40年前のブレイキンブーム
次回のパリ五輪で新競技で追加されるBreak Dance。
今はBreakin'って言うの?
そんなBreakin'の日本での第一次ブームはこの頃だったと思う。
本日のお題は、
Breakin'...There's No Stopping Us ~Ollie & Jerry~
早速この曲、1984年に公開された映画「Breakin'」のメインテーマ。
当時はこういう文化がある事は知らなかったので、最初見たときにこのダンスは、「カッコいい!」って思いましたね。
この映画は、それなりに興行収入も良かったのか第二弾も公開されました。まぁ、第二弾はそれほどヒットはしなかった記憶がありますが。。。
1984年当時はニューウェーブ系の音楽、所謂シンセを使った音楽が流行っていたものの、バンドサウンドの中でのシンセだったり、ポップスを土台にした音楽の上でのシンセだったりして、この手のダンスミュージックはまだメインストリームではありませんでした。映画「Flash Dance」でストリートカルチャー的なダンスが見られたりすることもあり、また曲も”ダンサブル”ではあったものの、シンセバリバリのこういった組み立ての音楽ではなかったと思います。
さらに、日本では欧米に輪をかけてダンスミュージックは一部の音楽好き、ダンス好きしか聴かない音楽で、それは1984年の日本のオリコン年間チャートを見れば一目瞭然。
どうですか、ダンスミュージック、ありません。
演歌がまだチャートに入っています。まだ演歌が日本の歌として立派に市場を持っていた時期なのです。
そんで、何で12位まで載せているかというと、12位の「雨音はショパンの調べ」はイタリアのシンガー、ガゼボの「I like chopin」のカバーで、唯一ダンスミュージックと言えなくもないので。。。
まぁカバーという事なので、純粋な日本のダンスミュージックではありません。
このような日本の状況にダンスミュージックをねじ込んだのは誰か?
「ブレークダンス」というものを、お茶の間に広めたのは誰か?
そう、80年代好きなら恐らく想像がつくでしょう。
風見慎吾さんです。
今見れば、ハズい感じですが、当時は斬新だったんです😁
この曲の発売は1984年12月21日。
今日のお題の「There's No Stopping Us」は1984年6月21日。
明らかに連動してますよね~。
もちろん本場の方が数倍も洗練されていて、今聴いてもカッコいいのは、許してあげてねって感じです。
それでも当時の歌謡界で、この曲を彼がリリースするのは結構冒険だったと思うし、反対も多かったのでしょう。そもそも風見慎吾は、他の曲をリリースすることが決まっていたところを、彼の熱意でこの曲を制作しリリースする事をねじ込んだらしいです。
この曲が、日本では当たり前になったダンスミュージックの先駆けで、またオリンピックのBreakin'競技で強豪国となりえている、そもそものきっかけだと思ったら感慨深くないですか?
という事で、今回はメインテーマよりも、日本のダンスミュージックの根源みたいな話になりましたが、「あ~、そうなんだぁ」とか「あ~、そうかも」と思ってもらえたら嬉しいですね。
では、また次回!