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神の四心と五祟(旧事本紀)

遂に旧事本紀神事本紀録而まとめて
大いに吾が大道の元に立って、
再びねざす神代の靈誠かみつまことよみかえしたまう。

(神代皇代大成経序伝より)かんつみよ あめがしたのみよ おおいになるつねのりのついでぶみのときぶみ

聖徳太子の「編纂目的」

神の「四心」

神事かんつとめの本は神の心なり、

神心とは是れ何ぞや。

心のまさしさ、心のすなおさ
心のきよさ、心のかしこさなり。

当に知るべし。

其の心のかたよらざる者は
悪しき念い無くし而善を思う。

よきこととは能くおもいや
おもいやる者は常にかなって
親につかえ、子を育み、君につかえ、
めしつかえびといつくしみ、

其の心の直き者は驕らずへつらわず偽らず
からくりせず、信としてともと合せ、
道をきよくして世に合せるなり。

其の心の清き者は貪ず、恐れること無く、
咎も無く、常に安じ常を楽しまん。
人は之を敬い之にはずるなり。

其の心の智き者は物の理に明るく
事のことに迷わず、善悪を早く知り、
速やかに弁えるなり。

人は之を貴び
之におしえられるなり。

此の四の心は、
人として生れながらに
然者かくのごときひとまれなり。

思いねがいて常に習うとき
自ら得られんのみ

神の「五祟」

常に神につか
能く五祟ごすいさとりて
常に児に訓えて曰く;

吾は五祟いつつのたたり知り。

謂所、わざわいやまい
むさぼりきままはやじになり。

心少しく正しからざれば
すみやかに小災に至り、

心大いに正しからざれば
遂に大災に至らん。

心少し直からざれば
速かに軽病に至り、

心大いになおからざれば
遂いに重病に至る。

心少し清からざれば
速かに小貪に至り、

心大いに清からざれば
遂に貪に追至せめいたられん。

心少し知らざれば
速かに小放わがままに至り、

心大いに知らざれば
遂に大放はなはだしきほうとうものに至らん。

心に此四を失う則は、
わざわいの神、人に応えること
声と響の如し。

今回は原文ママ

天に神有り、地に神有り、
家に神有り、吾に神有り。


神は身に迫まって動くことを免がれず。

実に此の祟りを知て動かざる則は
福をあとうること亦しからん。

人多く神につかうると雖も
亦五祟を知らざるの故に
災を得て福をむなしくせん。

神は祟を先にし福を後にす。


人にして祟を怖れ事めざれば
其の弱き者は己をなくし、
其の強き者は子に亡びん。

是れ吾が神国ののが
避得ざるの天のみちの大法なり、と。

是れ、五祟にまなんで道を得、
国のみちに合せて身をやすら
其の法の元なり。

を以て皇祖の詔に背き玉わば
公のただしをもって、

向後たれか天皇に事えん、と。

(聖徳太子『地神本紀』くにつかみのもとつふみ

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