かつて自分が感じた寂しさを
おはようございます。
もいです。
ひとり時間がほしくて朝早く起きるようにしたら、娘も早く起きるようになった。気配で気付くのだろうか。
できるだけ物音は立てないように、サイレントに起きて、抜け出して隣の部屋でPCに向かっているのだけどタイミングが悪いのか、娘の眠りが浅いのか私がいないことに気付いて起きてしまう。その後、タオルに包まれてまた寝るのだけど、ここでも「一緒に」が発動しているのか。
思い返してみれば、赤ちゃんの頃から「一緒に」いないと泣き出すことが多かった気がする。
寝ているときだけでなく、トイレに行くとき、洗面所に行くとき、冷蔵庫に行くときも「一緒に」がいいらしい。リビングにいるときはトイレと洗面所は別室だから「一緒に」もわかる気がしているが、冷蔵庫は同じ空間で姿が見えるのになぜなのか。彼女なりのルールがあるのか。単純に甘えたいだけなのか。
甘えたいといえば、最近、少し怒ってしまうことが増えている。そのバランスを取るために、甘えたい気持ちが増えているのかもしれない。それに気付いたら、とても申し訳なく感じてきた。
私が娘くらいの頃に感じていた寂しさを与えているのかもしれない。こうなると少し落ち込む、というか力不足を感じる。今日も怒ってしまう気がするけれど、できるだけ回避できるように過ごしてみたい。
では、ここらへんで。
今日が良い1日になりますように!
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