あなたみたいな賢い人にはわからない

思い出というほど大げさなものではないのだけど、いくつか忘れられない言葉がある。誰かがふともらしたり、あるいはわたしに向けて言った、言葉。

そのうちのひとつ、おそらく2007年頃。世の中はケータイ小説ブームだった。『恋空』がベストセラーになり映画化、そのあと『赤い糸』がヒットし、それもまた映画化が決まったような頃だったと記憶している。
わたしは今よりも随分と横柄で、傲慢で、物言いがキツかっただろうと思う。話の流れや、自分がどういう表現をして彼女を傷つけたかは覚えていないが、言った内容は覚えている。

ケータイ小説なんて、中学生でもそこそこ文章が上手かったら書けるような語彙のものを、なぜメディアがホイホイ取り上げて、あの幼い恋愛観を純愛と賞賛するのかわからない。あの小説を楽しんで読む人というのはどういう人なんだろう。

そういうことを言った。今思うとぞっとするような気遣いのない言葉だなと思う。
ちなみに実際のところは書店の店頭で数ページ読んで、台詞に『、、、』という表記が出てきた途端、読み進められる気がしなくてやめた。内容はみんなが話していたので知っていた。
その程度の浅い知識でその言葉を発したわけだが、とりあえずその時は目の前に、いた。読んでいる人が。
ケータイ小説を楽しんで読んでいた彼女は、わたしの言い草にショックを受けただろうし、憤慨しただろうと思う。でも彼女は、感情と声のトーンを抑えて、でもね、と言った。

「私は好きで読んでるよ。泣いた。あかりちゃんみたいな賢い人にはわからないかもしれないけど、あのレベルの本がちょうどいい人だっているんだよ。共感することがたくさんあって、わかる〜って思いながら読むの。」

わたしは言い返さなかった。そう、とだけ呟いて、話を変えた。彼女もわたしの強い言葉に応戦するつもりなどなさそうだったし、何より、白けた。ヘー、フーン、アッソウ。そういう気持ちで、その話は終わりにした。

わたしの言葉と態度は、それはそれはひどいものだったろうと思う。今目の前にあの時の自分がいたら、首を締めながら「相手がどういうスタンスかわからないで何かを否定したり小馬鹿にしたりするのをマジでやめろ、人間性疑うわこのポンコツが」と罵っていると思う。
そこまでひどくはないもののここ最近でも、後に振り返って自分の言葉の選びかたにうんざりするようなこともあるのだが(その話を始めると懺悔で何千文字も書けそうなのでここでは割愛)、あの不躾さは自分の人生で一番底辺だったと思う。
が、だ。あのときの自分の気持ちを、全否定して反省することはできない。彼女が、わたしと喧嘩をしないギリギリのラインで選んだイヤミであろう"あかりちゃんみたいに賢い人"というのが、ずっと引っかかっているからだ。

わたしが賢いか賢くないかはどうでも良い。正直、ケータイ小説が"良い"か"良くない"かすらどうでも良い。
わたしは、自分が賢いからケータイ小説を読まないわけでも、賢いからもっと"高尚"なものを選んで、好んで読んでいるわけでもない。自分の世界を拡張するのが本であり小説であると信じているからこそ、わたしはその言葉に引っかかった。
その一冊に、共感を覚えたのであるならわかる。でも、あのレベルの本、って、何だ。自分に見合う、自分の思考と、言語力と、自分の世界と"同レベル"である本を読んで、堂々巡りをすることが丁度良いとは何だ。自分が好んで読んでいる本を"あのレベル"と呼ぶ、それがあなたの読書なのか。

や、今ならわかるんです、それが読書の人もいます。あなた(わたし)みたいな読みかたや本の選びかたをする人もいれば、そうでない共感・理解重視の人もいるってだけですよ。おのおの、それぞれ、どっちが良いとか悪いとかない、以上!
だから、今何を主張したいという話ではない。これは、今改めて相手(あるいは自分)の考えを否定するとか、自分の読書の仕方が正しいとかそういうことを言いたいのではない。

しかし、おそらく共感というのはここ最近のある種のキーワードなのだろうな、というのは、SNSで並ぶ、ブログや記事のタイトルを見ていると感じる。そして、共感できるということは、知らない言葉で書かれていないということ。相手にとって平易な文章で書いてあるということが、書き手に必要とされることが多いということなのだと思う。

実家の父は、わたしと話していて、わたしが彼の表現に詰まり「○○ってなに?」と聞き返すと、急に般若のような顔になり「辞書を引け!」と怒鳴る人だった。そこで話が途切れてしまうので、その場で一旦説明してくれたらあとで辞書を引くのにと思っていたが、彼は何回でもわたしに辞書を引かせた。
あとで引くのにと言ってお前があとで引くわけがないと言われ、腹は立ったが実際そうだろうと思う。自分の話上でそれをやられるともうその先を話す気をなくすし、父の機嫌も悪くなり場の居心地も悪くなるし、いちいち怒られていてシンプルに父のことが嫌いになったので(今は仲は普通です)、それが100%良いことだったかと言われると微妙なところだけれど、知らない言葉が出てきたら調べる癖がついたことだけは良いことだったと思う。

というただの思い出ともつかないエピソードがもうひとつ、ということなのだが、それにしても今は知らない言葉は敬遠されるということなのか。目の前に調べられる機械があるのに、調べなきゃわからない言葉は見つけてももらえないなんて、不思議な話だな。

オッケーグーグル、辞書引いて。賢い、とは?

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