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#私が変だと思った瞬間〜みんな”変”だと思っている友人Mの話〜
①人はいつ、どんな環境で、どういう時に自分のことを”変”だと思うのか?
②そもそも、人は誰しも”変”があるのだろうか?
様々な人にインタビューをし記事にすることで、この2つの問いのこたえを見つけたい。
そんな変人学部メンバーの想いでうまれたこの連載も3回目。
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「自分だけが”変”だとは思わないんだよね、うちにとってはみんな”変”だから。」
私の周りには変人度合いが高いと思う人が多い。その中でもひときわ際立っていると思っていた友人Mは、さすがというか、らしいというか、私の想定していなかった発言をした。
そして、「昔の記憶が乏しくて...」と言いながらも教えてくれたエピソードの一部。
・横断歩道でみんなが背負ってるのを見て、「あ、ランドセル忘れた」と気付いた小学生の登校時
・小さなカピバラさんを窓際に並べながら受けた高校の授業
・”明るく楽しい人間”と書いた、将来なりたいものがテーマの卒業文集
「全体的に変なんだよね〜」と笑いながら話していた。
そんなMは、自分だけでなくみんなが”変”と思っているため、ある特定の人のみを”変”とは思わない。
それは、なぜその行動を取ったのか自分なりの仮説を立てるから。
高校生の時の隣の席の子が、毎日マイ巾着袋から飴やグミを取り出し、「いる?」と周りの人に配っていた。
その行動を見て、「あ、この子は糖分を欲しているから持ち歩いているんだろうな」と考えたという。
ただ、みんな”変”だけど明らかに”変”、つまり「この人は度合いが高いな」と思うことはあるようだ。
それは、自分なりの仮説が立たない時や仮説を立てる余裕がない時。
もちろん、中には何らかの理由で”変”を隠している人もいるだろうから、あくまで言動に現れている人を見た時の考えだと教えてくれた。
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Mとは知り合って5年目になるが、Mの他者を受け入れるような寛大な雰囲気は、背景に”変”に対するこのような考え方が影響しているからかもしれない、と今更ながら思った。
また、仮説の有無で度合いが変わるという発想が、個人的に興味深かった。
どうやら、”変”に対する考え方は私が思っていた以上に様々あるようだ。