上海・石門路の思い出
出張で上海を訪れる時には地下鉄を利用するが、2号線の駅に「石門一路」という駅がある。
「下一站,石门一路(次の駅は、石門一路)」
という地下鉄のアナウンスを聞く度に、眼前に浮かんでくる風景がある。
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1995年の春。
私は上海に留学していた。
当時の上海は1992年の鄧小平氏の「南巡講話」を受けて重要発展地域になっていた。街中はあちこちが施工中で、雨後のタケノコのように大きなビルが次々に出現していた。東方明珠テレビ塔も完成したばかり、ヤオハンも完成を控えていた。地下鉄はあったが数駅しか通っておらず、まだまだ使い物にならなかった。主要な公共交通機関はバスやトロリー、もしくはタクシーだった。
素朴な時代で、インターネットも全く普及していない。携帯電話が高嶺の花で、庶民はポケベルを最新の通信手段としていた頃だった。
その頃、私は勉学の傍ら、夜間学校の日本語教師もしていた。1時間半教えて、一回に250円というタクシー代にもならないバイト代だったが、当時の上海の工場勤務者の月給が3,000円だった事を考えると優遇されていたようだ。
私は受け持ったクラスは、20人ほどの生徒だった。個性あふれる面々で、皆、日本人と話をしたくてたまらない。「先生、日本の歌を教えて下さい」「先生、日本の家庭はどんなですか?」「先生、日本の敬語はとても難しいですね」「先生、先生・・・」好き勝手に話かけてきて、殆ど授業にならなかったが、幼稚園の先生になったような気持ちで楽しく過ごしていた。
そんな生徒たちの中にある日、若い女性が入ってきた。年の頃は25,6歳。色は白く、髪は軽くウエーブをかけ、身長は155センチくらいの可愛らしい顔だちの女性だった。性格はにぎやかで「ハハハ!」と大声で笑い、全然授業を聞かず、一番前で堂々と背中を向けて後ろの人と大声で話す。注意すると「先生、私はうるさい人や!ハハハ」と変な大阪弁で笑い飛ばす。少し困った人だが、憎めない明るい人だった。
彼女は日本人と結婚して大阪に住んでいると言い、今は上海に帰省してきているのだという。「私の実家に遊びにきて」と何度も誘われたので一度行ってみる事にした。
バスを乗り継いで指定された駅で下りた。そこは「石門二路」だった。彼女と彼女のお姉さんが迎えにきてくれたと思う。彼女のお姉さんは、彼女とは違い、見た目も地味で、性格も落ち着いていた。路地に入り彼女の実家へ通された。
記憶の中では上記のような石造りの風情ある長屋だった。
家に入ると薄暗く、簡素な造りの部屋で、入ってすぐにベッドが置いてあり、食卓も置いてある。くるりと眺めると、電化製品が全て日本製である事に気が付いた。当時、中国では日本製の電化製品は、とても高価だった。多くの上海人の憧れだった「画王(TVのブランド)」も部屋に鎮座していた。
日本人と結婚するっていう事は、やはり玉の輿って事なのかな・・・
日本人の旦那さんが、多くの経済的援助を彼女の実家にしているのが、目の前に並んでいる高価な電化製品に現れていた。
お金の為に、家族の為に、結婚するって事・・・?
「ねえ、旦那さんは、何歳ですか?」
聞いてみた。
彼女がお金の為や家族の為に結婚したのかもしれない疑念を否定したかったからだ。もし、すごく年上だったら、そういう事なのかも・・・
「旦那は35歳や」
「あ、35歳か、少し年上ですね」
少しホッとした。もう少し聞いてみたいと思った。
「どんな人ですか?」
彼女は「あ?旦那?見たい?」と言うので「見たい、見たい!」と明るく答えた。彼女は「結婚写真、あるや!」と2つ折りの結婚写真を渡してくれた。
「寿」と書かれてある表紙を開く前に、私は、心の準備をした。
どんな人だろう。
太っているかも・・・
背が低いかも・・・
顔だちが、あまりパッとしないかも・・・
でも、平均的な人かも・・・
当時よくあった話から、ある程度想像をつけて
可愛らしい人ね。
とか
眼が大きいね。
とか、ほめ言葉を用意して、結婚写真を開いた。
息をのんだ。
何と言ってよいか分からなかった。
用意しておいた褒め言葉は、どれも使えなかった。
不細工とか、そういう話ではなかった。
例えも見つからない。
私は、20年経った今でも、あんな容姿の人を見た事がない。
その男性は痩せて背が高かったが、眼は細く、鼻から下は、骸骨に肉を薄く貼りつけたような奇妙な顔立ちだった。事故や火傷の様子はなく、元々そんな顔立ちのようだった。表情もなく不気味で、人間とは思えなかった。
横で幸せそうに微笑んでいる彼女との対比が、あまりにも大きかった。
「・・・優しそうな人ですね」
何とか、言葉を絞り出した。
「うん、やさしーよー」
彼女は、いつもと変わらぬ陽気な感じで答えた。
でも私の顔は見ていなかった。
その後は近所の人達とお茶を飲みながら色々会話をした気がする。
そろそろ、と帰ろうとすると彼女のお姉さんが「折角だから」と見送りがてら買い物に連れていってくれた。
「何がほしい?」と店に入る度に聞く。化粧品を売っている所に入ると「これはどう?」と香水を勧めてきたり・・・
「いや、いいですよ」と何度も断ったが、あまりにも断ると却って申し訳ないので、露天で見かけた20元のペラペラの青いブラウスを「じゃあ、これを・・・」と買ってもらった。
「石門二路」のバス亭まで来た時に、お姉さんは「どうか、妹をよろしく・・・」と何度も頭を下げた。
バスが発車しても、お姉さんは手を振って私を見送っていた。
私もお姉さんに手を振った、見えなくなるまで。
前に向き直ると、さっき買ってもらった青いブラウスに目を落とした。
「うん、やさしーよー」
と答えた彼女の横顔が思い返された。
そして家の中にあった日本製のテレビやエアコンが思い返され、
何度も「妹をよろしく・・・」と頭を下げたお姉さんの思いつめたような顔が思い返された。
あの結婚写真は・・・思い返したくもなかった。
彼女にとって結婚とは何なんだろう・・・
考えた。
考えて、考えて・・・
腑に落ちる答えは、未だに見つかっていない。
それが、国が違う、という事なのかな、と思っている。