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①【胃腸障害になった話】急性胃腸炎

私が太い→痩せて、食べることに苦しみを抱くきっかけになった胃腸障害。その原因だと思われる急性胃腸炎になったとこから回復するに至るまでの道のりをだらだらと書いてみる。かなり長くなるので今回は急性胃腸炎の話をば。

28歳の年末、友人と行った中華料理店で昼飯にエビチリとチャーハンを美味しくいただいた。12月30日だったと記憶している。

帰宅して夕飯の時間になっても腹は減らず、なんか胃もたれするなぁ、食べすぎたかな?と思ってた。それでも夕飯の焼き鮭を半分ぐらい食べたんだけど、その後も胃がムカムカ。胃薬を飲んで、しんどいから早めに寝るかと22時ぐらいに寝る準備をし母と自室に戻ろうとした時、突然猛烈な腹痛に襲われトイレに駆け込んだ。

私「なんか…すごい下した…気持ち悪い…お腹めっちゃ痛い…」
母『大丈夫?寝れる?』
私「(しばし無言)もう一回トイレ」

めっちゃ下す。そしてトイレから出た瞬間急激な吐き気に襲われ洗面所で嘔吐。

そこから下痢→嘔吐→ちょっと落ち着く(15分)→下痢→嘔吐→15分のループが始まった。

母は心配しつつも次の日は大晦日。台所の大掃除&正月の準備があるし隣にいたところで何もできないので「お母さん寝るけど脱水症状にならないようにお茶置いておくからね、落ち着いたら少しでも飲むんだよ、何かあったら言うんだよ」と言い寝室へ。私はそのまま朝までひたすら下痢嘔吐ループし続けた。胃の中空っぽになって胃液だけになっても嘔吐は止まらず下から出るのは水だけになり、神様仏様なんでもいいから助けておくんなましと祈る余裕すらなくなった。用意してくれたお茶は夜中に一口飲んだら余計酷いことになった。

朝になり両親が起きてきた頃には下痢嘔吐が30分間隔ぐらいになってたけど、体に力は入らない、まともに話すこともできない、頭働かない。リビングに戻る力もなくトイレ前の廊下に横たわっていた。母に唯一言えたのは「病院行きたい」だった。

普通だとここですぐに「そうだね、病院行こう!」ってなると思うんだけど、母は大掃除&正月の準備で頭がいっぱい、そして年末年始は病院休みだから行けないと思い込んでいて『病院ったってどこに行くのさ。年明けまで我慢するしかないしょ』、さらに娘の状況を見てノロを疑い『トイレと洗面所、毎回除菌して!台所には絶対こないでね!』と言い、父にはもう一つのトイレを使うよう指示。ちなみに父は「たまきどうしたんだ」と母に聞いたものの「そうか」で終わり大丈夫かの声かけもなくテレビ観てた(そういう人)

こんな…こんなヘロヘロなのに…吐きすぎて喉も痛いし動くこともできないのに病院行けないの…?このままこうしてろって年明けには死んでるんじゃないの?救急車呼んだらなんとかなるんじゃ…ていうか誰も手を貸してくれない心配されないこの寂しさたるや、と回らない頭で現状を嘆いた。

救急外来とか絶対あるはずと思い母に探してと頼むも、母の頭は大掃除&(以下略)で『忙しいからそんな時間ない』と言われ、泣く泣く残りの力を振り絞り自分で検索。あるやん、普通にあるやん。

でも救急車呼んでいいのかわからない。それを判断することもできないぐらい頭ぼーっとしながらもさらに調べたら7119に相談するといいと知り、息も絶え絶えに電話してみた。

私「すみません、いまこういう状況で(説明)病院行きたいんですけど」
相手『わかりました。では◯◯受付まで来てください(この後受診料の説明を軽くされた気がする)』
私「はい…あと救急車呼んでいいかわからなくて、呼んでもいいですか」
相手『それはこちらでは判断できませんのでぇ、なんとも言えないですねぇ』
私「…わかりました」

困った時の7119なのになんで判断できないんだと怒りを覚えつつも、母に行ける病院あるから父の車で連れて行って欲しいと伝えた。ちなみにこの時私は7119に電話したと思っていたんだけど、後で「このやりとりおかしい」と記憶を必死に手繰り寄せてみたら多分間違えて救急外来の受付にかけてる。

忙しい忙しいと言っていた母も、トイレ(除菌)→嘔吐(除菌)→廊下に横たわるを繰り返し立ち上がれなくなってる娘を見てやっとヤバいと思ったのか気が変わったのか、父に状況説明してくれ車を出してもらい、母付き添いで病院に行くことになった。

病院に着くと父は帰る時間になったらまた連絡しろと言い帰宅、私と母は救急外来へ。

かなり待たされた。他にも患者結構いた記憶がある。待ってる時にインフルエンザか何かわからないけど高熱で意識朦朧とした高校生ぐらいの男性がふらふらと歩いてきて私の真横でバッターン!と倒れて看護師や家族が慌てていた記憶もある。

やっと呼ばれて状況を説明し、発熱してるか聞かれたのでないと答えたら「急性胃腸炎ですね」との診断だった。母が『ノロではない?』と聞いたら「感染性だと思うけどノロだったら今頃ご両親も同じ症状が出てるのでノロではないですね」とのことだった。数日で症状は治るからそれまでは消化のいい食べ物を取るようにとのこと。この時私はなぜかリンゴジュース飲みたくてたまらず、「リンゴジュースは飲んでもいいですか」と聞いた。普段飲まないのに。いいと言ってもらえたので、診察後すぐに売店でリンゴジュース買った。そして整腸剤を処方してもらい点滴を打って父に迎えにきてもらい帰宅。

帰宅した頃には吐き気は治ったんだけど、今度は全身筋肉痛のような痛さと頭痛が始まり、夜には39度まで熱が上がった。

両親が寿司を食べながら紅白を観て大晦日を満喫する中、私はコタツの中でしんでた。母が『一個ぐらい寿司食べる?』と聞いてくれたけど食べれる状態じゃないし食べたくない。時々思い出したようにトイレ行って下痢しながらコタツで震えてると、当時飼ってた愛犬チワ夫(仮)がめっちゃ顔やら手やらを舐めてくる。いつもは「舐めすぎ〜」と言いながらキャッキャ戯れるけど、この日ばかりは舐められる度に皮膚がビリビリし「鬱陶しいわ!嬉しいけどやめて!!ごめん!!チワ夫は悪くないけど鬱陶しい!痛い!」とシッシをし、「もう寝る」と自室に戻って寝た。

こうしてロクでもない年越しをし、おせち料理の代わりに毎日お粥をたべ、1月4日頃から下痢も治り少しずつ食欲が戻り始めた。熱は2日ぐらいで引いた。

これ以降私は中華料理店の中華料理ってだけで気分が悪くなるようになり食べれなくなった。絶対原因この料理だもの。友人は胃腸炎にはならなかったけど胃もたれが酷くて夕飯はパスしたらしい。

あと後日、母に大晦日の態度傷ついたわ、あれは酷いわと話したらめっちゃ謝られた。母はおせち作らないと正月に食べるものがないと必死だったらしい。わかるよ、わかるけども廊下で横たわる娘より優先すべきことかね?!最悪コンビニがあるだろう?!そしてよく高熱と下痢にあえぐ娘に寿司薦めれたよね?!どんな神経よと叱った。

高校生のとある夏、帰宅したら母がエアコンつけずにダイニングとリビングの間で横たわってるのを発見し、(なぜこんなとこで…まさか、し…死んでる…?!)とビクつきながら息してるか確認して息してたので「お母さん…?」と声をかけたらムクリと起き上がって『え…なに…おかえり』「なにしてたの」『ここ風の通り道で涼しいからちょっと寝てた(えへっ)』「死んだかと思ったわ!脅かすんじゃねぇ!ややこしいことすんな!エアコンつけろ!」っていうやりとりをした時ぐらいの怒りを感じたね。

この急性胃腸炎の後数ヶ月後にまた胃腸で苦しむことになるわけだけど、その話は次回。

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