ベックリンの『死の島』。君たちはどう生きるか。
こんばんは、クラフトビア子です。
ここのところ、食べ物からもお酒からも離れて、頭の中がアートの旅に出ています。
先週になって、宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』がアカデミー賞を受賞しました。ニュースに接して、うっかりと観に行っていなかったことに気づきまして。あわてて調べてみたら、近所の映画館でまだ上映されているではありませんか。それで、せっかくなので子どもたちを連れて、金曜の夜に観に行ってきました。
今日は、映画の感想というよりは、『君たちはどう生きるか』の作中で明らかにオマージュされていた、ある絵画について書いてみたいと思います。
ナチス・ヒットラーにも愛されたベックリンの『死の島』
ギリシャ神話におけるモチーフを使って、1880年代に描かれた作品。夫を亡くした女性からの依頼を受けて描かれた絵ですが、当時ドイツで大人気となりました。
陰鬱で死の静謐さに包まれた、不気味とも思える絵ですが、なぜか家庭に飾りたがる人が多かったそう。
人気を受けて『死の島』は5枚描かれました。そのうちの1枚は、ベックリンの信奉者であったヒットラーが後世になって入手し、総統官邸に飾られていたそうです。ちなみに記事サムネイルの画像が1枚目の『死の島』です。(ビア子は1枚目が好きです)
岸壁で囲われた島には、ヨーロッパで墓所でよくみられる糸杉が茂っています。島の入り口近くに浮かんだ舟には、白装束の人物と棺。和風にいえば、三途の川をわたり冥界の入り口へとまさに渡ろうとする、死者を描いているといわれています。
宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』の作中にも、『死の島』を彷彿とさせる島が登場し、やはり糸杉が茂っていました。
個人的には、その翌日に、晩年にやはり糸杉を好んで描いたゴッホのイベントに出かけたのも、偶然とはいえ無意識でのつながりがあるように思えました。
死がモチーフとして好まれた世紀末芸術
ベックリンの『死の島』だけでなく、19世紀末のヨーロッパでは死をモチーフとした芸術が盛んでした。
退廃的で幻想的な名作がいくつも生み出されています。
たとえばキリスト教の伝説・サロメの逸話を題材にしたモローの『出現』。
この幻想的な作品は、ファム・ファタール(宿命の女)というモチーフを作曲家や戯曲家にインスピレートすることになり、『サロメ』という作品がいくつも作られています。
こんなふうに、死を連想させるモチーフが絵画だけでなく、音楽や文学にも波及していったのが世紀末芸術でした。
あくまでも素人分析にはなりますが、当時のヨーロッパの世相がこうした死をモチーフとした芸術を歓迎したのは間違いないでしょう。産業革命による社会の大きな変化、その後に二度の大戦に見舞われることになります。
最後の大流行となったペストで、家族や友人を失った人も大勢いました。フランスで流行したアブサンというお酒は、さまざまな芸術のモチーフとなりましたが、このお酒は長く飲み続けると幻覚症状や錯乱といった中毒を引き起こすことから20世紀初頭に製造・販売が禁止されました。ちなみに、いま販売されているアブサンは、安全が保たれています。
日本でつくっている方の記事も発見しました!気になる…
宮崎駿監督作品を見て、あ、これは『死の島』だ、と思ったところから19世紀末に想いが飛躍してしまいましたが(笑)。
そろそろ作品が公開された現代に戻りたいと思います。
死が身近だった世紀末や今作の舞台。それは、現代も同じ。
19世紀末から20世紀初頭にかけては、ヨーロッパでも日本でも、死は決して遠いものではありませんでした。そして忌避するというよりは、しっかりと向き合っているものだったのかもしれません。
東日本大震災やさまざまな大規模災害、新型コロナ流行にウクライナ戦争・イスラエル紛争の勃発――。
100年ほど前に起きた歴史が、少しだけ姿を変えて、繰り返されているように思えます。
100年前を生きた人たちは、絶望ではなく芸術や文化に変えて、たくましく生き、社会を築いていきました。
私たちはその軌跡を歴史を通じて知ることができる。
今作『私たちはどう生きるか』では、そうした過去から現代、未来へのブリッジのようなものを感じました。
メメント・モリ。たのしく、自分らしく、力強く生きよう。
これが、映画から、ゴッホアライブから、私なりに受け取ったメッセージです。
さあ、何か面白いことをしていかなくちゃ。
それではまた。
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