
慣れない一人旅のわたしに対して、とても気遣ってくれました。

ルームサービスでは、スプライトを持ってきてくれたスタッフさんも

「こんな暑い時期に旅をしているの?」

「インドはどう?」

「どうしてインドを初めての旅行場所に選んだの?」

話しかけてくれてリラックスできました。


アムリトサルの新市街には、非常にキレイでリーズナブルなホテルが多いです。

ルーフトップにプール付きのところも多いと思います。

ゲストハウスはちょっと…。という方にも衛生的ですし、ストレスなく宿泊出来ます。

ここのホテルは本当に親切にしてくださいました。(プールの水は汚いけど)

アゴダやトリップドットコムで検索できます!


ホテル ゴールデン プレミア アムリトサル (Hotel Golden Premier Amritsar)


就寝し体力全回復!


翌朝、モーニングコールもしてくれて

「タクシードライバー待機してるから準備ができたらロビーに来てくれ」と。


チェックアウトを済ませ、タクシードライバーの紹介がてら外まで見送りに来てくれました!

心のこもった対応に感謝し、アムリトサルを後にします。


旅はまだまだ続くのに名残惜しい感じです。


タクシーで空港に向かう道中、後部座席からアムリトサルの街並みや、道路を撮影。

景観がとても素晴らしい街でした。





アムリトサル空港に到着し、チェックイン。


インディラ。ガンディー空港と比較すると小規模な空港です。

喫煙所もありません。


日本語のない空港。

ここも警備が厳重で軍の人がエントランスに必ず立っています。


緊張しましたが、場所を聞きます。

ーーーーーーーー

英会話

How do I get to the check in station?/counter?

(チェックインするところまでどうやって行くんですか?)

Over there sir

(あちらでございます)


How do I……….

は覚えておくと

Where is the○○?

(○○はどこですか?)

に続き、行き方を聞きたい時の便利フレーズです。

How do Iの続きを言わなくても察してくれて、対応してくれることが多かったです。


空港のエントランスを潜ればミニチュアゴールデンテンプルがお出迎え。

手続き中、空港全体が停電したり、x-rayのトラブルでかなり時間がかかりましたけど、

オンラインチェックインを済ませていたので発券はすぐでした。

(因みにインドでの停電は日常茶飯事です)

ポイント

日常会話よりも限定されるやり取りなので、

航空会社

フライトナンバー

ゲートナンバー

シートナンバー

この4つのポイント押さえておけばなんとかなります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

出発ロビーに行くと、搭乗スケジュールは小さなモニターに表示され、

放送は、ショルダータイプのハンドマイクにてヒンディー語と英語のアナウンスです。

大型の空港のようにゆっくり話してくれないので、聞き逃し注意でした。


待合ロビーの店舗は稼働率と集客のバランスがとれており、

程よくお店がありました。

小規模ながら充実しています。


さて、

私の乗る飛行機の搭乗ゲートが開きました。

ゾロゾロと乗客の皆さんの行列に続きます。

どうやら乗り場まではバス移動みたいです。



多分合ってるはず!



なんとか乗れました。


間違いなく、インディラガンディ空港行きです。


ーーーーーーーーーーーー

要注意

航空会社や国によっては客室の撮影をするとカメラを没収されたり、厳重注意を受けることがあります。

機内での撮影はJAL/ANAだけにとどめておきましょう。

私はシートベルトの着用方法の案内時に、CAさんの制服がサリーでできていてカッコよかったので撮影したらえらく怒られました。

すみませんでした…。


空港での日本のパスポートは非常に強力です。

「日本は世界的に信頼のある国」なのかと思うと少し嬉しくなります。

ジャパニーズ?

YES!

答えると、にこやかに対応してくれますし、
旅行客の中でもとても優遇されるように感じました。

デリーに戻り彼を食す!

2024年5月27日のお話

アムリトサルからインディラガンディ空港まで現地の国内線に乗って戻ります。

27日に乗った、初のインド国内線は、全く日本語の通じない環境だったのでとても緊張しましたが、

前日にオンラインチェックインを済ませておいたこともあって、手続きはスムーズにいきました。

飛行機はLCCで満席!ぎゅうぎゅう詰め状態で

隣に座っていたのはサングラスをかけた男性。リクライニングもなくなんとか座れる座席に困惑していました。

声をかけると、「大丈夫だけど狭いと思わないか?」

笑い合いながらしばしの我慢です。
約2時間のフライトの間、200mlのミネラルウォーターが入ったペットボトルと、サンドイッチとトマトジュースが配られました。
どうやら料金に含まれているようです。
パンはパサパサで、具材がキャベツのコールスローのようなものでしたが口に合わず、残念ながら残してしまいました。
空港に到着し、送迎を依頼していたロニさんと落合い、ゲストハウスまで移動。

予め、メトロのチケットを用意して待っていてくれました。
よかった点は客引きなどあちこちから声をかけられる際にボディガードになってくれることでした。

おかげでとても快適にゲストハウスまでたどり着くことができました。
デリーの街も気温は45度!

移動の疲れも手伝って非常に暑く感じます。

午前中からアクティブに動いたので、ゲストハウスにチェックインしてからは休息をとります。

暑くて日本では絶対飲まないスプライトが欲しくなります。

この日はCASA Centralに泊まりました。

https://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g304551-d23675937-Reviews-Casa_Central-New_Delhi_National_Capital_Territory_of_Delhi.html


バスルームはこんな感じ。

シャワー、洗濯、仮眠をとったら、

夕食を摂りに先日から行きつけになったレストランTadkaに向かいます。

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インドめし!

今日のメニューは

Chaap masala


『謎の食材?』こんばんわ。雨の中ご来店くださったお客様、ありがとうございました。さて、ラッソは毎日、「日替わりカレー」としてメニューにはないカレーをお出ししています。「小松…

ameblo.jp


Lhasso (ラッソ)さんのブログで紹介されていましたが、

ソヤチャープ

「ソヤ」はおそらく大豆のsoyが由来しているのかと。

トマトベースの中辛くらいで食べやすいカレーでした。

チャープは大豆を団子状にしている食材で、食感が白玉団子のようにもちもちしています。

クセがなく、とっても美味しく植物性タンパク質を採れるんです!

オーダーすると大皿にスプーンとフォークを乗せて提供されます。

大皿は自由に使えます。カレーや、ヨーグルトを混ぜてもよし、自由に組み合わせてオリジナルの味付けにしていただくことができます。

ここまでお肉はいっさい口にせずですが、ヘルシーメニューと暑さでで嫌でも体重が減ってきていきます。(笑)

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そして夜のメインバザールを散策。

夜も賑わっています。

「夜は危険だから出歩くな」と言われたのですが、
こっそりとメインバザールを散歩しました。

ここでも、おそらく家のない少年が店のレストランの前で三角座りをしていました。

いろんな情報を聞く限り、閉店間際にロス食材をもらうために待っているかもしれないとのことで、

また彼もこのまま夜を明かすのかと思いました。

オールドデリーの魅力とリアル

2024年5月28日


「デリーにもスラム街はあるの?」質問すると

「アリマスヨ。イキマスカ?」

https://tabisuruindo.com

この日は、ロニ・シゲタ トラベル 兼 アジャイゲストハウスのオーナー、

ロニさんにリクエストしたツアーの日です。


アムリトサルの出発前に、「どんな一人旅にしたいか」をヒアリングしてくださっていました。

行ってみたい場所の一つにスラム街がありました。

Youtubeやインドの貧富の差や暮らしぶりについての関連記事を読み、

この目で見たいという思いがありました。


提案してくれたツアーは、


名所巡りとスラム街散策


ロニさん曰くスラム街は一人で行くのはお勧めしないとのこと。

オーナー直々にガイドしてくれることになりました。

またスラム街ではロニさんの甥っ子さんに

仕事を手伝わせ「二人がかりでボディガード シマスカラネ」

おいおいびびらすじゃないか!

アメリカのスキッドロウのような犯罪や暴力が蔓延る側面でもあるのか??(汗)


午前中からロニさんと行動を共にします。


朝からオートリクシャーにてオールドデリーへ移動


午前中から太陽はギラギラと照り付け、また交通量は相変わらずどこが車線だかわからない混み具合です。



そして、オールドデリーに近づくにつれ、様子が変わってきます。




先ずはここ


インド独立の歴史で有名なマハトマ・ガンジーのお墓「ラージ・ガート」です。

暗殺された翌日、この石碑の場所で火葬されたようです。

その記念碑のある公園にはゴミ一つ落ちていない綺麗で広大な敷地でした。

ゲートから石碑までもちょっと歩きます。

入場無料です(土足現金だったような記憶があります)。

ここは一般市民もお参りに訪れるほかにも、各州のトップや海外の要人も足を運ぶ場としても有名です。


次に向かったのは

ムガル帝国以来の国のシンボル?

「ラール・キラー」

ムガル帝国代5代皇帝時代のお城です。


頑丈なレンガでできたこの城壁はなんと2.4km!

相当な広さでした!


一通り撮影を終えたら、

お城の正門からまっすぐ続く「チャンドニー・チョウク」(月光通りとも呼ばれる)

というストリートを散策。

インド最古のストリートだそうです。

老朽化している建物も多かったです。

やはりデリーのような首都都市同様に、

モールやスーパーマーケットの文化が少なく商店街には専門店がストリートに連なります。

「餅は餅屋」の世界です。

もう一つ気づいたのは、この区画では、オートリクシャーよりも、サイクルリクシャーが多かったです。

(交通規制でもあるんでしょうか?)


このストリートには寺院も多数存在していました。

イスラム教寺院には少年たちが普段着で遊びに来た際に寺院に立ち寄り、お祈りをしていました。

神様と共に生きる姿を見ることができました。


ほかにもスィーク教寺院もありました。


寺院出口ではキヌアを甘く煮たような団子が配られます。

大きなお鍋から一口分ずつ、「食べるお守り」として、一人ずつ列に並び両手で受け取りいただきます。

やはりスィーク教寺院は土足厳禁なので、靴の預かり所があります。

靴を履くベンチの隣では、

アーユルベーダ的なオイルが売られていました。

関節痛などの痛みに良いそうです。

ガイドのロニさんはご自身のお母さま用に買っていました。

街に戻ると訳のわからん貯水タンクがあったり...。

何よこれは...。


商店を除いていると外では、このような

体に障がいを持ち、手でサンダルを履き、お尻を持ち上げながら移動し、

あちらこちらに声をかける物乞いがいました。


これが現実の2024年です。


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余談

少し話は逸れますが、
帰国してから二人の知人と貧富の差や、人道支援について話す機会がありました。
お二人とも海外経験が豊富で知識や鋭い視点を持って、世の中を見ていらっしゃいますが、

人道支援に対する考えが全く違い、非常に興味深かったです。
・ニューヨークを中心に、世界的に評価されているアーティストの友人は、
成功者ほど寄付に対して見返りや我欲を優先する。

・個人事業で世界でビジネスをしている人は、
「売上の一部を寄付はしている」との主張のみで、

誰がどのように苦しんでいるか興味がない。

前者は、
紛争地帯でPTSDを抱える子供達に胸を痛め、人道活動家としての活動もしており、
リスクを背負ってでも、自身の経験や情報発信を命懸けでやっておられます。
一方で、
後者は、やはりビジネスパーソン。
自身の利益を優先します。
自身の環境をより一層整えることを第一とする。
「お金がない人ほど政治家に対して批判したりするのよ」
「自分より血統が上の人や生活水準が上の人と仲良くなることが何よりも先決」とのこと。
いずれも現実的に人間の持つ感性で、貴重な話を聞けました。
インドは人口の40%がトラウマを抱えて生きている側面もあるので、
今後も見識を少しでも広げていきたいと思いました。

このようにストリートには少年の物乞いの他にも、
動けないほどの体力になりながらも、通りすがりの大人達に手のひらを向け、
何かを訴えています。

ガイドをしてくれたロニさんに、このような少年少女たちには親がいないのかを尋ねると、

大体が遠くのビレッジから、デリーで仕事を探すように片道切符を持たされ、仕事が見つからない子供達は
物乞いになり、人攫いに遭い、少年少女問わずレイプされ、殺害され、最後は臓器売買され
富裕層だけが助かる図式ができている
という話を聞きました。
(貧しい家庭では子供を捨てる気でデリーに連れてくる人もあるかも知れません)
人道活動家の友人から聞いた内容を現地でも聞き、より一層現実味がわきました。そして世界的に有名な人道支援財団が、巨額の義援金を集めながらも実質的な活動結果を公表できていない点もまた、興味深いところです。
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ツアーを依頼しなくても名所は「地球の歩き方」に書いている場所ばかりなので、それだけでもじゅうぶんに魅力ある旅ができると思います。
より深い話を聞くと言う意味では現地スタッフにツアーを依頼するのもいいかもしれません。

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