洗脳されたがりな日本人が多い?
おはようございます。
Robinです。
相変わらず物議を醸し出しそうなタイトルですが
今回は
洗脳したがりな人
洗脳されたがりな人
洗脳を解きたい人
について考えてみようと思います。
前回は個人情報にまつわる話だったので有料コンテンツにしましたが、基本的には書きたい内容を読んで頂くのにお金を払って頂く意志はあまりありません。
内容によって「これ、タダにするのは違うかも」と思うことはあるかもしれませんが、ほとんどないだろう、と思っています。
では、本題です。
この記事の中で考える「洗脳」は、
選択の自由や行動の自由、思考の自由を奪うようなマインドコントロールのことを指してます。
マインドコントロール、とだけ書くと
場面によってポジティブな使い方もあって
意味が広すぎるんですよね。
また、「良くないアイデアを信じこませる」とか
「嘘を教える」も、洗脳というニュアンスがありますが、
やはり、ポイントは思考と判断と行動の自由を妨げる、という点ではないかと。
危険思想とは!みたいな話ではありません。
どちらかというと、刷り込みによって操作されている思考と行動について、というニュアンスの話です。
少し前に流行ったマンガとかでよく出てくる話題ですが、「自分の信者にする」みたいな手法が描かれたりすることがあります。
①逃げ場のない絶望感に誘導する
②あなたのせいではないのに、なんて可哀想なんだ、と同情して味方になる
③代わりに問題を解決して安心させてあげる
④上記①〜③を繰り返すうちに、対象の人は「自分で考え、判断して、行動を起こす」ということが出来なくなる。
→自分の手に負える問題ではない、という刷り込み
→自分の責任で解決しなくていい、という刷り込み
→あの人に頼れば、手取り早く安心させてもらえる、という刷り込み
逆に言うと、
→自分で判断することに自信がなくなる
→自分に責任がある、と思わなくなる
→自分の判断で行動することが怖くなる
ということになります。
これはまた別の言い方をすると、
依存させる為のステップであり
依存していくまでのステップとも言えます。
↑の1番最初の①が問題。
もし、誰かが「意図的に」他人をそのように誘導してたら、ちょっと悪意があるような気がしますね。自分に依存させて、言うこと聞かせたり(お金を使わせたり)してやろう、って、思ってるかも知れないですね。
もし誰かが、誰にも何にも言われてないのに、「自発的に自分を絶望感に追い込んでいる」場合も、パターンとしてあり得ますね。この場合、だいたい「暇」「寂しい」「かまって欲しい」が根っこにあるケースが多く見られますが、やってることは「依存出来る相手を探す=洗脳してくれる人を求める=責任とってくれる人を探す」って感じ。
②について、
世の中には本当に「あなたに落ち度がある訳ではない」という場合があるし、不可抗力というのもあるし、確かにそれはそうなんですよ。
でも、間違いなく「どんな状況でも、(大人なら)自分を生き延びさせるのは自分自身の意志」なので、自分で考えて、自分で決めて、自分で行動する方が絶対にいいんですが、
それを同情的な顔して否定されちゃうと
ついつい甘えたくなりますよね。
(何やってもダメなんだよ、どうしようもないんだよ。っていう説得をする人、要注意ですよ。)
そして、そう言ってくれる人を探すために
ひたすら人前で絶望中アピールをしてる人もいますね。
③あぁースッキリ安心!幸せ!っていう快楽を植え付けられてしまうと=身体に味を覚えさせてしまうと、クセになるんでしょうね。
だから①〜③が繰り返される。需要も供給もバランスよくあるんですよ。依存されたい人と、依存したい人。
遊園地に行って絶叫マシーンとかお化け屋敷とかで遊んだ方が絶対に効率よく楽しくその快感を得られると思うんですが、そういう人たちに限って絶叫マシーン無理、とかお化け屋敷やホラー映画は無理、とかいうんですよ。
経験上。あくまでも経験上です。
(USJのハロウィンとか面白いのになぁ)
この、①〜③を繰り返すというプロセスですが
実に多くの場面で活用されてます。
ウェブや広告などでのいろんなプロモーションの為のキャッチコピーもそうだし
営業マンの営業トークとしてはかなり有効だし(お客さんを自分に依存させる)
社内で、もしくは所属するコミュニティで
自分のグループを作りたい時にも有効ですよね。
自分達のコントロールの及ばない事がらに対する「不安材料」「不満」を煽る
みんなで一緒に絶望する
愚痴り合うことでスッキリするという共依存になったり、共通のディスり相手がいるという事で、「仮想上の依存先」をつくる、なんていうことにもなりますね。
こうやって、誰かを思い通りにコントロールしたいタイプの人の他に
全部ひとり遊びで、とりあえず誰かに依存したいタイプがいて、
だから需要と供給のバランスがあると。
うちの会社が関わることのある先の業界でも
本当に多い。
ていうか、日本人に多い気がする。
「お客様は神様」とか、聞き飽きた表現がありますが、あれはもう嘘です。日本の場合。
多くの「おんぶに抱っこで面倒見てくれるところからでないと、商品買ってくれない」みたいなタイプの人は、「自分で考えて、自分で探して、自分で調べて、選んだものに責任を持つ」ということができない、メンヘラです。
「お客様はメンヘラです」っていう心の準備をして仕事に当たる方が、結果的に神様に接するとき以上にお客様に優しくなれるんじゃないでしょうか。
そして、「まともなお客様」と接した時の神々しさは、倍増ではないでしょうか。
そして、やっぱ個人的には
みんな自力で自由に考えて、
自己責任って素晴らしい、って思えるようになった方がいいんじゃないかとも思っております。
ここからは少し愚痴ですが
日本の企業の人は本当に「責任を取りたくない、押し付けようとする」人が多い。責任のないことまで責任とる必要はないですが、
それは普通に考えてあなたの責任の範疇でしょう
ということまで、他人のせいにする。
それを許してくれる相手とだけ仕事をしようとする。
そういう人が多い。
依存したがり=洗脳されたがりなんですかね。
うちの会社は外資で世界中にオフィスがあって、
年一回は一堂に会して集まるので
文化の違いを共有したりしますが、
「責任をとろうとしない」という人や文化について話したときに、西洋東洋問わず「それは一番危険な思想だと思う」という回答が、返ってきます。
自分の人生や会社の行く末を、他人に委ねるということだから、と。
確率や運、そして他人の都合に左右されるしかなくて
後悔したり文句を言ったところで後の祭りで。
そんな選択をしたのは「間違いなく本人の責任」。
そういうことが、日本には多い気がします。
洗脳したがりな人と
洗脳されたがりな人の
需要と供給で成り立ってる文化ですか?
いやいやいや。
歴史を勉強したら分かる。
絶対にそんなことはない。
とりあえず、甘えるのやめたら?っていう感じです。
最後に、長くなりましたが
「洗脳を解こうとする人」が少なからずメディア上でも、身近にもいると思います。
受け止め手次第では誰が何を言ってても「洗脳しようとしてる人」に見られてしまいますが
間違いなく、「洗脳を解こう」と思って発信されてる人がいます。
あれは嘘でこれが本当だ!っていう
上塗りタイプと
思考回路を書き換え直したら楽だよ!っていう
提案タイプがあるように見えます
後者の方が好みです。
大事なのは情報以上に、
それを扱う知力ですからね。
例えばホリエモンとか、キンコンの西野さんとか
ああいうタイプの方々の発言を
どのスタンスのものとして受け止めるかで
その人の性質がわかるかもしれませんね。
(最近でた本を妻が読んでたので、ホットな話題)
盲信的になる人は「洗脳されたがり」かもしれないし、
「間違った変な思想を植え付けようとしてる」と思う人は、「洗脳したがりだから競合として警戒してる」のかもしれないし。
すでに何かの、誰かの信者だから、
「他は全て排除」なのかも知れないし。
でも、普通に落ち着いて読めば。
人には人のストーリー、として読めば
やっぱり人間の為を思って、
余計な洗脳からは解放されようよ、
自由なんだということを思い出して、
ちょっと意識してみようよ、と言ってるように聞こえます。
内容について賛成か反対か
どこまでが有意義で合理的かどうかは置いといて、ね。
さて。
これを読んでくれた皆様は
どんなタイプなんでしょうか。
コメント頂けると、ワクワクします。
ではまた、次の記事でお会いしましょう。
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