能登半島地震の備忘録(発災当日)
令和6年能登半島地震で被災して感じたことまとめ。
※夫+自分+息子(1歳児)の場合
地震発生時は家族3人で自宅にいました。
私たちの住む地域は震度6強、揺れがとても長く円を描くような揺れで立っていることができないほどの大きな揺れでした。幸い家族は全員無事で、
自宅も大きな損壊はなかったです。(家の中はぐちゃぐちゃ)
揺れた段階で電気・水が止まり、通信もだめになりました。
携帯は全く使えない状況だったので、車でラジオを聞いて状況把握をしてました。
揺れがおさまってからしばらくして、防災セットと布団・着替えを持って近くの中学校へ避難しましたが、すでに人が沢山いて中学校の防災備蓄の毛布は全然数が足りない(真冬でめっちゃ寒い)、断水しているのにみんなトイレを使用するので便器の中も悲惨なことになっていて、衛生的にも設備的にも幼い息子を連れて避難出来る場所ではないなと判断しました。
(電気がついていたのはよかった)
そのまま中学校の駐車場で夜の11時頃まで車の中で避難していましたが、
その間配られたのは、私の把握する限りではアルファ米のみでした。
息子は、不安でいっぱいだったのか車の中では全く寝てくれず泣くことが多かったので、夜中の12時頃に自宅に帰ることにしました。
電気がつかなかったので、ランタンで明かりを灯していましたが、暗い。
地震後の不安でいっぱいな気持ちの中で、暗闇の中過ごすのはきつかった。
防災備蓄で、明るいライトを用意しようと決めました。
その日は夜も遅かったので、みんなで布団に入って休みました。
(不安で寝れず、小さい音でラジオをずっと聴いていた)
続く。