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日本はいったいぜんたい、地方をどーするつもりなんだ
地方の画一化は進み、どこも同じ光景が拡がる
いま地方は、金太郎飴のような状況にある。金太郎飴は、どこを切っても同じような絵柄が現れる飴である。それが人が住む街(とくに地方)で起こっていることが不気味だ。それを不気味だと感じない人も多いがいかに。
地方は、90年代以降(バブル崩壊後)、街の景観がどこも似てきた。はじめに、駅前商店街の衰退と、シャッター街化が共通する現象となって表れた。とほぼ同時に、中心街が中抜きされるドーナツ化現象が顕著となってゆく。
ドーナツ化とは、街郊外の開発、幹線道路の拡充、それに伴う車社会の進展によって、市の中心街が空洞化する現象のことである。
郊外の開発が進むと、中心街では商業が消えて、同時に人口も減少した。郊外は開発に伴い、米国型の広い駐車場を完備した商業施設を誘致した。その結果、市中心街の商業地は、その存在意義を失ってしまった。
90年代、00年代、そして現在まで、その傾向はやむことなく続いている。
このページの記事は、当方の別サイトに2018年6月に掲載した内容の一部を抜粋してご案内しております。興味がある方は、ぜひリンク先でご覧ください。
賑わいの界隈はいま何処へ 地方に未来はあるか、商店街に再生の道はあるか
浜野安宏かく語りき/2010年
浜野安宏氏は、商業および建築のプロデューサーであり、数多くの公共および民間のプロジェクトに携わっています。古くは、日本初といわれるディスコ「ムゲン」を赤坂にオープンしています。
その後、商業では東急ハンズほか、建築では青山フロムファーストビルほか…数多くの物件を手がけています。現在、渋谷のランドマークとなっているQフロントビルもおなじくであります。
埼玉県・川越市は、古い蔵のある街並みで有名ですが、そのまちづくりのコンセプトワークとその具体化に協力したのが、当時の浜野商品研究所だそうです。以下にそのほんの一部を浜野商品研究所コンセプトワークより抜粋し紹介いたします。
続きは以下リンク先へ
追記:
上記したようなことをいうと、「時代の流れにまかせるしかない」という実にクールな意見をされる方が多数います。(実際は他人任せであるが)
今回、以下にコメントいただきました。ありがとうございました。
その内容は、街は生き物であり、死に体の商店街など、もうどうしようもない。そんなご意見でした。(コメント欄参照)
いきもの【生き物】
① 生きているもの。生物。狭義では,動物だけをさす。
② まるで生きているように自分で動くもの。
「街は生き物です」というのはクールな言い方です。でも実際にはどーでしょうか。当方の感覚では街は人がつくっている、そのように理解しています。
街は勝手に生きてるように動いてくれるでしょうか。時流というものがあっても、それを活かす、活かさないのもまた人であると考えます。
2018年12月、川越一番街に関する講演会を主催しました。そこで知ったのは、あの蔵の街川越は70年代まで、それこそ死に体にあったそうです。写真で見た当時の煤けた看板だらけの街並みが印象的でした。
そんな街を再生するには、大変な努力が必要だったのは言うまでもありません。当然のようにその再生は人によって成されたものです。
したがって、単純に「街は生き物です」というご意見には賛同しかねます。あしからず。街は人がつくる、あとは街の人々にその意思があるかないか、という問題だと思いますがいかに。