各種東洋思想を、”道”のメタファーで表現(妄想)してみた
夏になっても、新型コロナの影響は収まらず、マスクなしでは外出ができない日が続きますね。でも、マスクしていくには外が暑すぎて、結局引きこもり気味の毎日です。
こんな状況だからか、”哲学”や”思想”といった本や動画をよく見ています。
とても勉強になるものと、暗記問題みたいなこと言われても・・・みたいなものと、玉石混淆ですが。
そんな中で、とても面白かった動画がこちらです。
安冨歩 「道」とは何か? :『論語』と『老子』の世界観
安冨歩さんは、東京大学東洋文化研究所教授という役職で、「超訳 論語」「Tao 老子の教え」などの東洋思想の研究で著名な方というイメージでした。
ただ、Wikipediaを見る限りは、経済学者だったり、れいわ新選組だったりと、多数の分野で活躍されていらっしゃる方なんですね。
この動画の中で、「道」というメタファーを用いて、西洋思想(キリスト教)と東洋思想(孔子、老子)の対比を見事に表現されてました。
要約すると
キリスト教では、道は「分岐」になっていて、どちらを選んだかが重要。それによって、最後の審判で天国行きか地獄行きかが判断される。
一方で、孔子(儒家)は「道」というものが1つしかなく、そこから外れてしまっている人を、”仁”や”礼”をもって導いてあげないといけない。
老子(道家)では、「道可道、非常道」と書かれていて、解釈によるけど「道だと説明できるものはない」ということ。
こんな風に理解しました。
そうなると、中国古典好きの私としては他の思想は、「道」というメタファーの中で、どの様に表現できるのか、妄想してみて
例えば、孔子の”儒家”の後継者の1人である孟子は、”性善説”という点から次のような感じでしょうか。
人は、生まれたときは、正しい”一本の道”の上にいる。しかし、勉強しないでサボっていると”道”から外れてしまう。なので、勉強しよう。
一方で、同じ儒家の後継者を名乗るも、孟子に対しては猛反発している荀子は、”性悪説”からこんな感じ。
人は、生まれたときは、正しい”道”から外れた場所にいる。だからしっかりと勉強して、正しい”一本の道”の道にたどり着かないといけない。なので、勉強しよう。
※荀子って、孟子を名指しで徹底的に反発している割には、出している結論が同じな気がするんですよね。。。
年代がズレていて、直接は話していない2人ですが、直接話してみたら、「あれ。結局、その結論になるよね?なら、良くない?」ってなりそう。
それに対して、法家(管仲、商鞅、韓非など)は、管子の”牧民”とかのイメージから次のような感じ。
人は、正しい”道”から外れて、それぞれ自由気ままに生きてしまっている。
正しい”道”に導くために、しっかりと身分・法律を作って、大衆を管理していかなければいけない。
いや〜。まあ、権力者に好かれる思想ですよね。
次いで、墨家(墨子)は、”兼愛交利”なので、次のようなイメージです。
すべての人々と一緒に、この「道」を歩もう。
差別したり、いじめたりしたらダメだよ。
個人的に、墨家が焚書坑儒されずに生き残ってたら、東洋のキリスト教みたいになっているんじゃないか(博愛精神の面で)とか思ったりします。
逆に、西洋思想でもキリスト教に押されちゃって、歴史上の一哲学者になってしまいましたが、セネカとかは、西洋の孔子だったんじゃないかとかもありますよね。
そんな妄想も楽しいです。
最後に、老子と同じ道家ですが、より政治的なものが薄い(無い)と言われる荘子は、こんなイメージです。
「道」とか、そんなこと気にしてどうなるの?
はい。お後がよろしいようで。。。