利害の愛と人の嘘と
ある日の金曜日。夜。事件。
現場は私が働く街の駅前でした。
練り歩く外国人観光客。
数多の目的と理由を抱えた日本人が行き交う
雑踏の中で怒りが芽生え、爆発寸前であった。
仕事終わりに駅前の喫煙所でタバコを吸うのが私の日課だ。一本吸い終えて蒸し暑い風が人々の群れを掻き分け吹いた刹那、甲高い怒号が耳を貫いた。
"何で金持ってねぇんだよ!!"
ん?なんだ?別にこの街で聞く怒号としては
全く頓珍漢な内容ではないが、何の気無しに
視線を怒号の方向に向ける。
そこには年齢には似つかわしくないブランドに身を包んだ一万歩譲っても地味とは言えない
20代前半かそれ以下の女性と相対する形で肩を落とし、謝罪の姿勢をとる毛髪薄めで背広を着た彼女の父親ほどの年齢であろう男性。
今日は金曜の夜だ。まぁ、そうゆう健全ではない父娘の関係性を築いた2人が歩いているのも不思議ではない。しかし何だか不穏だ。
よく見ると男性は全力疾走した後の様に肩で息をしている。恐らく私欲のために果たすべく指名を果たした彼女は、約束の金を持っていない男性に怒っているのだろう。
再び甲高い怒号が轟く。
"もう、いらない!!!"
何でもない捨て台詞。ただ時代性を感じた。
これが何でもないカップルの痴話喧嘩であれば
"もう、知らない!!!"
これだ。利害関係なのだ。愛はなく金の為の
セックスが生んだ捨て台詞。あくまでも手段であり所有物である。お互いが望み合意の関係に亀裂が生まれ、橋の袂を絶たれる瞬間。
それが令和。
2024年である。
愛の形は自由だ。
しかし愛がないのはリスクだ。
なに、かっこつけてんだ万年肥満児文豪気取り
はい。すいません。
じゃあ、本題です。
見たのはそこそこ前ですがあまりに衝撃的で
幾度も見直した作品です。
死別
ストーリーの冒頭では主人公がただひたすらに田舎道を車で走らせるシーンからはじまります。主人公は同性愛者であり死別した彼氏の葬儀に参列する為、同性愛者である事を隠して彼の故郷に訪れます。
大きな秘密を抱えたまま進むストーリーは終始不穏な空気に包まれるだけでなく非常にリアルで、自分の真意と弱さを隠しながら展開します。
あまりにリアルな心理描写にはかなり胸を締め付けられます。主人公のナイーブな部分は自分に通ずる要素があるものの、同情や共感を誘う物ではなく、辛く悲しい要素として観る側の心を串刺しにします。
逃避
ここからはある程度のネタバレがありますのでご留意下さい。
主人公は葬儀に出た後、彼の兄に幾つかの理由で暴力を振るわれます。葬儀後、主人公は彼の実家に招かれる事になっていましたが、かなり痛ぶられた主人公には彼の実家に帰る道理はなく、一人帰路に着く事にしますが彼は帰れませんでした。一度実家から逆方向に車を発進させる主人公ですが途中で引き返して、実家の方向にアクセルを踏みます。
逃げる事にも勇気がいるのです。
僕にはわかります。逃げる時、一歩踏み出した
瞬間に、逃げた後のビジョンが目蓋の裏に映るのです。見えてしまったビジョンを拭うのは難しく、泣く泣く逃げる事をあきらめます。
簡単にできる人もいるでしょう。
でも、そうでない人種もいるのです。
そんな尖ったリアルが僕の心を抉りました。
性別
監督・主演"グザヴィエ・ドラン"
10代でゲイであることを公にし、彼の監督作品には強くセクシャリティに食い込む要素が感じられます。以前よりも世間では寛容になったLGBTQにも問題は多く残り訴えかけて声を上げなければいけない事象もあるでしょう。
しかし、今回紹介している作品に於いては本質は"セクシャリティ"ではなく、
"人間の根源的な弱さ"にあると考えます。
理解できない異物を排斥し、受け入れるべき事実を拒む姿勢と、拭いきれない過去に囚われ続けるキャラクター達は苦悩します。
善と悪で線引きできないリアルが表現され、
ありありと見せつけられる儚く脆い人間性に
は"セクシャリティ"の一言では片付けきれないテーマを観る側に流し込んできます。
正直、文章で伝えられる事にかなり限界がある作品ですので気になった方には、是非ご鑑賞頂ければと思います。
以上。私の主観でした。
エアコンと酷暑の気温差で最近やられがち
です。皆様ご自愛ください。
では。また。
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