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【タカマ二次小説】陽炎~玉響の記憶~#5 失われた声

「ねえ、ちょっと!!
なんでテニス部なの!?
卒業式の日には、絶対合唱部に入るって
言ってたじゃないっ!!」

那智の耳に、
キンキンとうるさい声が響く。

1年E組の
美作百合(みまさかゆり)が、

はるばる那智のいるA組まで
乗り込んできたのだ。

確かに那智は、
神代小を卒業する日、

彼女に言った。

自分は中学に入ったら、
合唱部に入るのだと。

思いっきり歌って、
神代中合唱部の栄光の歴史に、
自分の名を刻んでやるのだと。

けれどそれはもう、
過去の話だ。

那智はとっくに
テニス部への入部を決めていた。

「別に、オレが何部に入ろうとオレの勝手だろ。
テニス部に入りたくなったからテニス部に入った。
それだけだよ」

「そんなの、わけわかんないよっ!!
テニスだったら、小学校1年の時から、
テニススクールに通ってたんでしょ!?
わざわざ初心者の多いテニス部に
入らなくたっていいじゃないっ!!」

確かにそれはその通りなのだが、
他に良い手立てが浮かばなかった。

赤の他人にどうこう言われる筋合いはない。

「……うるさいから、
もう帰ってくんないかな。
もうじき、授業始まるし」

適当にいなそうとしたその声が、
ところどころ掠れる。

それに気づいた彼女が、
不思議そうに問い返す。

「和泉くん、風邪引いているの?
声、掠れてるよ?」

言われた途端に、
那智の中で何かがぶちぎれた。

那智は机をバンと叩いて、
怒声を上げる。

「うっせーなっ!!
おまえには関係ねーだろっ!!
とっとと帰れよっ!!」

驚いた百合が負けじと言い返す。

「何なのっ!?いきなりっ!!
心配して言ってるんじゃないっ!!
わかったわよっ!!今日はもう帰るっ!!
でも、ちゃんと理由聞くまで、
諦めないんだからねっ!!」

そう言い捨てて、
彼女は教室を出て行った。

那智は彼女の背中を睨みつけ、
唇を噛む。

(おまえなんかに、
何がわかるんだよっ……!!)

苛立ちに任せて、
近くにあった椅子を思い切り蹴り倒す。

不意に、隣で見守っていた颯太が口を開く。

「おまえ、いらついてるのはわかるけど、
そんなに人や物に当たるなよ。
それに、あんなに大声出したら、
辛いんじゃないのか?
あんまり怒鳴ったりしない方がいいと思うぞ」

そう言いながら、
那智が蹴り倒した椅子を元に戻す颯太に、

那智は舌打ちをする。

込み上げてきた激しい怒りは、

いつの間にか、喉の痛みと相まって、
虚しさに変わっていった。

「おまえにだって、
オレの気持ちなんかわかんねーよ……」

そう呟いて、自分の席に座る。

那智だって最初は、
風邪だと思っていたのだ。

けれど喉の調子がおかしい以外には
症状がなく、

やがてこれが声変りによるものだと
気づいてしまった。

それは那智にとって、

「天使の歌声」とまで評された
自慢のボーイソプラノを

失うことを意味していた。

(オレはもう、
「アイツ」にはなれないんだっ……)

那智は自分の席で拳を握る。

かつて、高天原の自分が
惜しげもなく披露していた歌声。

それはまさに、
天から舞い降りた天使のような、

澄み切ったソプラノだったのだ。

その声を、自分はもう出せなくなる。

それは、鉛のように重く、
氷のように冷たい現実だった。

(合唱部になんか、死んでも入るもんか……)

那智は涙をこらえて唇を噛む。

合唱部には、
「彼女」のような美しいソプラノを、

得意気に披露する女子部員が
ごろごろいるのだ。

そんな場所に行ったら、
自分がみじめでたまらなくなる。

それよりは、小さい頃からやっていた
テニスを極めた方が、気晴らしになる。

それが、那智が合唱部ではなく、
テニス部を選んだ本当の理由。

「はい、では教科書の8ページを開いて~」

教室では、
すでに授業が始まっており、

理科の教師が光の屈折だか何だかの
説明をしているが、

那智の頭には、
これっぽっちも入っては来なかった。


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