ミャンマーの地形と民族 平原の民と山の民
今日の話の要約は
・ミャンマーの135の民族は大きく二つのエリアに分かれて住んでいる
・一つは中央の広大な平原地帯、国民の6割を占めるビルマ族、加えて中国系とインド系の人達が住んでいる。平原の民。
・もう一つのエリアは周辺を取り囲む山岳地帯、ここに残りの少数民族が住んでいる。山の民。
・ビルマ族は昔から平原に王朝を建てて住んでいた。中央を流れる大河をつかっての交通や物流も盛んで、河を下ってインド洋に出て外国と交流も行った、
・平原を取り巻く山岳地帯には130を超える少数民族が住んでいる。山岳地帯は交通の便も良くなく、民族間の交流も盛んではない。ミャンマー国民というより自分たちが属する民族の一員という意識が強い。民族それぞれの文化は多様で一括りにすることはできない。
・民族間の関係がミャンマーを理解するためにとても大切
話す人:(T)チョウチョウソーさん
ミャンマーのヤンゴン出身 日本に難民として来日、現在は高田馬場でミャンマーレストラン「ルビー」を経営。NHK海外放送キャスター、在日ミャンマー人支援、大学教授と一緒に学生の社会活動協力、など多方面で活動
聞き手:(Y)山下 crafts of myanmar noteの管理人
(Y)前回と前々回はミャンマーと周辺の国との関係について伺いました。
今回は国内についてですが、まずミャンマーはどういう土地なのか、そこから話を進めたいと思います。
ミャンマーは三方を山岳に囲まれ、中央に大平原が広がり大河が流れるシンプルな地形
(T)ミャンマーは総面積約68万㎡、日本の約1.8倍です。東部、西部、北部の三方が山と高原、中央は南の海に向かって開けた広大な平原です。海の近くはデルタ地帯になりマングローブの密林になっています。山があり平野がありデルタ地帯がありと、とても変化に富んだ豊かな土地です。
国の北部からエーヤワアディ河(AYEYARWADY河)という大河が国の中央を流れ、南部で支流に分かれインド洋のマルタバン湾に流れ込んでいます。
(Y)複雑な地形の日本に比べると分かりやすい地形ですね。
ミャンマーは平地の民と山の民の国
(Y)人々はどのように住んでいるのですか。
(T)ミャンマーには135の民族が共存しています。地形と民族の分布には関係があります。
中央の平原には主に国民の7割を占めるビルマ族が住んでおり、さらにインド系と中国系の人たちもいます。残りの3割を占める他の民族はほとんどが周囲の山岳地帯の住人です。
(Y)135の民族が一つの国に住んでいるとはすごいことですね。日本での少数民族はアイヌ民族など少しだけです。
ただ、世界の多くの国は多民族国家なので、ミャンマーが特別ではないのですが、それにしても多いですね。どういう民族構成なのでしょう。
(T)ビルマ族は7世紀に中国の雲南省から南下してきた民族です。平原を拠点として大河の畔に王国を築きました。マンダレイやバガンという王朝の古都は平原のほぼ中央、エーヤワアディ河の湖畔に位置しています。ビルマ族の王朝はここを中心にして勢力を拡大して周囲の山岳民族を取り込んで、今のミャンマーの原形が形づくられました
山岳民族はビルマ族とは別にそれぞれの歴史的経緯を経て周囲の山岳地帯に定住しました。
平原の民と山の民、これがミャンマーの大まかな構成といってもいいかもしれません。(注:平地にもモン族などビルマ族以外の民族も居住しており、必ずしもビルマ族だけが平地に暮らしているわけではありません)
(Y)ではチョウチョウソーさんはどの民族なんですか?
(T)私はビルマ族です。ですから私の店の料理はビルマ族の料理が中心ですね。東京にはミャンマー料理店がいくつかありますが、店のオーナーの出身民族によって異なった民族料理が提供されていますよ。
大河のほとりのビルマ族
(T)さて話を戻して、人口の7割を占めるビルマ族は平原の民族であり大河のほとりの民族でもあります。今のミャンマーという国は、主にビルマ族によって形作られてきた国です。
ミャンマー最初の王朝バガン王朝の首都バガンも最後の王朝コンバウン王朝の首都マンダレイも、エーヤワアディ河のほとりに作られた都です。エーヤワアディ河は川幅が広いところで1~2キロメートルもあります。王朝の人々はこの河を交通や物流の手段として活用しました。エーヤワアディ河を下ってマルタバン湾に出ればインド洋です。海を介してインドや東南アジア諸国との行き来も自由にできます。
(Y)写真で見ただけですがバガンもマンダレイも美しい古都ですね。国際的な交流が盛んなとても栄えた王朝だったことが想像できます。海から内陸に向けて、昔の人が旅をしたように河を遡って旅行をすれば忘れられない体験になるでしょう。いつかそのようにできれば良いのですが。
(T)それは素晴らしい体験になると思いますね。今は一般旅行者の安全が保障できないのが残念です。。
山岳民族ごとの多様な文化
(Y)では山の民、国民のほぼ3割を占める山岳民族はどのような人達なのですか
(T)一言で言えばモザイクのように多様です。山岳民族と言っても一括りにはできません。多くの民族それぞれが独自の文化を持ち、自分たちの民族に強い誇りをもっています。例えば宗教はシャン族は仏教、カチン族はキリスト教です。またそれぞれが自分たち独自の言語を持っています。さらにカチン族は固有の文字を持たないので文章はローマ字で書きます。
僕が子供の頃は山岳地域に道路が整備されておらず、また独裁制をひいていた国軍が情報統制を行っていたせいもあり、山岳地帯にどういう民族がいてどのような文化を持っているのかよく分かりませんでした(注:チョーチョーソーさんは平原南部の大都市ヤンゴン育ち)。民主化されて多くの道路ができて行き来ができるようになり多くの情報も制限なく知ることができるようになって「こんな文化や建物があるのか」と驚いたりとても興味深く思ったりしました。そのくらい本当に多様な民族と文化があります。
山岳地帯には国家や国境など意識しない少数民族もいる
(Y)それだけ違う文化に生きているのであれば、その人たちはミャンマーという国家やミャンマー国民というアイデンティティに対してはどういう意識なのでしょう。
(T)ミャンマー人であるよりもまず自分の属する民族の一員です。
山岳地帯の少数民族は厳しい山の中に住むので交通手段は限られ他の民族との交流は限定されます。さらに国境をまたいで生活している民族もいます。その人たちは国家や国境という概念自体が希薄で、あくまでも自分たちの住む地域を中心にして生活をしてきました。
(Y)ミャンマーという国が何なのか分からなくなりそうです。異なった基盤の多くの民族がミャンマーという一つの国に居る以上、民族間の摩擦も大きいのではないですか。
(T)民族間の関係を抜きにミャンマーの社会状況は説明できません。これは長くなりそうですから次回お話ししましょう。