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理解
理解とは?
理解するためには、内発的外発的に関わらず、説明が必要である。説明とは、ある対象について文章として表現する行為とも言える。説明を受け入れた状態が理解である。逆説的には、説明ができる状態が理解となる。
理解の深さ
では、より深い理解とは何か。これは、先の逆説的理解を発展させることで表現できる。つまり、「様々な表現で様々な対象に」説明ができる状態を深い理解と言う。表現や対象の多彩さが、理解の深さとなる。
説明の適切さ
説明がうまい状態には、2種類ある。1つ目は、妥当な理解をしていること。2つ目は、伝達がうまいこと。「適切な説明」や「正しい理解」と言うとき、この2つは大抵の場合、(場合によっては意図的に)混同されている。
伝達
説明(あるいは理解)には、必ず、発信側と受信側の2つの状態が必要である。発信側に属するのが説明、受信側に属するのが理解。内発的な理解は、説明が自己完結しているだけだ。そして伝達を考えたとき、状態は複雑化する。
説明と理解の状態
①理解が妥当かつ伝達がうまい。
②理解が妥当でないが伝達がうまい。
③理解が妥当だが伝達が下手。
④理解が妥当でなく伝達も下手。
説明する側は、この4パターンとなる。
A.理解できる。
B.理解できない。
C.妥当でない理解に至る。
理解する側はこの3パターンとなる。
①は、Aになる可能性が高い。②はCになる可能性が高い。③はABCどれにもなりうる。④はBになる可能性が高い。自己完結する場合は、①②のどちらかになる。
補完
②③④は、適切な解釈が出来た場合のみ、妥当な理解に至る。適切な解釈には、周辺知識による補完とコミュニケーション力による補完がある。コミュニケーション力による補完は、②では意図を汲み取った上で鵜呑みにしないという部分において、③では意図を汲み取るという部分において、④においてはもはや超能力に近いレベルで、適切に行えた場合に妥当な理解に至る。
自然と人為
妥当な理解に至る補完が適切かどうかは、それが自然であるか人為的であるかが一つの指標となる。客観的事実に基づいて、水が流れ落ちるように、抗えない表現によって示された説明は、妥当な理解と言えるだろう。そして、伝達が絡むとき、ありとあらゆる要因によって人為的なものが顔を覗かせる。自分の想いを伝えるために、相手に気を遣って、説明のために、そう思いたくて……人為的な変化こそが人間臭さであり、人間臭さを知ることで意図を汲み取る力は上達する。他方、人間臭さを廃した規則性を見出すことによって知識による補完の精度は高まる。トレードオフだが、両立させなければならないのだ。むずかしいなあ。