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大和民族の人生観「悳(トク)」

「まだ徳が低いから役職を任せられない」
「あの人は徳が高くなった」等と言うように

日本人は徳という言葉を好んで使う。

だが、徳の意味を
よく考えて用いている人は、

案外少ないかもしれない。

「徳」とは、何か?

「徳が高くなる」とは、
一体どういうことか?

「徳(德)」の本義は、

【悳】字から自ずと覚る。
ㅤㅤ

そこに行動を意味する「彳」ぎょうにんべんがつき

【素直な心持ちで行うこと】を示す。

即ち徳とは、行動によって示す
「誠(真言=真事言は事なり)」であり

行動によって磨かれるのが徳だ。

「悳」によって「誠」立つ

行動が基本であるということは、

徳とは実行によって
答を出していこうとする

責任感を示していることになる。

つまり、徳が高くなったというのは、

与えられた職務をきちんと果たし
いろいろや経験を積むことによって、

責任感や信頼感が備わってきた
ということに他ならない。

そして、責任感や信頼感が増せば、

仲間が付いて来るようになるし、
同志も任される仕事も増える。

多くの仲間を受け入れる
器量や貫目が育ってきたのだ。

そこに、厳しさばかりでなく

寛容の心がバランスよく加われば、
より一層包容力が大きくなって

徳望は増すばかりとなるだろう。

「悳」の名残り

従って、徳とは、

優れた人間性や品格、
秀でた人間力のことであり、

高徳とは「知行合一」により
徳性が高まることなのである。

それは、大和民族が
本来持っていた精神であるところの

「お互い様」という支え合いの心
「どうぞお先に」という譲り合いの心
「勿体ない」という物を活かす心
「お陰様で」という感謝の心
「お天道様」という陰徳の心などに現れる。

”得”に囚われない
“尊徳”の心を取り戻し、

国民の徳性が向上することを願う。

我が国が高徳国家となれば、
幸福感が向上し、素直な愛国心が生じ、

「国民の絆」が強固に結ばれるはずだ。

闇から昼を取り戻した「昼神」

また、地方にも
徳性の涵養を求めたいと思う。

地方には、まだまだ独自の文化力、

歴史力、言語力、教育力、技術力、
あるいは豊かな自然や風土、環境、

篤い人間性などの場の力がある。

それらは「地方の徳」と呼べるものだ。

それを活かすことで、地方の自律を進め、

明治以来の東京一極集中から、
自然な脱却を図ろうではないか。

最上冠位は「大徳(紫)」

どんなに時代が変わっても
人として尊ぶべきあり方は易わらない。

不易こそ流行させよ❗️

#尊徳

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