その一言で充分だ
最近はめっきり受験生のような勉強漬けの毎日だ。
明確なゴールはないのかもしれない。
具体的な勝算を持ち合わせてもいない。
でも、頭より先に手が動く毎日を過ごすのは久しぶりだ。
多分10年前の高校受験以来かな?
なにか締め切りが迫ってきていて、それまでに全ての準備を整えなきゃいけないあの感じ。
受験のときは受験日という締切があったけれど、今は「死」という締切がある。
25歳で「死」というゴールを見始めるの早いか?
20歳のころ、人生は永遠に続くと思っていた。身体はピンピンしていていつまでもスポーツできるし、セックスもできると思っていた。
でも、23歳過ぎたあたりかな。時間の過ぎる速さとケアを怠った身体の衰えを強く感じたんだ。軽い運動でも続けないと、身体はおそろしく早いスピードで死んでいく。多分、20代後半の一般人とダンサー・スポーツ選手の体力差はゾウとアリくらい。このスタミナは日常全てに影響するわけ(もちろん頭使うのにも体力は必要)だから、30代突入してからのパフォーマンス量に表れるのだとと思う。
そうやって40代はこう、50代はこう、と逆算していると、人生って有限なことに気付かされる。フルパワーを出力できる時間というのは、そんなに多く残されていない。
そんなこと1年前から分かっていたのに、やっぱり日常は中途半端。
これが弱さだよ。
「自分の意思を信じて、努力することを期待する」という弱さ。
出来上がっていな人間(ぼく)の意思なんか信じちゃダメだ。
信じるだけ無駄なんだ。
裏切れれるだけ。
5回も万引きした人の「もうやりません!(意思)」を信じて逃がすのか?
そんなバカを繰り返している自分の頭の悪さに苛立ちがあった。
だから、ここ数ヶ月は意思を信じて走っていない。
もうひとりの「天才な僕」の口を縛って、地味でひたむきに努力する僕に毎日を任せている。自分で決めたルーティンをこなすだけの僕だ。走りながら考える僕にしばらく人生を預けることにした。天才だと豪語するあいつの口を解いてやるのは、もう少し先になりそうだ。
西野さんの新刊(ゴミ人間)エッセイを読んだ。
彼のあらゆる情報を追っているから、全ての章の全てのエピソードを知っていた。
最後の手紙に「アイデアに酔うな」とメッセージがあった。
その言葉だけもらえれば、今のぼくには充分だ。
ありがとうございます。
生きている実感が得られれば、ふざけあえる友達がいれば進める。
今日も東京の片隅で、非生産的なことを非効率的に行っております。