僕は死ぬように生きていたくはない!そこで愛が待っ居るから!!
永遠に残る思い ロックインジャパンフェスで100s、中村一義の「キャノンボール」が演奏されていたとき、
私は会場の前の方ほうで、スコールのあと?快晴に広がるステージの彼の歌うを見ながら、ただ立ち尽くしていた。
突き抜けるような純粋の魂 身体にまとわりつく全てのものから解放されたようなポップなメロディー
そして “僕は死ぬように生きていたくはない” 胸に突き刺さる。
数年が経ち 今 そして歌詞を読んで 私は鳥肌が立ち 胸がいっぱいになっていた。
この曲は何か他のことを考えながら聴くことはできない。
この曲が流れている間は、100%向かい合っていなくてはいけないと思わせるような音楽である。
“僕は死ぬように生きていたくはない” “そこで愛が待つゆえに” という2つのフレーズが、
この曲ではこれでもかというくらいに何度も繰り返される。
中村一義にこの人にしかできない爆発なのだと思う。
しかし、繰り返し聴いているうち私の耳に強く残っていたのは、
フェスでは、はっきりと聴きとれなかった“そこで愛が待つゆえに”というフレーズであった。
このフレーズが叫ばれるとき、この歌は深く、そして重く響く。
“僕は死ぬように生きていたくはない”というフレーズだけだったら、 そんなふうには感じなかったと思う。
“愛”という言葉を、こんなにはっきりと、しかも乱暴に歌っているロックンロールを私は聴いたことがない。
世の中に流れている音楽に、愛という言葉はあふれかえっている。
しかし、この曲のこのフレーズで使われている“愛”という言葉は、 私にはその重さが全く違うもののように思えてくる。
その跡を残してやろうと思いきり言葉をぶつけているように感じた。
そのせいで私は、“愛”って何だろう、などと、まともに考えるのが恥ずかしいような、
そして怖いようなこの究極の問いについて考え込んでしまっていた。