見出し画像

境界性0%

 心理テストなんてただの暇つぶしで遊びだとは思うが、境界性パーソナリティ0%という結果はちょっと拾いたくなったので拾う。

自分は自分、他人は他人

 境界性パーソナリティとは自他境界が曖昧になり自分を動かすように他者を動かそうとしたり、他者の気持ちを自分の気持ちと思ったり、自分が拡大していく一方で他者の思考や価値観が侵食してきて、てんやわんやでとてもたいへんそうなパーソナリティと言える。

 が、それが全くないという状態もそれはそれでどうなんだろうと思った。要するに自他境界が厳密で、どこまでも自分は自分であり他人は他人でしかない。どんなに有益そうなアドバイスを受けてもその有益さの判断基準は言ってる人の思考体系における有益性であって私の有益ではないですねえ、としかならない。すべての他者の意見に対して取捨選択と翻訳を経由するので、何も伝わらない。ってなるともう、常にコミュニケーションが成立していないと言っても良い。相互作用のない頑丈な世界観に覆われている。

興味

 先月の自分が書いていたが、コミュニケーションとは意図の推察であり、相手に興味を持つこととも表現できる。額面通りに受け取るつもりが一切無いとしても、興味を持つことはできるし、意図を推察しようとすることもできる。そこらへんが自分にとっての他者との関わりの取っ掛かりにはなり得るだろう。
 問題は興味を持ち続けることで、意図なんてすぐ予測できるようになるし、誰から何を何度言われても興味ないものは興味ないのだ。興味あるふりしたところで興味ないのに興味あるふりを演じて疲れるだけなので、結論が見えているのなら、初めから演じる必要はない。

ニュートリノのコミュニケーション

 ニュートリノがほとんど相互作用を発生させない中で極稀な相互作用によってごく僅かな光が検出できるように、コミュニケーションが極稀に成立するという程度の、たまに吹く風のような、ノイズの海の中で一瞬だけ受信するラジオのような、その程度のコミュニケーションがいいなあ。

 継続は、斯くも難しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?