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一浪して大学受験に臨んだ思い出

受験の時期ですねぇ。
懐かしいなぁ、京都大学の広い教室で寒さに震えながら受けた初めてのセンター試験(今は共通テストというのか)。帰りにトイレ行ったら迷子になって、外に出ようとしたらドアが開かず「開かない…」とガチャガチャしてたら恐らく院生であろうお兄さんが開けてくれたっけ。

初めてのセンターってことは二度目もあるわけですね。ええ、一浪しました。

今日は勉強嫌いな私が一浪の末志望校に合格するまでの思い出を徒然と書いていく。目次という機能も使ってみる。

大学進学をきめた理由

私が受験したのは20年ぐらい前。懐かしいなぁ本当に。勉強大嫌いだったんだけど就職でなく進学を選んだのは小学校の頃から大学に行くと決めてたから。なんでここまで志望校に固執したんだっけ?ってずっと思い出せなかったんだけど、こないだ風呂の中で思い出した。

私が通ってた幼稚園が私立で、姉妹校である高校のお兄さん、お姉さんが毎年東京からはるばる交流で来てくれてたんだよね。で、仲良くなったお姉さんと中学入学するまでぐらいだったかな、ずっと文通してて。お姉さんはそのままエスカレーターで大学に進んで、大学生活の楽しさを伝えてくれると共に『たまきちゃんもこの大学においで』って手紙に書いてくれて、「よし行こう」って決めた。めちゃ単純脳。

高3の時、大学に行きたいと両親に言ったら父から『短大に行け』と反対されたんだけど、高校受験の時に行きたくもないし行けるレベルでもない難関私立高を無理矢理受けさせられ落ちたのを根に持っている私は「行きたい学部ないし行く理由もない」と反抗し、大学受験するに至った。

そんなわけで志望校以外に行く気は無かったので一校しか受けなかった。

現役で受験失敗し浪人の道へ

高校生の私はバカまっしぐらだった。親が教育熱心&長女の私に全期待をかけていたので小学校時代は学研の教科書で朝起きたら勉強、家帰ったら勉強、中学は塾に通い、寝るまで勉強休みも勉強。おかげで成績は良かったけど根が勉強嫌いだから苦痛で仕方なかった。

高校進学して塾から解放された時に「もう勉強したくない!」と授業中は寝てるかドラゴンボール読んでるか。家帰ったら火サスのドラマ再放送観てた。親は何も言わなかったなぁ。なんでだろ?まぁいいや。
授業聞いてないおかげで入学時は上位だった成績が3年になる頃には下から数えた方が早くなった。

受験ムード漂う3年の夏、いよいよ私も勉強せねばならんと教科書を開いてみたものの、なんということでしょう。何がわからないのかわからない。どこから手をつけたらいいのかわからない。なんとか勉強しようとするが何したらいいかわからないので意欲が湧かない。

そんな奴が試験当日に突然超覚醒して一発合格できるわけがなく、推薦もセンターも一般も見事に落ちた。文系の学部選んだので試験科目は国語と英語と日本史。国語は得意だったのでなんとかなるかなと思ったけど、国語だけで受かるわけがねぇ。ここでやっとヤバいと気づいた。

私の志望校は一つ。これが難関高だったら諦めてたかもだけど、普通に勉強すれば行けるレベル。なので親に頼んで一浪させてもらった。本気で勉強しますからぁぁ!とお願いし、『予備校に通わせる余裕は無いから自分で勉強するなら。でも二度目はない』と許しを得て、宅浪することになった。

合格できる勉強方法を考える

今度こそ絶対に合格しなければならない。でも何がわからないかわからないところからたった一人で試験科目を全て80%以上解けるようにするのは不可能に近い。何しろ私はなるたけ苦手からは逃げたいし、今のようにSiriやYahoo知恵袋もないのでわからないところがあっても誰にも質問できない。

合格するためにどうすればいいか考える。

私にできること。

私にできることはなんだと考え

暗記なら…暗記ならできる!!

ただ覚えるだけは得意!

というわけで下記のようになった。

【国語】
運のいいことに現代文だけは得意だった。中学時代、塾でテストの点数低いと講師との面談があったんだけど、当時私は国語の点数低かった。読書好きだけどテストは点取れない。

でも3年の時に転機が訪れ、担当講師が新しくなって面談の時に『現代文は解き方さえ覚えておけば誰でも点数取れる』と解き方を教えてもらった。この問いが出たら文章のここら辺に答えがある、こういう問いが出たらこの文言を探せ、とかそんな感じ。そのおかげで一気に成績上位になり、国語は苦労しなくなった。

なので、国語はまず捨てた。正確には古文と漢文を捨てた。どちらか選んで回答するんだけど、配点が10点しかない。覚えなきゃいけないこと多すぎるのにコスパ悪すぎる。だから現代文と漢字の読み書きに賭けることにして、漢字の復習だけした。

【英語】
めっちゃ苦手な英語。中学で5W1Hでつまずいてから全くわからない英語。文法なんて全くわからない。そこからやってたら終わらない。悩み抜いた末、「単語さえ覚えれば長文ある程度理解できるのでは?」と閃いた。そこで英単語の『ターゲット1900』を丸暗記することにした。一日20単語ずつ覚えて、次の日は前日の復習+20単語、次の日は前日までの40単語+20単語というやり方をして、完全に覚えた単語は復習から除外していく。

でも夏を前に「熟語どうしよう…」と頭を抱えた。どんなに単語を覚えても、熟語になった瞬間意味が全然変わってくるじゃん!熟語対策しないと長文読解できない!

そこで母に頼み込み、夏休みに予備校でやる短期講座を受けさせてもらうことにした。熟語の講座3日間。そこで熟語のテキストをゲットし、それを暗記することで対処した。

【日本史】
全てを日本史に賭ける!日本史の先生怖くてねぇ。授業中寝かせてくれなかったんだ。だから日本史だけ真面目に授業受けてて歴史の流れはなんとなく把握できてる。縄文時代とか戦国時代とかね。それに歴史に元々興味あるから苦手意識がない。

国語と英語では60〜70点がせいぜいだろう。英語は50取れるか取れないかかもしれない。でも日本史100点取れば!いける!かも!

でもどうやって?ここは助言を貰うしかない。

難関私立大に通ってる先輩にオススメの参考書を教えてもらったところ、『石川日本史B講義の実況中継』がいいとのことだったので全5巻を購入(今は4巻になってる!)し、流れを理解しながら太字になってるとこ全部暗記することにした。

試験が近くなってきたとこで山川の日本史Bも使用し、とにかく単語という単語を暗記し続けた。

試験に臨む

もう記憶力で全て何とかした。声に出して書くをひたすら続けた。詰め込み式の時代だったからね。当時はまだ記憶力良かったからなんとかした。病気になって記憶力失ったけど(涙)

春は3時間ぐらいしか勉強しなかったけど、夏からどんどん増やしていき、冬になる頃には10時間ぐらい勉強してた。嫌いなことに10時間も取り組んだなんて。自分で自分を褒めてやりたい。

秋に緊張と不安が増して食欲不振になり拒食気味になって階段ハイハイしないと上れなくなったこともあった。でも友人や先輩がやたらキットカットの差し入れしてくれたおかげで気がついたら普通に食べてたな。

ずっと勉強してても疲れるので、1時間やったら10分休憩(ONE PIECE読む)して、キットカット食べまくってた。

冬入ってから赤本解いたんだけど、全然点取れない。40〜60点がせいぜい。焦ったし落ちるのではと不安になったけど、もう今からやり方変えるわけにもいかないので自分信じて勉強し続けた。

そしてきましたセンター試験。二度目の京大。

あっさり落ちた。

センター試験ってさぁ、性格悪いよね。引っかけ多すぎるのよ。見事に引っかかりまくったわ。

後がない一般試験!

前日、緊張のあまり嘔気が止まらず「おええ!おええ!」ってなって、勉強どころじゃなかったわ。一日中「おええ!」ってやってた。

ちゃんと試験会場は下見をしておいて、前日緊張しまくってたのに当日はなぜかこれっぽっちも緊張しなかった。それにしても寒い。なぜ試験会場は寒いんだろうね?寒かった記憶だけ鮮明にある。

試験を終えて帰りながら「日本史簡単すぎたな」と手応えがあった。1問だけわからなかったけどあと楽勝だった。でも逆に簡単すぎたってことは他の人は全問解けているのではという不安に駆られた。国語も多分大丈夫。問題は英語。こればっかりはわかんねぇ。ただ解けた気はした。

家に帰って母が『どうだった?』って聞いてきたので「なんか…日本史思ったより簡単だったんだよね。いけるかも」と答えたけど母はぬか喜びしたくなかったそうで信じてくれなかった。酷い。

一般試験の合格発表

試験日から合否の結果が出るまでって長すぎるよね。2週間ぐらい待ったような?あの間の緊張っていったら!

ある日の夜、「落ちたらどうしよう」と思いながらバルコニーで石油ストーブのタンクに石油をポンプでポシュポシュ入れてたら母が『うわぁぁあ!』と叫んだ。

母『石油溢れてる!』
私「え?…わぁぁぁあ!ごめんなさい!ごめんなさい!」
母『大丈夫だよ!あとやるからあんたは部屋入ってな!』
私『ごめんなさい!ごめんなさい!』

ぼんやりしすぎてた。バルコニーが石油まみれ。その後泣きながら「ごめんなさい」を繰り返す私に母は『大丈夫だから!合格発表不安なんでしょ?大丈夫!』って言ってくれた。

そして合格発表当日。妹と発表時刻になるのを今か今かと待つ。母は洗濯物干してる。大学遠くて現地で合否を見ることはできないので、発表時刻になったのと同時に電話をかける!皆同じこと考えてるからつながらない!

私「ホームページみてくる!」
妹『頑張って!(何に対してかは不明)』

パソコンのある部屋に行き震える手で大学のホームページから合否を確認。

受験番号必死に探す。

探す。

探す。

もう少し。

………

あった!!

私の受験番号が!載ってる!

え、間違い無いよね?何回も確認。間違ってない!

合格したー!!!

へなへなと崩れ落ち、ハイハイしながら妹の待つリビングへ。

妹『どうだった?!』
私「あった…あったよ」
妹『え?!』
私「合格してた!!」
妹『ギャーーー!!!(悲鳴)やったー!!!』

叫び声を聞いて母が駆け降りてくる。

そして皆でパソコンの前へ走る。

ところが私はへなへなと崩れ落ちた時にカーソルをずらしていたらしい。画面を見たが番号がない。

妹&母『え、どこ?ないよ?』
私「あるよ!えーと…(焦る)』
妹&母『見間違えたんじゃないの』
私「違うもん!あったもん!…あ!ほら!」
妹&母『ギャーーー!!!本当だーー!!』
母『嘘でしょ…ほ、本当に合格してる…い、印刷しよ!印刷してお父さんにも見せないと!』

ていうか信じようよ!!疑うなよ!!

ちなみに母は石油事件から『こんなに追い詰められてる状態で、万が一落ちたらなんて声かけたらいいのか』とずっと悩んでいたらしく、当日もじっとしてられなくて洗濯物干してたとか。

無事合格し、大学進学することができた。この後一人暮らしの準備やら入学手続きやらでおおわらわになるわけだけど、この話は多分しない(あまり覚えてない)。

それにしても受験は本人も家族も大変!

受験生の皆さんは最後まで諦めずに頑張って!!家族の皆さんは本人のこと信じてあげて!是非とも!!

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