
徒な雑文5、小説、自伝的要素を孕んだ作品
いつだったか、西條八十さんの詩集を読んだときに、解説の頁で新庄嘉章さんが
〜アンドレ・シッドは、自分は何を言おうとしたか承知してはいても、果してそれしか言わなかったかどうか疑問だ、といった意味のことを言っている。つまり、作者 がそれと知らずと洩らした無意識の部分があるはずだと言うのである。〜
と書かれていて、僕はこの一文に清新な驚きを受け、同時にアンドレ・ジッドという人を知りました。ノートに書き写すのは勿論のこと、自分なりに敷衍させて考えてみたり、歌詞の着想にしたり、興味深くこの一文を反芻していました。
ですが小説、物語が苦手な僕が直ぐにジッドの著作に触れていくことは出来ませんでした。
アンドレ・ジッドといえば、あの含蓄溢れる名文句を言っていたすげえ人、という認識のまま、数年が経っていました。
ただ、ほんのつい最近、なんのきっかけか気まぐれか、ジッドの「狭き門」を買い、読みました。
僕はキリスト教や聖書にはさっぱり暗いので
力を尽くして狭き門より入れ
ルカ伝第十三章二十四節
に始まり、所々理解し切れない箇所もあるのですが、主要人物二人のやり取り。
ジェロームの切実で誠実な、頷きながら読むような言葉の数々。
アリサの手紙群におけるアリサの情愛のありよう。痛い程に感じました。
<ジッドの生涯と作品>と題された本編の後に収録されている、新庄嘉章さんに依るあとがきを読むと、「狭き門」で描かれた世界と、ジッドの人生とには、密接な関係にあることが窺えました。
僕が過去、あまり抵抗なく読めて、かつその世界観に飲み込まれるような恐怖を感じずに読み切ることが出来た小説も、著者の自伝的な要素を多少、孕んでいたように思います。
「バンド・オブ・ザ・ナイト」「今夜、すべてのバーで」「トニオ・クレエゲル」「若きウェルテルの悩み」「人間失格」等
著者の自伝的な要素のある作品だと、とても楽しく面白く読めます。
ただ、ほんとはもっと沢山の小説や映画も触れていきたいんだ。…という悔しさもあります。
雑文乱文、失礼致しました。