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うるしで繕う生活道具/日常を繕う

家事と仕事場と境界線のグラデーション

普段は自宅で作業していて、在宅勤務のような形をとっています。作業場所はリビングの一角ですので通勤の必要はないのですが、その分、家事と仕事の境界が曖昧になりがちです。片付けるべき家事が目の前にあると、つい気を取られてしまい、仕事に集中できないことが多々あります。専用の作業部屋にこもり、ドアを閉めて集中できると良いのですがそうもいかないのが現状です。

朝は身支度を整えた後、ゴミ出し、掃除、洗濯、朝食の準備を行い、あっという間に数時間が過ぎます。その合間に愛犬の世話や庭の手入れといった小さな家事も加わります。日々のスケジュールは、午前中にこれらの家事を一通り済ませ、午後から夕方まで作業机に向かう流れです。夕食の準備と片付けを終えた後、再び作業するというルーティンで過ごしています。

とはいえ癒し

年齢とともに集中力が少しずつ低下していることも感じるので、作業の質を落とさないために、限られた時間を最大限に活用する工夫が必要になります。この数年は特に、作業環境を整えてから仕事に取り掛かることで、集中モードに早く移行できています。かつては収集した骨董品やビンテージ家具に囲まれた暮らしに憧れて熱を入れて勉強をしていましたが、その熱が少しずつ柔らかくなってきたことと、果たしてそれが本当に望んでいることなのか、という想いがどこか頭の片隅にあったように思います。先日出かけた先で店主と「自分の仕事は何からヒントを得ているのか」という話で盛り上がり、収集物からインスピレーションを得ている人もいれば、外へ出て刺激をもらうことで気づきを得る、など色々なパターンがある中、自分はどこに当てはまるのか、考えを巡らせる機会がありました。

心と暮らしの余白

振り返ってみると、家にいる時間が長いので、好きなものを手元に引き寄せ、住まいのしつらえを整えてきました。何もないのは心細いので、決して少ないもので暮らしているということではないのですが、棚は時々入れ替えをして、一つひとつよく見えるようにしています。おもちゃ箱のようなワクワクが詰まった部屋も素敵ですが「余白」や「空間の美しさ」に価値を見出すことが、自分にとって心地よいと感じることに気づいてからは、量を求めることはあまり無くなりました。
片付いた空間では、ものの意味や美しさが自然に引き立ちます。そのような環境に身を置くことで、思考がクリアになり、集中力が高まることを実感しています。

波多野さんのライト
照明はほんのり照らす明るさに

調和の感覚と漆繕いの影響

この「整える」という感覚は、漆繕いの経験から得たものだと思います。器を修繕する過程で、壊れたものと向き合い、その本来の美しさや機能をどう引き出すかを考える。この積み重ねが、ものを選ぶ際の目を養い、「自分にとって心地よい調和」が感じられるようになってきたと思います。
感情を揺さぶるような特別なものとの出会いは、頻繁にあるわけではありません。しかし、なんとなくでも「これならしっくりくる」と納得できるものを選び、その積み重ねが、自分にとっての心地よい空間に着地していたのでした。

整った空間から生まれるものは

整った空間や日々選んできたものは、私にとって仕事と生活を支える基盤といって良さそうです。それらが整っていることで、日々の暮らしにも心のゆとりが生まれています。

積み重なりで集まってきたもの

家事や仕事の合間に視線を移した先に、縁と思い入れがあるもの、育てている植物、年月を経て艶を増したものが見えるとほっと安らぎます。
そして、その空間を整えるための「選ぶ目線」や「調和の感覚」は、漆繕いの経験を通じて培われたものです。一見すると小さな工夫の積み重ねですが、空間を整えるという行為は単なる片付けではなく、本当に大切なものを見極めるためのプロセスの一つです。少し強引かもしれませんが『日常を繕う』という副題にはそのような想いがあります。過程を大切にしながら心地よい空間を作り、その中から得られるインスピレーションを基に、より豊かな仕事と生活を築き続けていくことが、今の私の理想です。

今年の締めくくりに

ここまで書き進めて、なんだか決意表明のようになってしまいましたが、ぼんやりと考えてきたことを文字に書き残しておくと、頭の中を整理できますし、仕事の方向性を定める時に役立ちます。作文も悪くないなと思います。
駄文にお付き合いくださり、心からお礼と感謝を申し上げます。
来年もより良い仕事ができるよう、心も体調も整えて日々過ごすことを心がけてまいります。今後とも引き続きよろしくお願いいたします。


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