岐阜城① ~壮大な眺望を望める城~
日本100名城である岐阜城に登城した。以前に登城したときはロープウェイを利用したが、今回は意を決して麓から歩いて天守を目指した。12月に訪問したが、この日は天気が良く、汗をたくさんかきながらの登城となった。
~パンフレットより~
岐阜城は、かつて稲葉山城と称していました。金華山頂にはじめて砦を築いたのは、鎌倉幕府の執事二階堂山城守行政と伝えられています。戦国時代には、斎藤道山の居城でもあったところです。特に岐阜城の名を天下を示したのは、永禄10年(1567年)(一説には永禄7年)8月、不世出の英傑織田信長がこの城を攻略し、この地方一帯を平定するとともに、地名に「井の口」を「岐阜」と改称し、天下統一の本拠地としてからでした。しかし、慶長5年(1600年)8月、関ヶ原合戦の前哨戦の際信長の孫秀信が西軍に味方したため、東軍に攻め入られ、激戦の末落城しました。翌慶長6年、岐阜城は廃城となり天守閣、櫓等は加納城に移されました。
○めい想の小経(水手道)ルート
天守まで徒歩で目指す場合には複数のルートがあるようだが「めい想の小径」ルートを選択した。資料によると2.3kmで約60分の登山コースらしい。
○怖い看板
歩いていると案内板があった。読んでみるとストレートな注意文が...どうやら馬の背登山道への注意のようだ。ちょっと興味がわいたが、今回はおとなしく挑戦しなかった。
○伊奈波神社旧蹟
○親切な案内
思った以上にきつい登山&人がいない不安から心折れそうになっていたときに見つけた案内。山頂までの残りが見えると頑張れる気が湧いてくる。
○ビューポイント
景色がひらけたビューポイントが出現。疲れも蓄積してきていたので、気分の切り替えになった。遠くの山々は雪が積もっている。
○裏門周辺の石垣
近年、岐阜城裏門周辺の石垣に関する調査があり、その結果新たな石垣が発見されたらしい。様々な調査により、当時の姿が浮かび上がることはうれしい気持ちになる。
このあと少し歩いたら、無事に山頂へ到着した。
次回は天守閣からのながめなどを紹介していきます。
【訪問時期】2019年12月
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?