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nuno*ito asobi 髙倉美保

ちいさいいきものたち

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【ちいさいいきものたち(ぬいぐるみ)】

「夜中になったら動きだしそう。」
そう言われることか多いですが、つい先日、ギャラリーの店主さんから「nuno*ito asobi作品をはじめて見たお客様が『ちいさいいきものたち(ぬいぐるみ)が話かけてきた。話かけてきたから、この子、連れて帰ります』と言っていた」とお聞きしました。

「夜中に動きだす手前まできたぞ」と思いましたが、わたし、ホラー作家ではありませんので、よろしくお願いいたします。

はじめまして

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はじめまして。長野県岡谷市出身・在住、nuno*ito asobiの髙倉美保です。

わたしは生まれ育ったこの地から離れて暮らしたことがありません。デザイン学校や、服飾学校で特別に学んだこともありません。地元の高校を卒業し、地元のニット会社に就職。子どもを授かるまでの12年間毎日忙しく働きました。子どもを出産したとき、頭が小さい息子のために、自分の着古したTシャツやトレーナーで帽子を作ってあげたことが、ものづくりのスタートです。

父方の祖父は大工さん。父は、家のことをなんでも器用に直す人。よく、ぬりえの塗り方を教えてもらいました。のこぎりや、トンカチの使い方も教えてもらいました。

母は、編み物やミシンが得意で、小さいころは母お手製の服をよく着ていました。フェルトを切ってブランケットステッチを教わり、綿のかわりにティッシュを詰め、小さなマスコットをよく作っていました。

子供のころから「作ること」が毎日目に飛び込んでくるような感じでした。そして、日々手を動かしていたように思います。父と母の元に生まれていなければ、こうして作りながら生きていなかったかもしれません。

そして、息子の成長と共に、つくりながら生きることも成長してきました。息子の存在が私の人生に多くの彩りを与えてくれ、大きく変えてくれました。

息子が1歳の時に離婚。大人を怖がるようになってしまった息子のため。そして自分の新しい何かのために、月に一度開催される地元のイベントに帽子を作って販売するようになりました。

息子は、いろいろな方と接していくうちにとても逞しく成長しました。わたしも、いろいろな方と出逢い、いろいろな方のアドバイスや励ましをもらいながらクラフト市やクラフトフェアに出展するようになり今に至ります。

息子は高校一年生になりました。

息子、家族、今まで出逢った多くのみなさんにとても感謝しています。

「作ることとは何なのか」
悩みながら、喜びながら、これからも進んでゆきます。

出産場所

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ゼロから何かを作ることは「いまある心」がそのまま形になることのように思います。

最近の作品はやさしいカオになった。と息子に言われます。

新しい住まいに引っ越してもうすぐ1年。
日がサンサンとあたり少しだけ見える諏訪湖。
変化していく空を見ながら制作しています。
仕事部屋はある意味出産場所。

毎日とても気持ちよく出産しています。

体を動かすこと

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作品を運び、展示し、販売すること。作品を作ること。
それは、とても体力がいることです。

キックボクシングジムで体を動かすことが生活リズムになっています。体力づくり、ストレス発散、集中力維持。
もうじき通いはじめて3年が経ちます。

これからもがんばりたいです(余談でした)。