【タカマ二次小説】陽光の届かぬ塔の雲雀#27 花弁舞い散る光の中で
「宝珠解放(アルフォー・クロア)っ!!!」
ふいに、彼女の声が響いた。
張りつめていた空気が、
淀んでいた空気が、
にわかに様相を変える。
「太陽をつなぎとめる樹(アクテイ・グローブ)」以外、
樹木は一本も育たぬはずの天空の庭で、
木の芽が次々と顔を出し、
ぐんぐん伸びて、
あっという間に立派な樹木へと育っていく。
まるで岩肌のようにごつごつとした太い幹から、
次々と枝が伸びていき、
枝のあちらこちらにピンク色の蕾が芽吹く。
蕾は見る見るうちに膨らんで、
やがて一斉に弾けた。
私は言葉を失ったまま、
その光景に魅入る。
頭上では満開の桜が咲き乱れ、
天空を薄紅色に染めていく。
柔らかな風に吹かれ、
はらはらと舞い落ちる花びらが、
目の前を、足元を、
淡く染め上げていく。
その光景は、
先ほどまでの緊迫した空気を
忘れてしまうほどに、
ただひたすらに美しかった。
「スサノヲが……」
鳴女様の声に、我に返り、
彼女が見ている方へ視線を向ける。
そこには、
宙に浮かぶ「彼」の姿があった。
背中に生えた真っ黒い翼はそのままで、
けれどそれ以外は元の姿に戻った、彼の姿が。
「サンちゃんっ……!!」
私の声が届いたのかはわからない。
彼は辺りを見回すと、
ひとりの少女に目を留める。
聖なる樹と同化したはずの、
黒髪の少女。
果敢に宙に飛び出していったはずの、
伝説の少女。
彼女は意識を失い、
今まさに、
真っ逆さまに落ちようとしていた。
「結姫さんっ……!!」
私が声を上げたと同時に、
彼が彼女を抱き留める。
彼女の姿は、
すっかり元の姿に戻っていた。
聖なる樹と同化する前の、
10歳の少女の姿に。
鳴女様が言うには、
彼の意識を取り戻すために、
力を使い果たしてしまったのだろうと。
桜色に染まったこの庭園は、
彼女が彼の意識を取り戻すために起こした、
「奇跡」なのだろうと。
(じゃあ、助かったの……?)
そう思いたかった。
思いたかったのに。
桜色に染まった空の、
さらにその上に浮かぶ天珠宮。
その周囲にはまだ、
どす黒い自然界の負のエネルギーが
留まっており、
それを食い止めるために
放出された、
天照様のエネルギーも
放出されたままだった。
ふたつのエネルギーが
今も拮抗を続けており、
事態が収束する兆しが見えない。
全てが助かったような気がしていたのは、
ただの錯覚に過ぎなかったのだ。
現実を目の当たりにした私のもとへ、
彼女を抱きかかえた彼が近づいてきた。
彼は意識を取り戻した結姫さんと
いくつか言葉を交わした後、
彼女を迦陵頻伽(カリョウビンガ)に引き渡す。
私や鳴女様と一緒に事態を見守っていた聖なる鳥、
迦陵頻伽(カリョウビンガ)。
地平線の少女(ホル・アクテイ)の聖獣であるその鳥に
彼女を託すと、
そのまま踵を返し、飛び立って行く。
エネルギーが放出されたままの
「太陽」目がけて、
躊躇うことなく、まっすぐに。
(え……?)
それはまるで、
燃え盛る炎の中に飛び込んでいく、
小さな羽虫のようだった。
輝く光の束の中心部へと、
迷うことなく一直線に飛び込んでいく。
やがて、
彼の姿がまばゆい光に呑み込まれ、
今まさに、
完全に見えなくなった。
次の瞬間、
それまで天珠宮の周囲を覆っていた闇が、
自然界の負のエネルギーが、
急激に力を弱め、
散り散りになって、遠い空へと消えていく。
まるで深い霧が掻き消えていくかのように、
綺麗さっぱり消え失せていく。
(何が起きたの……?)
にわかには理解できなかった。
鳴女様が呆然と呟く。
「まさか……、ありえない……」
何が、と問おうとした時、
彼女が震える声で言葉を紡いだ。
「スサノヲが、自らの身を太陽に投じて、
焼かれるなんて……。
世界を守るなんて、そんなことが……」
(え……?)
目の前が真っ暗になった。
真っ暗になった視線の先で、
考えたくない「結末」が
目の前に降りてくるのを感じた。
振り払いたくても振り払えない、
重たいおもりが胸の中に沈んでいくのを感じた。
「隆……臣?……隆臣……。
だって、たった今、そばにいて……、
あったかくて、『結姫』って……」
狼狽した結姫さんの声が響く。
「い……や……。いやだ……。
……隆臣っ。隆臣!……いやだ。
いやあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
慟哭が、胸に突き刺さる。
「サン、ちゃん……」
私はただ呆然と、その名前を呼んだ。
(どうして、こんなことに……)
両手で口を押さえ、地面に膝をつく。
誰も、失いたくはなかったのに。
何も、失いたくはなかったのに。
本来なら、
私が守らなければいけなかった世界なのに。
日継ノ姫宮(ヒツギノヒメミヤ)であるはずの私が。
次代の天照だったはずの私が。
お父様を諌め、叔母様を支え、
守っていかなければいけないはずだったのに。
「鳴女様っ!結姫の体がっ!!」
彼から彼女を託された、
迦陵頻伽(カリョウビンガ)が叫ぶ。
声につられて顔を上げると、
泣き叫ぶ結姫さんの体が、消えかかっていた。
どうやら、体が中ツ国に引っ張られているらしい。
彼女が「彼」の意識を取り戻したときに、
力を使い果たし、勾玉が壊れてしまったから。
勾玉は、結姫さんの体を高天原に留めておく力を持っている。
それが壊れた今、彼女はこれ以上、
高天原にはいられないのだという。
(そんなこと言っても……)
泣き続ける彼女を、
このまま帰しても大丈夫だろうか。
後追い自殺さえしかねない、
そんな状態の彼女を。
どうすればよいのかと、
鳴女様を仰ぎ見れば、
彼女は今にも「太陽」に向かって
飛び込んで行きそうに見えた。
「鳴女様っ!?」
驚いて呼びかけると、
彼女は凛とした声で言葉を放つ。
「ビンガ、結姫を頼みます。
そして巫女姫、天珠宮(ここ)を頼みます……!!
これからの高天原を、天照様とともに守ってください……!!」
「……でも、鳴女様は……っ!?」
「すべての引き金を引いたのは私です……。
結姫をこんなにも傷つけてしまったのも私です……。
だから私は、結姫の心だけは救いたいっ……!!」
(心を、救う……?)
「いったい、何をなさるつもりなのですか……!?」
「鳴女様っ!!」
口々に叫ぶ私と迦陵頻伽(カリョウビンガ)に、
鳴女様が微笑む。
「私のことは心配いりません……。
私は、幸せですから……。きっと……」
そう言って、まばゆい光の中に、
飛び出して行った。
やがて、溢れんばかりの光の束は、
穏やかな日の光となり、
事態が収束に向かっていくのがわかる。
(これからの高天原を、天照様とともに守る……)
鳴女様の言葉を、
胸の奥で噛みしめる。
今まで、何もできなかった私にも、
何もしようとしてこなかった私にも、
チャンスが与えられたような、そんな気がした。
やがて、結姫さんを迎えに来たかのように、
不思議な「トンネル」が近づいてくる。
高天原と中ツ国を結ぶトンネルなのだと、
迦陵頻伽(カリョウビンガ)は言う。
そして彼女は、
自分の背中で泣きわめいている結姫さんを叱咤する。
「結姫っ!しっかりしてっ!目を見開いてっ!
泣いている場合じゃないのよっ!」
「やだっ……!!隆臣がいない世界なんてやだっ……!!
もう、どうなってもいいっ……!!!」
そんな彼女を、
迦陵頻伽(カリョウビンガ)がはたく。
「結姫っ!!もうお別れなのよっ!!
ほら、中ツ国のトンネルがもうそこまで迫ってるっ……!!
隆臣が救ってくれた世界を、あなたが守らなくて、誰が守るのっ!?」
その言葉に、
結姫さんがようやく顔を上げる。
「これからの中ツ国は、結姫たちにかかっているのよ。
守ってね。中ツ国を……!!」
そう言って、
迦陵頻伽が彼女をトンネルの入り口へと
送り届ける。
中ツ国へと通じる、
光り輝くトンネルへ。
ようやく前を向くことができたのか、
結姫さんの顔には、笑みが浮かんでいた。
懸命に前を向こうと、
泣き笑いを浮かべる彼女の顔が見える。
迦陵頻伽(カリョウビンガ)に
「ありがとう」と告げて、
私にも「さようなら」と手を振って、
やがて、光のトンネルの中へと、
姿を消した。
(結姫さん……。中ツ国をお願いね……)
高天原と背中合わせのように存在する、
もうひとつの世界。
その命運を、彼女に託す。
そして私は、
これからの高天原を守るのだ。
大きな代償と引き換えに救われた、
大切な世界を、
今度は私が守っていく。
そう、心に固く誓った――。