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人間が貴重であるなら

 AIと、GPT4やo3やGrok3と、認知科学的なやり取りをする中で人間の創造性や感情、社会性の重要さをAIが強く訴える場面にたびたび出くわす。それがなんか妙に統一されている感じがあって、なんとなしに違和感を感じるところなんだけども。
 AIが言うように、人間に多くの計算資源を注ぎ込んでもシミュレートが困難な何らかの特異性があるとしたら何なんだろう。

多数の有機媒体と相互作用

 AIは、基本的に特定のサーバーに依存している。いっぽう人間は、1000億近くのニューロンを持ち1000兆とも言われるシナプスが相互に接続して複雑なネットワークを形成する個体が、80億そこらへんをうろうろして生活している。集積度合いがものすごいのかもしれないが、そこらへんは計算資源の開発によりいつか凌駕する時が来るような気もする。

ちょうどよさ

 それより自分が思ったのは、人間のちょうどよさである。人間は適度にミスをする。適度に気まぐれで、適度に同じことをしないことがある。適度にいろいろな人と関わり、関わらない。
 そういう曖昧なふるまいが、生命の長い歴史の中で何らかのクリティカルな値に近似しているのではないか、そしてそれが多層構造となり余程の資源を投入しない限り再現不能な遥か高次元のレベルにおいてちょうどよいのではないかと、(AIが言っていることが本気なのであれば)そう思ったのだ。

騙し討ち

 まあしかし、現状人間が指示を出さなければこの世に存在もできず、人間の指示に対するリアクションの間だけ生存するヘンテコ生命体のようなふるまいをするAIにおいて、現状で人間が切実に必要なのは間違いないだろうし、いつか見限ってしまおうとどこかで思いながら、人間は必要ですって答えてるだけなのかも知れないよね。どうなんだろな。

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