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平戸観光
長崎の平戸市に行ってきました。今回は2回目になります。前回と同じホテルに泊まりました。
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以前訪れた時は平戸城と田平教会を見学したので、それ以外の場所をいろいろ散策してみました。
まずは平戸ザビエル記念教会を目指します。
その前に寺院と教会の見える風景 を見に行きます。前日は快晴だったのですが、翌日は曇りでした。
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石段を上ると、寺院と教会が見える坂がありました。
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右に寺院、中央奥にザビエル教会が見えます。平戸ならではの景色です。
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坂の上にある階段も上っていきました。
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先ほど一番上の部分だけ見えていた平戸ザビエル記念教会 に到着しました。
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フランシスコ・ザビエル は1549年鹿児島に上陸し、日本に初めてキリスト教を伝えました。1550年ポルトガル船が平戸に来航すると、ザビエルは平戸に来島、藩主松浦隆信の歓迎を受け、平戸で布教を行いました。その後、山口、京都などに伝道しながら、その間二度も平戸を訪れたので、よほど平戸を愛していたのだろうと書かれていました。
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1931年(昭和6年)に建設された教会で、正面中央に大塔、左にのみ小塔を配したアシンメトリーな外観がおしゃれです。モスグリーンの色合いも素敵でした。
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殉教者慰霊碑もありました。禁教の時代にはキリスト教の信者は弾圧され、潜伏キリシタンとして信仰を続けていくことになります。
明治政府が信仰の自由を認めると潜伏キリシタンたちはカトリックに復帰し、堂々と祈りをささげられる教会を建て始めます。しかし、あえて復活をせずに、禁教時代の信仰スタイルをそのまま継続している人々を「かくれキリシタン」とよんでいます。
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祈りの場ルルド もありました。ザビエル生誕500周年を記念して造られました。
次は松浦史料博物館 に向かいました。
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足湯はよく見ますが、手湯も設置されていました。
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階段を上っていきます。
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全部で78段あったことが後で分かりました。
平戸藩主・松浦家の旧邸宅を利用した博物館です。1613年完成したばかりの居城を松浦鎮信が自ら焼き払い、その後約100年間この御館を本拠地としたそうです。徳川家康に恭順の意を表すためだったのかもしれません。
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鎧兜や陣羽織など展示されていました。
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松浦史料博物館の記念スタンプにも使用されていました。
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松浦棟(まつら・たかし)肖像
松浦家30代藩主で父とともに5代将軍徳川綱吉に重用され、幕府の寺社奉行に就任しました。外様大名の寺社奉行就任は異例だったそうで、焼失してそのままになっていた平戸城の再築城を特別に許可されたそうです。平戸城が現在も見られるのは、再築城が許されたからだと分かりました。
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光が反射して見づらいですが、右と左に狂獅子図屏風が飾られていました。幕府御用絵師であった狩野探幽の筆として、松浦家に伝わったそうです。乗り物(かご)も豪華でした。
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源氏物語絵図屏風もありました。
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狩野探幽の昇り龍(右)降り龍(左)です。
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東アジアの英雄と評された「鄭成功」は、中国人の父と日本人の母をもち、平戸で生まれ、わずか7歳で単身海を渡り、後に中国明王朝を再興するために戦いました。2024年が生誕400周年にあたり、記念事業がいろいろ実施されるようです。
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明治天皇から頂いた扇子も展示されていました。
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明治天皇と松浦家の相関図を見ると、明治天皇の母が平戸藩主松浦静山の孫になることが分かります。以前平戸城に行った時も、明治天皇ゆかりのものが展示され、松浦家との関係が分かり驚いた記憶があります。
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明治天皇が最初の新嘗祭(にいなめさい)となる一世一度の大祭(大嘗祭・だいじょうさい)で用いたものと書かれていました。
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水戸藩主徳川斉昭が描かせた三勇像で、松浦静山は右だと分かります。
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蒙古襲来も展示されていました。松浦静山が模写させ入手した松浦家本と書かれていました。
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御所人形(十二支人形)。孝明天皇から与えられた品だそうです。
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史上初公開の達磨像。七転び八起きのダルマのモデルとなったのが、禅宗の開祖と言われる達磨大師で、9年間も座禅をしたという逸話が有名です。この松浦史料博物館の石段が78段あるのは、七転び八起きに通じ、縁起の良い石段と言われているそうです。
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なんと小牧長久手の戦い の図屏風までありました。こちらも松浦静山が旧知の犬山城主から一枚ずつはがして模写させてもらったということです。
展示物がどれも素晴らしくて、時間が全然足りませんでした。
もう一度平戸に来て、ゆっくりじっくり観たいです。
次は平戸オランダ商館 に向かいます。
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海沿いの小道を進みます。
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対岸には平戸城 が見えます。平戸城には数年前に訪れたので、今回はここから見るだけにしました。なんと平戸城には日本初の城泊(キャッスルステイ)がオープンしました。2階建ての懐柔櫓(かいじゅうやぐら)には宿泊することができて、お殿様気分が味わえるようです。
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とんびが電信柱の上で盛んに鳴いていました。「ヒューヒュルヒュルピー」と真上で自分の縄張りを主張しているように鳴いていました。こんなに近くで鳴き声をはっきり聞いたのは初めてです。
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平戸オランダ商館が見えてきました。中を見学します。平成23年に復元されたオランダ商館の倉庫です。対岸のホテルに泊まった時、白くて大きくて洋風の外観が目立っていました。
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アズレージョというのは、主に青い絵や文様が描かれた装飾タイルを指すそうです。その下には、外国人の図が展示されていました。イギリス人、オランダ人、ポルトガル人、スペイン人にアジア諸国の成人や子供まで描かれているそうです。
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南蛮漆器は桃山時代に欧州で大変人気があり、輸出工芸品の代表的なものだったそうです。
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大砲も展示されていました。
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スパイスやシルバートレイ、エイ皮などもありました。
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ジャガタラ文 (こしょろ)も展示されていました。幕府のキリシタン禁制が厳しくなった1639年、外国人と関係のある婦女子は日本からジャガタラ(現在のジャカルタ)に追放されました。外国人と結婚した女性やその子供達が故郷を思い、送った手紙がジャガタラ文です。「こしょろ」という人物のものだそうです。
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2階では「殿さまの逸品」企画展が開催中でした。カニの柄の羽織は珍しいと思いました。
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刀の鞘(さや)のヒョウ柄にも驚きました。現在見てもお洒落です。
今回の企画展では、松浦家のコレクションから「センス」と「西洋嗜好」にスポットをあて、資料を選定したそうです。歴代の平戸藩主の個性豊かな人柄が想像でき、楽しめました。
オランダ商館を出て海岸に近づくと、オランダ埠頭 の石造りの階段が見えました。
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ここが人や荷物が乗り降りしていた場所だったのだと、はるか400年以上前の時代に想いをはせました。
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最後にお土産を買って帰りました。松浦史料博物館に続く道にお店がありました。平戸名物のカスドース はマストです。九州最古の平戸の老舗菓子店で昔ながらの製法で作られているポルトガル伝来の名菓です。その他カステラや焼きあご、かんころ餅に丸ボーロも買いました。ごぼう餅も買いたかったけど、この時はありませんでした。
400年以上前、外国人がたくさん往来したはずの道を行ったり来たりしながら、その当時最先端だった国際交流都市の姿を思い浮かべました。16世紀中ごろから明の商人が私貿易の根拠地とし、1550年にはポルトガル船が初めて平戸に入港してから、1641年に平戸オランダ商館が閉鎖され長崎出島に移転するまで、約100年国際都市として繁栄しました。長崎の出島ではオランダ人は自由に島の外に出られませんでしたが、平戸では出島ほどは厳しくなかったようです。
平戸の街並みには当時の面影がいたるところに残っていて、ゆっくり散策してみたいとも思いました。
かくれキリシタン信仰の歴史を知ることができる、生月(いきつき)島にある博物館「島の館」にも行ってみたいです。生月島は、関取以上で最も巨大な力士が生まれた島です。なんと身長227cm、体重169kgもあったそうです。
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生月鯨太左衛門 (いきつき・げいたざえもん1827年~1850年)は実在した看板力士でした。平戸藩生月島は江戸時代中期より捕鯨で有名で、四股名(しこな)はその生地と体格にちなんでつけられたそうです。鯨を食べて大きくなったのでしょうか?
生月神戸屋の丸ボーロも美味しかったので、また買いたいです。生月島に行くのが楽しみになりました。
長いブログ、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。